再開「mixi日記」~1万字にチャレンジ2019年9月22日=11585文字

ひとこと言い訳?
0時前に1万字 はい良くできました 昨日のことがあるからね まあまあだ

22日 日々さんの日記から
姉さんの日々 9月22日(日)~食欲旺盛

access_time 2019年9月22日 person_pin 無名居士-Nameless layman
午前9時少し前

朝食を終えて後片付けも済み

日曜恒例の私のひげそりも終え

シャワーも終えて 一服タイム

PC開いて まず姉さんの日記を書き始めたけど

急に?思い出したのが歯磨きと自分の薬飲むの忘れてた

ということで 一旦PCを離れますが・・・

いつものながら族の私のこと

歯磨きしながらPCするでしょうね

そして結局 1時間以上歯磨きしてることになるでしょうか

そして再開

私のことはどうでもいいのに 出しゃべり? 出しゃばり?

出しゃばりだった これも検索結果

自分でもわからないことが多いから

検索はしょっちゅうです おっと 自分のことはどうでもよかった

今朝の姉さんのことを書いておかないと すぐ忘れてしまいますから

今朝の姉さんは 朝の挨拶も声を出してできました

それもうれしいのですが 何といっても食欲が旺盛

例のツバメの子状態 でもうれしい状況です

数日前はこんな状況は想像できなかった

口を開けてと言っても開けてくれない

それが今は 口を開けて待ってる状態

それだけ私が準備するより 食べる方が早くなっているのです

以前は一口入れて 大げさに言えば30分くらいかかってやっと飲み込む

私にはそれくらいの時間に感じました

慎重に飲み込むのはいいのですが

くちゅくちゅごっくん と何回言ったことが

それが今は姉さんが催促する状態ですから

しっかり食欲が出たということですね

レーズンロール1個 すぐ食べてしまいました

昨日などは 朝昼とでやっと1個だったのですから

それにキューリのマヨネーズ和え ゆで卵の同じくマヨ和え

これも食べてくれました

それらが終わってから水分補給にと

栄養剤のドリンクと一日一本の野菜ジュースを小さじ4杯

まだありますよ デザートに70gの生協の焼きプリン?

これも全部食べました

私は残ったのをかき集めて ほんのちょびっと

でもうれしいですね

以前は姉さんが一さじ食べて残したのを

私が全部食べてましたから

私が食べるのがないという状態がいいのです

今姉さんはベッドであちら向きの体位で寝ています

小さなイビキが聞こえます 平和なるかなです

いつまで続くか また再発するか どうなるか分かりませんが

いまのいまを愉しくしたいですね

そういうことで うまくいかない時は格闘し

上手く行ってるときは喜び いずれの時もその状況をたのしんでいます

10時前になりました

更新された韓流ドラマの「一抹の純情」という軽いノリのホームドラマ

面白いのでそれを観ながら ついでにまだ歯磨き中

つい今 担当の先生から電話 もう少しして点滴に来るということです

日曜なのに わざわざ先生が・・・ありがたいことです

この10月末で今の診療所をやめて開業されるとか

姉さんが寝たきりになる前からの担当ですから

もうかなり長い間お世話になっています

休日にもかかわらず ご自身で点滴とは

救急担当の看護師さんを気遣ってのことです

ということで一旦日記を終えます

それではまた

ごきげんよう

22日 さとちゃんちのコメントまとめ

えんどうの手
無名居士
いやいや 実に細やかな作業 配慮ですね
ご苦労様です
私が口にしている野菜も
多かれ少なかれ農家の皆さんの心配りの作業のおかげ
ありがたいことです
おかげさまなのです
猪に荒らされた後に
次に植える木の準備
考えるのは先のこと
後ろのことではないのですね
農は前に前に 明日に明日に

明日の観想詩1/20(土)
無名居士
コメントが多いので数えたら20件
もしかしたら未引っ越しコメントがあるかもしれないと
やほブログで確認
そちらもジャスト20件でした 残念
残念というのはお笑いの何とか侍のオチの言葉
流れで使ってみましたが 残念
使いどころと意味がちがったかも 残念
三回押したところで
記事についてのコメントにいきましょう
前にも見たことがあるかなえの杉さん
圧倒される木肌?のシワ?
1000年の時が刻まれているんですね
一口に千年といっても
気が遠くなる大昔のこと
すごいとしか言えません
人間なんて長くてその命は100年そこら
その100年もすごいのですが
93年を生きた姉さんと
50年近く暮らしていますが
先月半ばに脳梗塞で意識不明に
しかし一日一回の点滴で命をつないで回復
儚いのも命の宿命なら
強さも兼ねている不思議
まだ生きなさいとの天の思し召しと解釈
日々暮らしています
シワがないきれいな肌だとは皆さんのお言葉
そうなんですよ

明日の観想詩1/19(金)
無名居士
未引っ越しのコメント発見
うれしい
・・・・・・・・・・・・・
「せめて、杭しないとね。抵抗もしなくっちゃ。」

抗う・・・あらがうという言葉が好き
時代に 政治に 社会の大勢に
流されるのは嫌
信条に反することには
徹底的に抗う
命を懸けても抗う
戦後すぐの生まれだから
演奏の愚かさを教えられたから
平和が何より大切だと思うから
自由は守らねばならないと信じるから
人は平等だと思うから
真実に行きたいと思うから
それに反することに抗う
戦後生まれの覚悟と意地

観想詩1/18(木)
無名居士
 人の情けは
 ありがく

おかげさまという言葉が好き
気づかぬこともあるでしょうが
誰かのお世話になっているのだと
おかげさまなのだと
助けられているのだと
生かされているのだと
こう思うものの無宗教ですが

・・・・・・・・・・・・・・・・・
「ものは考え様ということです。」

まったくその通りだと思います
そう心掛けていますよ

観想詩1/17(水)
無名居士
 ありのまま
 悶々
 バタバタ
 すりゃいいじゃんか

・・・・・・・・・・・・
ありのままという言葉を大事にしています
そして
あるがままにと
20代だったか30代になってか
もうはっきりしないけど
そりゃあ家出したぐらいですから
何もかも捨てて
責任から逃げてきたようなもの
このあとどうなるか
どう生きるか考えました
それこそ悶々
そんな中で時間つぶしに寄った小さな図書館
そこで手にしたのが精神医学関係の本
森田理論に関する本でしたが
そこで見た言葉が「ありのまま」
一つの気づきでした
自己嫌悪が強い私ですが
ありのままの自分でいい
ありのままの自分を
いいも悪いも好きになる
そう思えたのはよかったと思います
その後もこれといって何かに集中することもなく
時は過ぎていきましたが
ともかくも生きてこれたのは
ありのままという言葉に出会ったのも大きいと思います
やはりたまには これでいいのかと思うこともありますが
赤塚不二夫の漫画のセリフにあるように
「これでいいのだ」と言い聞かせていますよ
自分らしく生きた結果だから
これでいいのだとね

観想詩1/16(火)
無名居士
「寒いのも困るけれど寒くない冬も困る、、、、。」

12月生まれのせいか
私は冬が好き
季節の好き嫌いは 生まれ月の季節による
というのが私の持論
まあ何事にも例外はありますけどね
冬 雪が好き
チラチラ降り出すとドキドキぢてくる
道路が積もってくるとワクワクする
辺り一面真白になると 死にそうになる・・・まさかね
そんな感じで冬を愉しんでいます
逆の人もいるでしょうね
逆もまた真?
それから嵐の前の黒い雲の流れや空気感が好き
これは多分に 台風が来ると学校や休みになるという
恩恵?があるからでしょうか
雨が好き 雨上がりが好き 虹が好き
これは一連の流れですね
虹を見ると あの下をくぐりたくなります
車があった時 虹を追いかけたことがあります
遠目に見てどの辺にあるか確認して追います
その地点に行くと虹はもっと先にあります
追っても追っても虹をくぐることはできません
虹の真下にいる人は それを気が付かないかもしれません
そこに虹はあるようで無いから
虹は見えるそこにあるのではなく
見る人のいつも彼方にあるようです
夕陽が好き 朝日が好き 夕焼けが好き 朝焼けが好き
好きなものをあげていたら キリがないようです
キリもあるのですがキリがないとはこれいかに
先を急ぎましょう
もう夕食の時間ですから

里恋風景15・どんど祭り④「パチ」「パチ」の音に送られて
無名居士
子どもの姿がチラッと写っていますね
私はロリコンなので つい目が行ってしまいます
断っておくと性的興味関心からではなく
姪がいたこともあって 子どもの可愛いらしい姿やファッション仕草等々
癒される対象としてのロリコンですので 一応ことわっておきましょう
単純に 例えば動物の子がみな可愛いのと同じように
人の赤ちゃん 少女は文句なく可愛いものです
まあ確かに私は変態を自認しています こちらは性的にですが
とても人様には話せない性的嗜好の持ち主です
そして様々なフェチがあります
フェチの意味を確認するために検索
こんなサイトがありました
面白そうなので試してみることに
これまでこんなテストはいたことがありませんが
何か確認発見があるかもしれません
「あなたは何フェチ?選んだ画像から分かるフェチテスト」
結果が出ました
あなたは束縛フェチを持っています
あなたは縛りたい願望を持っています。
相手を縛り、自分がすべての権利を握ることに性的興奮を覚えます。
いわゆる支配欲というものです。
相手を支配することが最上級の悦びだと思っています。

当たってますか?
\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\
当たってます
面白かったですよ
何でも愉しむ精神

里恋風景14・どんど祭り③ぜんざい
無名居士
コメント数がちょうど20件
こんな場合はもっとコメントが多い可能性があります
引っ越しではコメントは20件まで
それ以上のコメントがあるかどうか探すのも私の仕事
せっかくのコメントが21件以上で切り捨てられては悲しいですから
この記事もYahooブログで確認しました
ちょうど20件 けっこうこういうことは多いのです
コメントの引っ越し追加はしなくてよかったで一安心
そして記事の最後の文章に目が留まりました

「講座集合10時の前・・・番外篇です」

そうでしょうね
すると私たちはこの後行ったのかな
どうせなら小豆たっぷりのぜんざいを頂きたかった
大好きなのでね
まだ福岡にいたころ
夏場の愉しみは氷ぜんざい
氷はかいたままを山盛り
そしてぜんざい
かき氷をぜんざいに入れていただきます
甘党にしかできない醍醐味ですね
ぜんざいでそんなことを思い出しました
そうそう 毎週生協にアイスとか注文するのですが
今はあずきバーに凝っています
カッチカッチに凍ってまうすね
凝ってる人が多いから・・・なんてね

里恋風景13・どんど祭り②無病息災
無名居士
火を見ると
やはりというかコーフンしますね
炎には勢いを感じますし
自分の内から なにやら燃えてくるものを感じます
新年の行事ということもあるのかなあ
心新たにしているときでもあるし
私などは正月新年に さほどの思い入れはないので
あらためて何か目標を見つけるとか
いわゆる一年の計を立てるとかしませんが
昨日今日明日と毎日は地続きと思うから
なんだか感動的なこととは無縁な考えに見えるでしょうが
私はいたって感動屋と呼んでもいいでしょう
その瞬間感動するだけで 自分が何か変わることはなく
瞬間の感動で終わるという意味
人のことにも政治にも社会にも 案外無関心
自分のことに一番関心がある
一言はやった言葉で言えばジコチュー
そんな人間だから人は寄ってこない
ここを見ればわかりますね
まあそんな私でも結構毎日を楽しく暮らしています
愉しむことが人生だとさえ思いますからね
こうして書くのも愉しむ
書けないで悩むことも愉しむ
毎日やることがある
それも愉しいものです

里恋風景12・どんど祭り①綱掛け神事
無名居士
この記事の日から
すでに10年以上の歳月が流れています
そしてこの4年後 さとちゃんの訃報が届きました
それから8年の歳月
長いようで短いようで
長い間こなかったブログに
今は毎日来てコメントするのが仕事になっている
コメントというより自分の日記替わり
さとちゃんちのブログで遊んでいるような
こんなことしていいのかと
申し訳ないと思うこともありますが
さとちゃんのことを忘れないようにと来ています
さとちゃんの思いや考えに触れ
自分を見つめ考え直すいい機会になると
できれば昔コメントしていた人たちが
それぞれの想いを書いてくれるといいなあと思うけど
私がここを独占しているので
コメントしずらいかもね
今日はこれでまだコメント2件
先を急ごう

観想詩・1/15(月)
無名居士
この日の講座には参加したような
していないような
もう忘れていますが
かすかに神社の境内で
火にあたったのは覚えています
やはりこの講座だったのかな
とにかくどんどん昔の話になっていますので
忘れて当然でしょうね
ちなみにこの日 2007年1月14日
私は何をしていたか
他のブログを見てみました
この件についての記述はありませんでしたが
「万葉集を歌う」記事を更新していました

第487回 [番号] 07/1082(第7巻第1082番)記事をクリップするクリップ追加
2007/1/15(月) 午前 6:16 万葉集を歌う 短歌
facebookでシェア
twitterでつぶやく
「万葉集検索ソフト」(山口大学の吉村誠先生制作)によるデーター使用
http://yoshi01.kokugo.edu.yamaguchi-u.ac.jp/makoto/
[番号] 07/1082
[題詞] (詠月)
[原文] 水底之 玉障清 可見裳 照月夜鴨 夜之深去者
[訓読] 水底の玉さへさやに見つべくも照る月夜かも夜の更けゆけば
[仮名] みなそこの,たまさへさやに,みつべくも,てるつくよかも,よのふけゆけば
[事項] 雑歌
濡れた道自転車を漕ぎ仕事行く我を迎えし下弦の月が
雲流れ月を遮るその間に仕事したるか明くれば真白


この「万葉集を歌う」は、万葉集や短歌について学問的に研究するものではありません。万葉集の歌の内容や使われている語句を素材に、私なりに歌にしてみようというものです。いわば日記代わりのようなもの・・・よければお付き合いください。2005.6.24(一郎)
カテゴリ>芸術と人文>文学>短歌
開く コメント(4)
開く トラックバック(0)
第486回 [番号] 07/1081(第7巻第1081番)記事をクリップするクリップ追加
2007/1/14(日) 午前 2:03 万葉集を歌う 短歌
facebookでシェア
twitterでつぶやく
「万葉集検索ソフト」(山口大学の吉村誠先生制作)によるデーター使用
http://yoshi01.kokugo.edu.yamaguchi-u.ac.jp/makoto/
[番号] 07/1081
[題詞] (詠月)
[原文] 烏玉之 夜渡月乎 [忄+可]怜 吾居袖尓 露曽置尓鷄類
[訓読] ぬばたまの夜渡る月をおもしろみ我が居る袖に露ぞ置きにける
[仮名] ぬばたまの,よわたるつきを,おもしろみ,わがをるそでに,つゆぞおきにける
[事項] 雑歌
ぬばたまの昨夜の月は幻か明方街は雪に覆われ
白き月冴え渡れるもおもしろき空のいたずら雪ぞ降りける

22日 日々さんの日記から②
日々の言葉落穂ひろい~「尾生の信(びせいのしん)」

access_time 2019年9月21日 person_pin 無名居士-Nameless layman
古典・詩歌鑑賞(ときどき京都のことも)
2011年8月19日 (金曜日)
(その2)あなたにとって「尾生の信(びせいのしん)」とは?
ほととんぼのブログから
「尾生の信(びせいのしん)」という言葉 初見なのでピックアップしました
司馬遷が書いた「史記」の中の言葉とか

漢文というのを意識したのは高校に入って

授業に漢文があったからですが

まったく苦手な教科 分野

でも漢文の先生はけっこうユニークでした

しかし 残念ながら漢文に興味は湧きませんでした

70歳を超えて まさか史記を紐解くことになろうとは

思いもよりませんでしたが 自然の流れで興味を持ち始めたところです

それはこのブログと出会ったからなのですが

ブログ主の自己紹介的なブログのサブタイトルが面白いのです

「和歌俳句漢詩を好み、言葉遊びを楽しむおじさん」
と書かれていました ほととんぼというお名前の由来はまだ分かりませんが

私がすぐに連想したのは「からすとんぼ」

その名前を知る人は多いかもしれませんが

その名前をタイトルにした小冊子を毎月発行されている方がいます

縁あってその方のブログに毎日訪問して コメントするのが今の私の仕事みたいなもの

古座川を愛し 熊野を愛し里巡りをつづけ その記録をブログや「からすとんぼ」という小冊子に

その人にとってからすとんぼは古座川の象徴

しかしそのお方は8年前に亡くなられました

その上貴重な記録となるブログも Yahooのサービス停止になるため このままでは消え去る運命

それで勝手ながら私がブログを引っ越しして 3千弱の記事にコメントする目標を立てのでした

ほととんぼとからすとんぼ トンボというつながりもさることながら

そもそもほととんぼさんのブログを行ったのは 秋に紹介したブログのコメントにあった「ゆかし潟」という名

その検索のトップ記事が このほととんぼさんのブログだったのです

そのご縁と同時にもう一つ 何と京都在住というのは私との共通点

私はよそ者ですが さてほととんぼさんは・・・という興味もあります

ほととんぼさんのブログのバックナンバー その開設当初の記事から読み始めました

すると早速難しい四文字熟語 それについてはすでに書いていますんで省略

このお方のブログを読み進めることは 私の漢文嫌いを少しはいい方向に導いてくださる手掛かりになるやもしれぬ

そういう計算を立てたのです 言葉遊びがお好きとか

さすれば読み進めるのも面白おかしく さらに漢文や和歌俳句などの勉強にもなるかと

一石二鳥三鳥の思惑も芽生えた次第

とそこで今日のお題というか ピックアップした言葉が「尾生の信(びせいのしん)」

詳細はリンクしているので ほととんぼさんの記事を参考にしていただきたい

私はこの話を知って 自分のことも思い浮かべました まだ30代の頃でした

当時 ジャパユキさんと言う言葉がつかわれていたように

東南アジア 主にフィリピンからだと認識していますが

京都でも祇園の店に行けば 必ずフィリピンの子たちが働いていました

私はよく遊んでいたというのではなく むしろお酒は飲めませんので

そんなところは全く縁がない人間でした

ところがそんな私がある事情でたまたま行ったスナックでフィリピンの子に出会い

その子にハマってしまったのです

結婚願望はなかったのですが その頃ちょうど布施明が女優と結婚しました

彼の歌が好きだったし 彼と同世代ということもあり

彼に自分の人生を重ねていたところがありました

彼が外人の女性と結婚したなら私も・・・

そんな気持ちになったのでした

フィリピンの子を知った時でもあったし

そんなことが重なって 彼女のところに通うことになりました

まあ事細かに彼女のことを書けば いつまでたっても終わりそうにありません

尾生の話に関したことだけを書けば

私が好きになったのだから 彼女の思いは別のところにあるとしても

彼女が求めるもの・・・金銭的なことはできるだけしてあげようということになります

かといって彼女と肉体的関係があったかというと 手も握っていません

尾生は彼女との約束を守って待ち続け 大雨で増水した川におぼれて死んでしまった

私は彼女と何の約束もしていないし 彼女の目的も分かっていたし かすかな希望は持ってはいたが

到底かなうはずもないと分かっていた それでも手紙が来てなにがしかの金銭的要求があれば送っていた

当時 私はほとんど遊んでいなかったので 若干の貯えはあった

かなり使ったと思うが 結果彼女の方が私に利用価値がないとみたのか

逆に哀れに思ったのか いつしか連絡が来なくなった

それでも私は恨みもなにも起こらなかった 私が好きになりしたいことをしていただけだと

哀れと言えば哀れだろうし 純情と言えば純情なのか バカと言えば馬鹿なのだろう

尾生のように死ぬまで待つことはしない 私なら橋の上でそれでも待つだろうが

似たり寄ったり感は否めない

世の中にはこんな男もいるという見本にしてもらえればいい

大金を貢ぐほどのことはしていないが 似たような話はニュースで観たり聞いたりする

他人事とは思えないし笑えない

まあこんな感想で終わるとしよう

さて次はどんな言葉に出会うか

何事も愉しむ

すべてを愉しむ

いいも悪いもという精神で

これからもいこう

老い先短くなったが

馬鹿と呼ばれて死ぬが本望

ではまた

22日 高山のnoteから
2019.9.22~高山とトンネル工事現場の近況:誓約書

今日は10時回って書くことになった
調子がいいときは 10時半には1万字になっているが
そんな時にはこのコーナーはすでに書き終わっていることがほとんど
つまりここに書くのが遅れているということは まだかなり1万字に足らない状態 ここに書いて さらにもう一本日記を書かなければ・・・
このところ0時までに普通に1万字という目標を達成できているだけに
やはり続けていと言う欲が出て来るよね
面白いことに昨日 0時段階で残り600字 もう少し書けばできるし そこまで来てるなら1万字と思うよね そう思って書き始めた日記もあったわけ
でも書けなかった 書かなかった もういいやと思ったから
1万字に満たなくても 残り僅か600字 出来たも同じだと私は思ったわけ
それに普通に書いて0時までという目標にしたしね
私的には昨日も達成したと思ってる 気にしている人がいるとは思わないけどね 気にしているのは自分だけだろうから 自分がよければそれでいい
ということで今日なのだが ここに来るまでに それでも7千字は超えてる
上出来なのよ よくできた頑張ってと思ってる それほど1万字とは難しい千字だって難しい 分かってる人は分かってるだろうけど
以前 1万字日記を目標にする前 簡単だと思ってた だっていくつかのnoteを毎日出してるけど 過去の日記のまとめなど コピーするだけでいいから 簡単に1万字超えてた コピーするだけなら誰にでもできるし簡単だよね でもそうじゃなかった いざ最初から書くとなるとね それを実感できただけでも 取り組んだ意味あると思ってる こんなに集中して書くことは これまであまりなかったかもしれない でも過去の日記読むと かなり書いている時期もあったなあと思う もうその頃のこと忘れているけど
日記として残っているから こんな時振り返られる 自分をほめてやりたくなることだってある 
また自分のこと日記のことなどつらつら書いてるけど 高山から電話あったけど 今日ここに書くほどの話題がなかったからね こんな話でも書かないとページ?が埋まらないし日記として字数が稼げない せめて2千字と思ってるけど それもなかなかなんだよね よくて1500字くらいなもの
さあ こんなことばかり書いててもなんだから 高山の電話の話を書いておこうかな 新人の入社が決まったそうだよ 試雇機関からということだけど
お父さんを連れてきたようで それは高山からの提案 女性をトンネル恋路現場で野党ということは かなりのリスクがお互いにあるし その危険性を彼女も親にも理解してほしいということなんだね
男性を雇う時も誓約書を読ませサインさせるのだと それも事細かに書いてあると その女の子の父親も驚いていたくらい その詳細が必要だと ちょっとしたことで指を落とすということもあるし 命だって落とすこともあるそういう場面を何度も高山は見てきている 何か起こって文句言われないように 問題にならないよう 訴えられないように詳細なことが書いてあるそうな 必要なことだろうね これも危機管理の一つなんだろうから
これで女性3人になる 信じられる? しかもトンネル工事現場で働きたいというんだよ 単なる事務だけではないんだから 女性自身が一番大変なトンネル工事現場で働くことを希望するなんて そういう時代になってきているということか 私でもまだ信じられない この高山の会社の状態は けして普通じゃないからね むしろ異常なんだよ いやいや 高山にしたら これが普通にならないといけないというだろうね おそらく元請けも刺激になることだろうね
その新人女性の教育は もちろん高山も見るがA子ちゃんにも責任を持たせるという 高山自身がA子を鍛え育てる過程で 女性を使うことの難しさや問題点を模索していたと思う その上での女性社員4人態勢の構想を考えていった 新人に影響を与えたのは極真の先輩にあたるAではあるが Aから話を聞いていたその子は むしろ高山に興味関心を持ったという
父親も高山からの話を聞いて 十分納得したと思う 話が分かる親と言える
普通なら娘にトンネル現場で働くことなど許さないだろう 普通ならね
しかしこの考えを十分理解している そして尊重するからこそ そういう判断になる なかなかできないだろうと思うよ 普通ならね
そろそろ11時 これを終えて次なる日記に進もう
電話ではエッセイを送るという 千葉の台風被害についての2弾目となるようだ 届いているかチェックしよう アップは明日になるが・・・
それではまた お疲れお疲れ

22日 日々さんの日記から③
なぜ気になるのだろう goo blog「日々の細道」へのコメント記録~7日目

access_time 2019年9月22日 person_pin 無名居士-Nameless layman
日々の細道
手持ちの回数券が一枚また一枚、残り少なくなっていく老いの日々、どう生きていくか?
なごり梅
2007年03月08日
コメント再開7日目 (一郎)
2019-09-22 23:46:52
午後11時を回りました
いつもはもっと早くここにきていましたが
でもどうやら今日中にはコメント書けそうです
そしてこのコメントが
今日の1万字日記達成となるかどうかのキーポイント
目標は1500字としておきましょう
こちらのブログ主は 簡潔短文を旨とされているご様子
私などは 内容も文章も書きながら考えるタイプ
どうなるか自分でもわからぬ有様
長く書くことをむしろ心掛けてはいますが
内容はめちゃくちゃ それで長文となれば
読む人はあきれて すぐに投げ出されるでしょう
それでも長文にこだわる私です
コメントは短くというのが常識でしょうに
それに逆らうんですから若い人たちはもとより
嫌われて当然でしょうね
しかし なぜか長文にこだわるのが
今は私らしいという思い込み
これが私らしいとあれば このまま続けようではありませんか
続けた先に何が待っているか
あほらしくてやめるかもしれませんがね

さて 記事の話題に戻らなければ
何しに来たと言われるでしょう日記なら自分のところで書けばいいとね
だから記事のことも書かなければ
庭の樹々の剪定をご自分でやられるのが趣味
我流であっても その心意気は素敵だと思います
それが出来なくなった理由が
お二人のご母堂の不幸
その看病をされてたということ
私も長年の同居人・・・姉さんと呼んでいますが
93歳になるのでいつ何があってもおかしくない状況
先月半ばに脳梗塞で意識不明
普通なら入院治療を進めるのですがという先生に
部屋で出来る処置をといって入院は選択せず
一日一回の点滴で命を長らえ回復に至りました
死だけを考えていましたので
こんなことがあるのかと驚きました
それでもなお再発の危険性はあるわけで
覚悟はしています
もう93歳という年ですし
本人もかねてより延命処置はせずに
早く死にたいと言っていました
私ももとよりその考え方です
生まれ時にすでに死は約束されたもの
早いか遅いかの差はあれ
誰もが死をもって人生が完結
完結全うした死を 私はよろこびます
悲しむこころはさらさらありません
死は悲しいことではなく喜ぶべきこと
そう思うからです
喜んで死者を送る
それがその人の人生へのはなむけになると思う
死を悲しむことは
その人の人生を悲しむこと
そうじゃないはずだ
生きる目的とは何か
死に向かって生きているという事実
死を喜んで受け入れられるようになるための
人生とは猶予期間
喜んで死ねるための修行期間
成長し学ぶのはそれを理解売るため
すべては死ぬ向かっての準備
どう死ぬかなのだ
それは裏返せば
どう生きるかという問い
喜んで死を受け入れられるようになるため
死ぬために生きる
死ぬときのために生きてきた
その死を喜んで迎えること送ること
人生は死をもって完結
生を全うした先にあるのが死
死を喜ぼう
喜べるようになろう
さすれば死への一日一日も
喜びに満ちたものに
なぜなら 死が待っているから

mixi日記
藤川一郎
京都市北区紫竹北大門町37 葵荘17号
075-493-4676

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?