再開「mixi日記」~1万字にチャレンジ2019年7月8日=11711文字

文字数カウント
文字数計算ツール
上記サイトによるカウントは 11711 文字
note編集ページの総字数は 11815 文字

8日 日々の言葉落穂ひろい~もって瞑すべし

宮本百合子 bot
@Yuriko_M_bot
一つ一つと作品を生んでゆく、その生活そのものが、作品以前の芸術であるという感じ、そのものを完成させようという希望(仕事とともに)、そういう生きる思意が漲った全集。そういうものをのこせたら作家はもって瞑すべしですね。

(「獄中への手紙」1939年11月11日)

1
17:01 - 2019年7月8日
Twitter広告の情報とプライバシー
宮本百合子 botさんの他のツイートを見る
「もって瞑すべしですね。」

私の印象では「銘す」という漢字が浮かんだが

というのは「肝に銘ずる」と同じ意と理解していたようだ

全く意味は違っていた

goo辞書

ここまでできれば、もう死んでもよい。転じて、それで満足すべきである。「全力を尽くしたのだから―◦べきであろう」

私はほとんど使わない言葉だから 意味も理解していたわけではなかった

めい=銘という思い違いから別の意味に解釈していた

今日ツイートでこの言葉を目にして意味を確認して

やっと思い違いに気が付いた

ちなみにこのツイートにコメントした

以下その引用

百合子のその時々に書かれた文章を 毎日目にしている
読むだけでも
解らないまでも
様々な刺激を受けている
彼女の全集を手にしたが
ほとんど読まずに手放した
手元に置いていても
やはり読まなかっただろうし
読んでも私は変わらなかっただろう
30年ほど経て
毎日その断片を読んでいる
この巡り合わせ

8日 さとちゃんちへのコメントまとめ

あなたへ観想詩・週観→7/23(日)~7/29(土)
一郎
人の道
日々
未知にして
本番なんです
なにが
起きても
可笑しくはないのです

こう思えるかどうかが問題
何が起きても可笑しくな
まさに一寸先は闇
だけどさとちゃんが何時も書くように
なるようになる しかもよりよくなる
これまたこう思えるかどうかなんだよね

今日の観想詩・7/22(土)
一郎
やっぱりこの言葉に救われるなあ

 なんとかなるやろかい
 今更、くよくよししてもしゃないやん
 
 (なるようになる、しかも、よりよくなる)
    
さとちゃん
よりよくなるって
私は思わないけどね
さとちゃんだってそう思っているだろうけど
それをそのまま書かない
さとちゃんは夢見る人 恋する人だからね
希望をみたいし 明日を信じるよね
それが
よりよくなる
って言葉になってるんだろうね

醒ヶ井の丹生川を歩く3・木の匠の里
一郎
上丹生の里の案内板・・・やはり驚きますね
なんと多くの木のプロ 匠が集まっているのでしょう
それだけでもすごいと感心します

山ユリと歩く②里の山ユリたち
一郎
山ユリの様々な姿がある
それぞれの姿で印象連想は変わるもんだね
タコ踊りだったり
モモンガだったり
その前にはうらめしや~~みたいな
幽霊に見えたり
幽霊は今回もいるよね・・・4枚目
モモンガもいるし
きょうはオニヒトデもいる
そう見えない?
観る人によっても連想は様々
みんなちがってみんないい
誰だったかな?
金子みすゞの詩だったかな

今日の観想詩・7/21(金)
一郎
観想詩はいつもツッコミどころ満載
だから嬉しいが
一日一個
また次にツッコミできるのはいつになるかな?
果たしてできるかな?

まずヤマユリ
あ私は変人だから
素直なコメントできないよ
山ユリからの連想
さあ飛んだ
おもいっきりマント拡げた
モモンガ飛んだ

てな感じの連想
草しか見えないんだよね
この前はタコ踊り
タコにしか見えなかった

さて観想詩

 欲へ
 歯止めの利かない
 ひとの世なれば
 歯止めの利かない
 自然の世になるのかもしれない
 自明のことかもしれない

昔 欲望 欲求不満について書いたことがあった
それを思い出したのでどこに書いたか探してみた
見つかったので転載してみる

誰も訪れることのないHPの日記に書いたものを読み直したくなりました。5年前、55歳の時に書いたものです。ある意味で自分自身と向き合った時の記録になったかもしれません。
さらしてみたくなりました。
他人から見ればたわいもないことかもしれません。知りたくもないことかも知れませんが・・・。


欲望の正体 イチロ-55 メール   2003年2月6日 16時12分

この欲望はどこからくるのか
その正体をやっと見つけた気がする
その正体は・・・欲求不満
欲求不満の大きさは
その人の自尊心の度合いに比例する
欲求不満はさまざまな欲望となって心を支配する
その欲望は理性をも従わせる
理性に変わる価値観で理論武装する
どこで踏みとどまれるか
引き返すことが出来るか
理性を取り戻せるか
理性は・・・良心は・・・
その人が受けた愛情に比例する
私はその愛情に感謝している
感謝できる自分を誉めている
自分を愛する自分がいる
それだけで十分だ


欲望の正体・2 イチロ-55 メール   2003年2月11日 9時41分

欲望の正体に向き合う勇気を持った時
自分を笑うことが出来る
欲望の囚われから解放される
人生は喜劇だと知る

欲望の正体に向き合う勇気は
自分を信じることから
人間の魂は欲望に押しつぶされ封じ込められても
心の奥底から人間としての尊厳を叫び続ける

その声が聞こえるためには時がかかるかもしれない
時が過ぎるのを待てばいい
時は無情だが人に優しい
時が過ぎて見える世界がある
人生は長い

欲望の正体に向き合った勇気は
真実を恐れない
真実こそが強い味方

欲望の正体に向き合う勇気を持った時
自分を笑うことが出来る
欲望の囚われから解放される
人生は喜劇だと知る
愛の意味を知る


欲望の正体・3 イチロ-55 メール   2003年2月26日 23時37分

人間は様々な欲望を持っている
その欲望ゆえに 悩み苦しむ
欲望を持つことは罪か・・・
生まれながらにして人間は原罪を持っているという
私はそうは思わない
欲望を持つゆえに人間なのだと
欲望を持つことはけっして罪ではない
人間は理性を持っている
欲望を理性で抑えることができる
理性こそが人間を人間たらしめる
理性があるゆえに悩み苦しむ
しかし人間を救うものも理性なのだ
理性は愛情に支えられる
欲望を抑える強い理性は
深い愛情によって育まれる

欲望を持つのは罪ではない
理性を否定し 欲望に従う事が罪なのだ
人間が従うべきは理性
理性こそが人間を人間たらしめる

理性を信じよう
人間を信じよう
自分を信じよう
愛を信じよう


欲望の正体・4 イチロ-55 メール   2003年4月5日 21時55分

人は生まれてきたとき 無垢の存在
わずかに残る動物的本能を
遺伝子にインプットとされてはいても
それがいつしか個性をもった人格として成長していく
その彼の欲望、意識はいかようにして形成されるか
彼の人格を形成するのは親であり
親が所属する階級である
人間の社会は太古の原始共産制を除けば
支配するものと支配されれるものがいる階級社会
人間が人間を奴隷として支配していた時代は
そう昔の事ではない
支配するものと支配されるもの
富める者と貧しき者
現在はあからさまな支配形態は目に見えない
だかそこには明らかに階級社会がある
人間の欲望、意識はその所属する階級の欲望、意識
そして価値観を反映する
支配階級の価値観は
支配者としての優越感
支配する者への差別意識に支えられる
政治は
支配者の利益を追求し守り支えるためのシステム
政治行為の最たるものが戦争という暴力行為
戦争を決定する支配者側の倫理には
罪の意識はない
そこにあるのは冷酷な優越感、差別意識
支配される者、貧しきもの、弱者との
全く相容れない価値観が存在する
同じ人間なのに
同じ言葉を話すのに
共通の倫理、共通の価値観はそこにはない
なぜなら支配する者と支配される者との
利害が
相反する階級に所属しているから
人間の歴史は
相反する階級のたたかいの歴史
いまある自由も政治的権利も労働時間さえも
たたかいによって勝ち取ってきた権利
支配する者の価値観と
支配される者の価値観のたたかい
未来はどちらの価値観が勝利するか
どちらの価値観を人間として選択するか

欲望の正体は
階級の欲望の正体

醒ヶ井の丹生川を歩く2・醒ヶ井の鱒養殖場
コメント
一郎
京都の北山
北山杉で有名な中川町に
確か養鱒場があって
バイトでお菓子の配送をしていた時に
夏場がシーズンなのか
その時期になるとお菓子類を配達したことがあった
紅葉で有名な高尾のずっと奥にあるので
ドライブ気分の配達だった
北山グリーンガーデンだったと思うが
検索しても市バスの停留所くらいしかなかった
北山グリーンガーデン前という停留所のようだから
まだやっているのだろうか
20代後半から数年間 その菓子問屋で働いた
いい思い出と悪い思い出と比較するとどうだろう
そんな比較ができるかどうか問題だが
すべては自分らしさの結果だから
その時期も自分らしく生きていたということだろう
そんな日があって今がある
んん?
そんな歌あった?

今日の観想詩・7/20(木)
一郎
スイカのこと書こうと最初思いましたが
他の人がみんなコメントしてますからね
同じことするのが嫌いな私としては
それにスイカについてはこの前書きましたしね
他のこと書こうとなりますね
へそ曲がりですから 変人 変態ですから

そこで
★時間をとめたろうと想っていましたと。

これをお題にいただきました
時間よとまれって有名な歌ありますしね
普通は今の良い時間をずっといつまでもって意味で
時間よとまれってなりますね
私は時間よ進めって思います
早く年取った自分がどうなるのか知りたいと思ったものです
何を?・・・お恥ずかしい話ですが
人様の前に公言することではないと承知していますが
しかし重大重要な問題ではあると思います
口にするのがはばかれるのはよくわかっています
性的なことですからね
つまり性欲
私の関心は いくつになったら性欲は衰えなくなるかという疑問
なぜそんなことを知りたいかって?
その性欲で悩んでいるからです
性欲がなくなればいいと・・・
それほど私は若いころから悩まされました
しかも変態的な性欲にね
今ならこういうことも書けるようになりましたが
そこそこ年を取りましたからね
でもまだ性欲で悩んでいる 無くなればいいと
今私は古稀を越えました この年末で72となります
その私が自信をもって言えることは
性欲はなくならない
まだ私だけの例ですから これが一般的な常識になるかどうか
他の男性にも女性にも言えるかどうかはわかりません
あくまで私の症例?病気だと思っているので症例でいいでしょう
はいこんなことを書いてみました
恥ずかしくもなく
だから私は変人変態 へそ曲がりと言っているでしょ
ほんとだったでしょ

醒ヶ井の丹生川を歩く1・下丹生は、丹生真人の里!!
一郎
☆滋賀を歩く5ー醒ヶ井の丹生川を歩く1・下丹生は、丹生真人の里!!

このシリーズ・・・また新しいタイトルがついて続きそうです
さとちゃんの探求心はすごいですね
これだけ書くには相当なエネルギーがいるはず
書くだけでもいりますからね
里の生活 暮らし 風習・・・民俗に学問的研究心からでしょうね
欲は知らないけどさとちゃんは教師だと存じています
恐らく研究者の道に進みたかったのではないでしょうか
若いころの果たせぬ夢を退職後に果たしている
私の勝手な想像ですが そんな意欲を感じます
出なければこれだけの記事を書けませんから

さて民俗学に門外漢の私の素朴で単純な疑問
丹生真人とは?
さあそこにさとちゃんは注目してるんですね
どんなシリーズになるか読んでいきましょう

ヤマモモと歩く①
コメント
一郎
揺すれば落ちそうでした。

この文章に何となくひっかかりました
揺すれば・・・ゆすれば・・・ゆすら・・・ユスラウメ
って連想は面白くないですか?
面白いと思うのはおかしいかな?
とにかく私は変人変態だからね
これは前にも検索しましたね

ユスラウメ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
和名
ユスラウメ(梅桃、山桜桃梅)
英名
downy cherry, Nanking cherry
ユスラウメ(梅桃、山桜桃梅、学名:Prunus tomentosa)は、バラ科サクラ属の落葉低木の果樹。サクランボに似た赤い小さな実をつける。俗名をユスラゴともいう。

ユスラウメの語源検索で いやいやすごい記事を発見
これは前の検索時には思いもつかなかった結果
それは名前の語源まで思いが至らなかったからだが
今回の検索では様々な問題を最後には語源について言及している記事
これをっくには相当な力が必要だと思った
当然私には書けない内容
自分の記憶から疑問をひとつひとつ考えていくという記述
もう私は引用する気力もない
興味のある方はぜひその記事を読んで欲しいと思う
記事のURKを紹介しておきます
私にできることはそれくらい
読むしかない 読めば感動する 感心すると

GKZ植物事典・ユスラウメ
http://gkzplant2.ec-net.jp/topics/shokubutu/yusuraume.html

山ユリと歩く①
コメント
一郎
私は想像力の欠如を
若いときから感じていましたが
妄想については自身?があります
こんなことに自信があってもねって感じですよね
妄想も人とは変わってるかも
たとえばヤマユリのつぼみ
私はアオサギなどの
鳥のするどいくちばしを連想します
開いた花はタコ踊り
きれいな花から連想することじゃないでしょうね
私は変なのです 変態なのです
それからアマノジャクですから
人と同じようなことをするのが嫌いなのです
大ヒットした映画があるとします
大ヒットということは多くの人が観ているということ
それが嫌いなのです だから観ません
ずっと時間が経って 話題が消えたころ観ます
観るんかいと突っ込まれそうですが
話題になっているときは絶対見ません
へそ曲がりの意地です・・・そんなもんあるんかい
ってツッコんでね

変わってるんです 変態なんです
みんなと同じが嫌いなんです
だから一人遊び

今日の観想詩・7/19(水)
一郎
えんやこら
えんやこら
上り坂だよ

さとちゃんは気が若いよね
参ります

なんだ坂
こんな坂
って言葉思い出した
壷井栄の小説だったかな
またチョイかじりの
知ったかぶりが出てきましたよ

おや?検索のトップに出てきたのは
日本の古本屋ってサイト
そして・・・紙芝居だって
なんだ坂こんな坂 (紙芝居) 新選生活指導紙芝居全集 5 (16枚1組)
https://www.kosho.or.jp/products/detail.php?product_id=126897392

それから
好きな本・作家など
http://surgery.matrix.jp/ent/books/index.html
という記事のその他のところにこんな記述が・・・面白い発見でした

泣ける本といえば、壷井栄の「二十四の瞳」もいいですね。 小学生の時映画を見て退屈で退屈であくびの涙がでてしまったのを覚えていますが、 今、もう一度見返すとどうかなあ。教科書で読んだ「坂道」 (?)も印象に残っています。子供を自転車のうしろに乗せて坂道を登る時はいつも 「なんだ坂、こんな坂」という癖がついてしまいました。 (今はもう子供も大きくなったので重すぎて無理ですが)

教科書で読んだというので有名な小説ということですね
「坂道」だから紙芝居にもなったのでしょう
紙芝居については興味があります
その昔・・・子供たちにとって花形的存在の時もあったのでは
私より前の世代だと思いますが
お小遣い握りしめて紙芝居屋さんを公園で待っていた世代の人もおられるはず
今も紙芝居に魅入られ 紙芝居文化を無くすまいと努力している若い人たちもいるのでは
もう一つあこがれる文化がチンドン屋さん
これもゆっくり調べたい気がしています
YouTubeで時折目にする動画もあります
なんだ坂こんな坂からいろんな思いが広がりました

醒ヶ井の梅花藻を歩く10・西行の水!!
一郎
眠い時間がやってきました

ねかはくは 花のしたにて 春しなん そのきさらきの もちつきのころ (『山家集』)

眠いのでなかなか先に進みません
願わくば
野垂れ死にして
無縁仏
知る人もなく
祈る人なく

それにしても眠いのです
眠くなったら寝る
そうすればいいのですが
今回はなぜかそれができぬ
いやいや
寝ましょう
その方がよほど効率がいいはず

醒ヶ井の梅花藻を歩く9・居醒の清水!!
一郎
8日月曜 また一週間が始まりました
午前中はお天気よくて 洗濯物がよく乾きそう
午後はにわか雨が来そうな雲行きで
洗濯物は軒下に

さあ昨日のことですが
先ほどnote4本アップ
1本は昨日で終了
花物語だが 新しいものを書いて続けるか
思案中
さとちゃんの梅花藻シリーズが大いに刺激になっている
新・花物語を続けるとするなら
梅花藻からになると思う
何とか続けたいものだが
どうなるかはまだ分からない
さとちゃんの里巡り
まだしばらくは醒ヶ井辺り
今日もコメントしっかりがんばりましょう
このコメント次第で1万字日記ができる

西行さんが気になっていました
少し調べてみます
西行
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
西行(さいぎょう)、元永元年(1118年) - 文治6年2月16日(1190年3月31日)は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての武士、僧侶、歌人。
保延6年(1140年)23歳で出家して円位を名のり、後に西行とも称した。

出家後は心の赴くまま諸所に草庵を営み、しばしば諸国を巡る漂泊の旅に出て、多くの和歌を残した。

出家直後は鞍馬山などの京都北麓に隠棲し、天養元年(1144年)頃に奥羽地方へ旅行し、久安4年(1149年)前後に高野山(和歌山県高野町)に入る。

仁安3年(1168年)に中四国へ旅した。この時、讃岐国の善通寺(香川県善通寺市)でしばらく庵を結んだらしい。讃岐国では旧主・崇徳院の白峯陵を訪ねてその霊を慰めたと伝えられ、これは江戸時代に上田秋成によって『雨月物語』中の一篇「白峯」に仕立てられている。なお、この旅では弘法大師の遺跡巡礼も兼ねていたようである。

後に高野山に戻り、治承元年(1177年)に伊勢国二見浦に移った。文治2年(1186年)に東大寺再建の勧進を奥州藤原氏に行うため2度目の奥州下りを行った。この途次に鎌倉で源頼朝に面会し、歌道や武道の話をしたことが『吾妻鏡』に記されている。

伊勢国に数年住まった後、河内国の弘川寺(大阪府南河内郡河南町)に庵居し、建久元年(1190年)にこの地で入寂した。享年73。かつて「願はくは花の下にて春死なん そのきさらぎの望月のころ」と詠んだ願いに違わなかったとして、その生きざまが藤原定家や慈円の感動と共感を呼び、当時名声を博した。

ねかはくは 花のしたにて 春しなん そのきさらきの もちつきのころ (『山家集』)
ねかはくは はなのもとにて 春しなん そのきさらきの 望月の比 (続古今和歌集)

8日 新・花物語~梅花藻

これはテストページ
出来上がるかどうかわからない
出来上がればnoteにアップできる
以前は花ねこ日記さんの風呂負の画像のお世話なった
今回はさとちゃんのブログの画像のお世話になるだろう
もし続けるとするならばね
続けたいという気持ちがあるし
その想いは強いんだけど
なかなか踏み切れないでいる
もうかなり長く花物語の創作から離れている
当時どのように話を作っていたの
全く記憶にない
でも読み返すと出来は悪くないと思うし
私らしい内容になっていると思う
母に毎回プリントして送っていた
それが足腰弱くなって 本を読むのだけが楽しみという母に
送っていたがそれが私にできる親孝行だと思った
それから毎月分k本を送った ラジオ深夜便の雑誌も一緒に
ある時 母が天眼鏡を手にして本を読んでいる写真が』送られてきた
母は確かに本を読んでいた
私など面倒だからと本を読まなくなったというのに
白寿を前にした母 姉から電話があった
入院したから本は送らないでいいと
それから帰ってこれるかと聞いた
私は帰れないと答えた
姉はそれ以上のことは言わなかった

父の既得の時も葬儀にも帰らなかった
帰れない息子だった
母の時も帰らないと伝えていた
姉たちは私に何を言っても言うことを聞かない人間だと納得してた
その後母に関して何の連絡もないが 
私は母が亡くなったと理解した
「花を歌うかな」というメルマガを出してた
それが発展して「花物語」になった
なるべくしてなったと私は思う
母を意識し母に送ったものだが
母がいたからこそできた物語だった
そして私はこれまで書いてきたものの中で
一番好きなものが「花物語」だった
それを続けたい思いは確かにあるが
踏み切れない理由には 果たして続けられるだろうかという懸念がある
始めたところで休止中止になったらそれこそ何してるんだと自己嫌悪

ここで眠気・・・小休止
一旦投稿しておこう

編集機能があるのでここから続きを書けばいい
眠気覚ましと気分転換と
おやつの買い出しのための散歩から戻ってきました
0時回ってますから更新された韓流ドラマを観ながら書いていきます
この日記の目標は2千字
それと梅花藻をテーマに新・花物語を書くこと
韓流ドラマはいまいち押しの
あなたはひどいです 第15話
人が泣くのは
それなりの理由があるから

オフェリアだったか
川面に身を横たえて流れていたのは
亡くなった樹木希林の本だったか
その表紙が同じ構図の装丁だったような
調べてみよう

樹木希林 120の遺言 ~死ぬときぐらい好きにさせてよ (上製本) 単行本 – 2019/1/28

間違いなくオフェリア・・・『オフィーリア』(英: Ophelia)のイメージを重ねていると分かった
絵画の作者はミレー・・・ジョン・エヴァレット・ミレーで
晩鐘で有名なミレー(ジャン=フランソワ・ミレー)とは別人

『オフィーリア』の絵を覚えていたものの
その絵をどうしてみたのか知ったのか
見てどう思ったかどうしたか
その経過はすべて忘却の世界へ

あなたはひどいです 第15話
下手に利口なとこ

ひとつ思い出したことがある
少女の死に関して
しかし思い出すには昔の記憶
日記に書いているかもしれない
その記憶ともう一つの記憶
アナベル・リーの記憶
それらをたどるには気力がないし
必要ないだろう
今必要なのは・・・梅花藻に関するイメージ
それがオフェリアと重なる
それをどう結び付けるか
どう話にするか
それができた時
結びついたとき
嬉しいしその瞬間を待っている

しかし私はハムレットのことも
オフェリアのことも彼女の死も
およその知識しかないし
知ろう調べようという意欲もない
それでどう話を見つけるのか

これまでの「花物語」との整合性?異質なものに?
色々考えているときが面白い
どうなるものやら
どうにもならぬかもしれぬ
まだ1時過ぎ
いつもならまだ寝ている時間
3時4時から書き始めていたのだから
いつものように切羽詰まらないと考える気にならないし
まとまらないだろう
それより気になりだした
アナベル・リーは思い出したがもうひとつの記憶
死の少女?
たしか音楽でひとやすみのページつくりに関係してる
音楽と関係があると思うが
かすかな記憶をもとに
「死の少女 音楽」で検索
そして・・・見つかった
かなり言葉は違ったが検索に引っかかったのがありがたい
やはり音楽でひとやすみ関連で出会った曲だった

死と乙女
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
『死と乙女』(しとおとめ、Der Tod und das Mädchen)作品7-3、D531は、フランツ・シューベルトによる歌曲(リート)。詩はマティアス・クラウディウスによる。病の床に伏す乙女と、死神の対話を描いた作品。

乙女は「死」を拒否し、死神に去ってくれと懇願するが、死神は、乙女に「私はおまえを苦しめるために来たのではない。お前に安息を与えに来たのだ」と語りかける。ここでの「死」は、恐ろしい苦痛ではなく、永遠の安息として描かれている。ドイツでは、昔から「死は眠りの兄弟である」とよく言われており、ここでの「死」も一つの永遠の安息として描かれている。

「死と乙女」とタイトルが分かったので再度日記検索してみる
ヒットしなかったのでシューベルトの名だけで検索
するとヒットした
タイトルは『死と乙女』ではなく「死と少女」
だから最初の検索ではヒットしなかった
「死の少女」でも当然だめだった
微妙なところだが正確ともいえる

■10  意味を調べた詩 2003/02/10 02:41 ■Res■
From:イチロー55 URL:http://www.interq.or.jp/black/ichiro/

♪ 死と少女 Der Tod und das Madchen ♪(DEATH AND THE MAIDEN)

◆作曲 F.Schubert
◆訳詞 乙骨 三郎

 << 少女 >>
去りぬ とくとく
よみの神よ
おとめのわれを
許したまえ 許したまえ

 << 死 >>
とくと来よ 清きおとめ
われは ながよき友
心しずめて
わが腕に眠れや


ある人がこの詩の背景が気になると書いていた。私は、そう書いた人のことが気になった。
それがこの詩について調べてみようと思ったきっかけ。
シューベルトのこと、作詞者のことから検索機能を使って調べていった。検索・・・リンクの旅はいろんな方向へと広がっていった。
詩の意味より、調べる事自体に興味が移っていた。いい経験をしたと思っている。


「死と少女」のMIDI
「Ueno's MIDI Room」●世界の歌
http://www8.gateway.ne.jp/~t-ueno/


いろいろ記憶をたどって検索してきた
時間つぶしみたいなもの あまり意味のないことかもしれない
自分のためには大いに楽しい時間
検索で目的にヒットした時はやったと声を出しそうになる
今回もその経験を味わった
肝心なのは梅花藻を新・花物語でどう表現するか
まだ考えもしていない
他のことばかり調べている
それも無駄ではないが
肝心なことから逃げているようだ

一応ここで字数確認しておこう
色々都合があるからね
目標の2千字は超えている
だから今日も1万字日記達成・・・当然のこと
日常だからね 達成なんて言葉も必要ないね

字数問題はクリア
だからいよいよ花物語のケリをつけないとね

新・花物語~梅花藻

毎日訪問してコメントする
それを義務付けているブログがありました
私はそのブログで梅花藻の画像を見ました
水面はキラキラ輝いていました
清水が流れるところにしか根を下ろさない花だと知りました

流れがないと死んでしまうとも
梅花藻が小さな白い花を咲かせる頃
普段は静かなその町に
梅花藻を見に多くの人が訪れ賑わいを見せます
花は人なぜ人の心を魅了するのでしょう

私は梅花藻の画像を見てある画を思い浮かべていました
どうしてその画を見たのかは忘れました
美しい女性が小川に浮かんで流されているようでした
でもその女性は水の流れに身を任せ水遊びで涼をとっているようでした
気持ちよくなって大空に語り掛けているようでした

私はもう一つのイメージが浮かんでいました
音楽でひとやすみというHPのコーナーでのページつくりで知った曲がありました
シューベルトの「死と乙女」
過去の日記を保存しているブログでその記述がないか検索してみました
訳詞を調べて記していました

この二つのイメージで梅花藻の話がつくれないか考えてみました
それは過去の「花物語」の紹介が終わってしまったので
新しい「花物語」が出来ないかと考えたからでした
これまでとは違う「花物語」を梅花藻でと
梅花藻は私にそうさせる何かがあったからでした


参考
死と乙女
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%BB%E3%81%A8%E4%B9%99%E5%A5%B3
オフィーリア (絵画)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%82%A2_(%E7%B5%B5%E7%94%BB)


結局話はできずに
こんなことを書いて
「新・花物語」のスタートにするつもり
それでいいのかな?
それでいいのだ

mixiプロフィ
藤川一郎
京都市北区紫竹北大門町37 葵荘17号
075-493-4676

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?