見出し画像

「ビ・ハイア問題」と「一月万冊」と~3

烏賀陽弘道氏のツイートを考える~2回目
「ビ・ハイア問題」と
「一月万冊」にゲスト出演されていた方々・・・
安冨歩氏と烏賀陽弘道氏と本間龍氏のお三方を尊敬し
その活動に信頼を寄せていただけに
この問題についての考えやツイッター上の対応について
私との考えの違和感が気になり
畏れ多いこととは思いつつ
私なりに考えてきました
今回は烏賀陽弘道氏の2回目になります
書きながら考えて行くのが私のやり方なので
これからどうなるか自分でも分かりません
この回で終るのか まだ続くのかさえ分かりません
とにかく書き始めることにします
なお烏賀陽氏についての回が終われば
本間龍氏について そのツイートを読み進めていきます
清水有高氏については
今のところ書くよ予定はありません
私が「一月万冊」をYouTubeで観るきっかけは
安冨歩氏の関連動画としてであり
それまで清水有高氏は全く知りませんでしたから
だから私の関心はゲストのお三方の話でした

「ビ・ハイア問題」の報道に触れてからというもの
事実・真相は?と考えていました
そして先に述べたお三方との考えの違い
その対応への違和感
尊敬し有能な方々との私の違和感はどこから来るのか
それを自分に問い続けました
この一連の文章は 私なりの思索の結果
これを書きつつ考え そうすることで
私の確信になりつつあります
それを決定づけた一つの問題は
匿名と実名問題 これについての考えの違いについて
自分なりの考えをまとめていく中で
一つの確信を得ましたが
この問題での相違が何に起因するものか
その答えにはまだ至っていません
不思議とお三方は同じ考え
その考えと私は相いれないのです
それは
「ビ・ハイア問題」での考え方とも共通する相違です
不思議なことです
この相違には共通する何かがあるはずです

私は争い議論が嫌いな人間です
それらから逃げてきたと言えます
それは確固たる自分がないからです
自分の思想・考えが無いに等しい
あったとしても人と議論するほどのものを持っていないからです
勉強してないからです
だが今回の問題は
自分が感じたものの正体
違和感の正体を突き止めたいと思いました
それは
「ビ・ハイア問題」の真実を知る道に
通じていると思うからです
何度も書いていますが
お三方はそれぞれに社会的地位のあるお方
それぞれに社会的に有益な活動をされているお方
そして私が尊敬してきたお方です
それらの方々にあえて私の考えを問う結果になります
考えられないことです
でもそうぜざるを得ない何ものかが
私の心をとらえています

前書きが長くなりました
前回は烏賀陽氏の最近の「ビ・ハイア問題」関連の
二つのツイートから匿名実名について考えてみました
今回は予告通り 「ビ・ハイア問題」が報道された日にさかのぼり
烏賀陽氏のツイートを考えてみます
そうすることはそのまま
「ビ・ハイア」問題について考えることになるはずです

「ビ・ハイア問題」に関連した烏賀陽氏のツイート

このツイートで感じるのは
これはあくまで私の印象ですが
「なんでこんなに言い分が180度違うんだと仰天します。」
こう書いてありますが
何に「仰天」したのかといえば
「言い分が180度違うんだ」という点
原告側が清水氏から受けたパワハラについては
何も触れていません
17日以前に私が「一月万冊」の動画で知り得たことは
一時期清水氏が問題を抱えていたということ
親友?に裏切られたということ
烏賀陽氏に深夜電話をし
長時間相談に乗ってもらったことがあるということ
それぐらいは分かっていました
おそらくその時 被告側の事情について清水氏からの情報を
かなり聞いていたでしょう
烏賀陽氏の心情としては
清水氏側に大きく傾いていただろうと思われます
このツイートからはそう断言できる材料はありません
あくまで状況からの私の推測です
だから原告側が受けたパワハラについてはなんら触れず
関心を示していません
「仰天」したのは両社の言い分が違っていたということ
被告側の会見を知った段階で
パワハラで清水氏が訴えられたことを知った段階で
烏賀陽氏は「仰天します」と思ったなら
原告側か被告側かのどちらの主張が正しいのか
その真相を知りたい確認したいと思わなかったのでしょうか
そういう気持ちがあれば ジャーナリストとして人間として
どういう対応をとるべきか 自ずと考えたはずです

私はショックを受けました
「一月万冊」を観て清水氏については
そのプロデュース力と行動力に感心していたくらいです
だから被告が言うようなことがあったのかと
それこそ驚きショックを受けました
大山氏の死を知ったのも会見の記事ででした
烏賀陽氏が原告側の主張に全く触れていないこと
言い分が違っていたことに「仰天」したとの記述
私は
私の思いと何かが違うなあと感じます
烏賀陽氏は原告の主張をご自分で確かめようと思わなかったのか
パワハラが事実かどうか 気にならなかったのか
パワハラを受けたと主張する原告の当時の様子を想像し
心が痛まなかったのだろうか
私の思いとの違和感
だがこれはまだあくまで私の印象にすぎません
そのことに何の根拠もありません
ただ私が最初ニュースの記事を目にしたとき受けたものと
烏賀陽氏のそれとの違和感は
そもそもの最初のツイートから始まったようです

烏賀陽氏は記者としての経験と実績
自身の実際の民事裁判の経験
ジャーナリストとしての問題意識と
専門的知識を駆使した取材活動と著作活動などなど
私などが及びもつかぬ存在の方です
それでもあえて烏賀陽氏と私の違和感を
氏のツイートをもとに考えてみようという試み
私にあるのは自分の感性だけです
感性を信じて考えるだけです

「刑事事件で警察に届けましたか?」

私は頭が悪いので
複雑な問題は単純に考えるようにしていると前にも書いています
それをいつも念頭に置いて考えます
上記の二つのツイートに書かれていること
私には難しい
そこで烏賀陽氏に対する一つの疑問
烏賀陽氏が記者に問うていることを
烏賀陽氏に問うてみたい
原告側に「刑事事件で警察に届けましたか?」と
あなたは聞きましたか?
聞いていないなら
あなたにとってこの問題は
聞くほどのことは無いということですか?
私から見れば
原告の主張に耳を傾ける気がない
原告の心に寄り添う気持ちもない
そういう態度に思えます
もう一つ
烏賀陽氏に確認したいことは
清水氏との関係に距離を置いてみましたか?
原告と被告に分かれ
主張が真っ向から対立しているのですから
どちらに真実があるか
どちらの主張が信じられるか
知りたいとは思いませんでしたか?
そんなことは問うまでもないと思ったのですか?
あなたの立場として ジャーナリストとして
双方から距離を等しく置くことが必要ではありませんか?
そして双方の主張をあらためて聞く姿勢が必要では?
今のところ烏賀陽氏は
少なくとも原告側の話を聞いてはいないようです
その必要はないと思っておられるのでしょうか

そのことへの烏賀陽氏の答えと思われるものが
次の民事裁判についてのツイート
次のツイートにつなげるための
これまでの二つのツイートは布石だったように私には思えます
そう思うと烏賀陽氏のツイートには
一貫したものがその底にはあるように私は思うようになりました

次は民事裁判についてのツイート

烏賀陽氏の「民事訴訟取材に臨む心得」が書かれている
その中から私が気になる烏賀陽氏の考えを抜き書きしてみる
・①民事提訴での原告の主張は「原告から見た現実の見え方」でしかない。
・③・・・中略・・・一審判決まで1年半から2年くらいかかる。それを待っても遅くない。
・④しかし判決も真実そのものではない。民事裁判には真実の発見能力はない。裁判官にもその意思やつもりはない。双方が論を述べてどちらが説得力があるかを決める裁判官の説得合戦に過ぎない。

「ビ・ハイア問題」の記者会見を報じた朝日の記事をRTして
書かれたものだが そこにはもう「ビ・ハイア問題」はどこかに行っている
「一審判決まで1年半から2年くらいかかる。それを待っても遅くない。」
烏賀陽氏はそれまでなにもしないということだろうか。
つまり「ビ・ハイア問題」に何の問題意識も持っていないとしか読めない
刑事訴訟していないので原告の主張の信用性には問題がある?
民事提訴での原告の主張は「原告から見た現実の見え方」でしかない・・・
という考え方で今回の原告側の主張を一顧だにしていない
これまで私が抱いていた烏賀陽氏の「ビ・ハイア問題」についての
考え方や対応に抱いていた私の違和感は
ますます深まっていく
原告側の主張を読んでどう思ったのでしょう
原告側が主張する追い込まれていた生活の様子を
想像したことはあるのだろうか
もしその原告側の主張通りだったらと考えたことは無いのだろうか
被告側が主張した大山氏の自殺前日の様子を
大山氏が発した心のメッセージ
「私は死んだほうがましですか?」
この言葉を烏賀陽氏は気にもしなかったのだろうか
これまでの烏賀陽氏のツイートを読んで
原告側の主張を無視しているとしか私には思えない
それこそが何度も書くが
私の烏賀陽氏への違和感
ジャーナリストとしての問題意識に
大きな疑問を持ってしまう
素人で無知な私ですら「ビ・ハイア問題」は
パワハラとしてその真相を知りたいと思うし
追及されなければならない重要な問題と思う
現実に一人の女性の命が亡くなっている
それらの真実を知りたいと思うのが
人間として
まして真実を追求するジャーナリストとしての
使命ではないだろうか

大山氏が自死した時
何も疑問を感じなかったのだろうか
原告側が置かれた状態に気が付かなかったのだろうか
気づかなかったのはなぜか
そんな疑問も起きなかったのだろうか
パワハラは他人の目には気づかれずに進行する
とまれ大山さんの自死の時
何ら疑問を抱かなかったとして
それはそれで問題だが
被告側の様子が分からなかったとして
今回 元社員と彼女の遺族が訴訟に訴え
その記者会見があって報道され
原告側の主張が私たちの目に触れることになった
この時に
烏賀陽氏はどう思ったのか
以前と同様に何も見えない何も疑問に思わない
そんな状態だったのだろうか
このようなことになっても
烏賀陽氏の考え対応は
氏のツイートで見て来た通り
烏賀陽氏が
事の問題が何も見えない状態になっているとしか思えない
それはなぜか
外から見ている人にはそんな事態が良く見えるのだろう
一番近くにいる者が
一次情報を知る立場にあるからといって
一番真実に近いとは限らない
目の一番近くにある鼻が
はっきり見えないように

ネットでは様ざまな情報を得ることが出来る
素人の私でも
その気になれば様々な情報に接することが出来る
もちろん取捨選択しなければならないが
「ビ・ハイア問題」でも様々な意見が語られている
いまでも烏賀陽氏にこの問題を問うている人がいる
私もその一人になった
その人たちの意見に耳を傾ければ
見えていなかったものが見えるようになると思うが
烏賀陽氏はツイートで
「もし原告側が「奴隷」と主張するような物理的な監禁状態があったなら、警察に刑法での被害届を出すだろうし、警察もこれほどひどいなら動かざるを得ないと思う。」
と書いた
「奴隷役」「ゲスト役」という言葉で
「ビ・ハイア問題」と同じような体験をした人が
ツイートしている
烏賀陽氏は清水氏に
ゲスト役としてとりこまれているのではないだろうか
ここでは烏賀陽氏に
ご自身の一つの解決の方向のヒントを提示するにとどめ
次回も
烏賀陽氏の次のツイートを考えてみたい
そのツイートは

この回

あるときは
ichiro70
またある時は
無名居士
してその実体は
藤川一郎
京都市北区紫竹北大門町37番地 葵荘17号
075-493-4676
ichiro@black.interq.or.jp


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?