世田谷記録会 指導の視点

4月6日、世田谷記録会で、教え子の3選手が力走してくれた。

結果は以下の通り。(青いラインの選手)

吉里は私が現在指導する駿河台大学駅伝部に所属する3年生で、平賀・越智はかつて同駅伝部で指導した選手である。吉里の4年先輩が平賀と越智だ。なので吉里は2人とは同じチームになったことはない。

それでもレース後、彼らは「身内には絶対に負けたくなかった」と話してくれた。3人が近い位置でゴールに雪崩れ込んだのも、もしかしたらその気持ちが作用したのかもしれない。

レース後に、記録会に向けての練習プログラムを訊いたが、これも面白いことが分かった。今回は個性のまったく違う3選手の特徴と指導的な視点を書くことにする。

私が考える指導において一番大事なこと。それは性格や走りの適正・タイプを分析し、見極めることだとだ。
Twitterにも呟いたが、平賀、越智、吉里、3人の特徴をもう少し詳しく書いてみようと思う。

まずは今回13分54秒を叩き出した平賀。彼は学生連合のメンバーとして2度箱根駅伝の経験もあるランナーだ。
平賀のランニングフォームは、リズムカルに上半身をうまく使うことで股関節の速い捌きを可能にし、ピッチで推していく特徴がある。

温厚で口数少なく、うちに秘める闘志を感じさせ、トレーニングプログラムを計画通りこなし工夫ができる選手。

またレースにおいても、組み立てやレース勘(メンタルのコントロール)が他の選手に比べて桁違いにうまい。彼はレース中フロー(心理的に最高に集中して、リラックスしている時のこと)の状態に入れるのだと思う。《やってきたことが100%出せる》選手というのが私の評価で、強くなっていく選手の理想と言っても過言ではない。
苦労したことと言えば、口数が少ないのでコミニュケーションが上手く取れなかった事ぐらい。

次に越智。彼は「類い稀なる才能」を感じる選手。ある程度、走ることに関しての知識がある人ならば同じ見解だろう。ランニングフォームがスムーズ(上下のブレが少なく推進力を生む走り)で美しい。

そして何より彼が持っている才能でずば抜けているのが、《イメージする力》。彼にしかわからなくても、本人の中で感覚的なイメージができれば高いパフォーマンスを発揮出来る。ただ、イメージで身体を使いこなせる分、実際の能力以上のものを出すことによるデメリットも生じる。身体の基礎的な能力の構築ができていなければ、筋力・バランス・心肺機能などのへ負荷が当然高くなり、それによるダメージは鍛錬を積んできた選手に比べれば故障や結果を積み重ねられないリスクとなって返ってくる。贅沢なようだが、それが彼の課題だと私は思っている。

性格的には、自由奔放。あくまでも私が彼を見た4年間の話だが、これまでに指導した選手の中では、練習量が一番少ない。また、意識ややる気の浮き沈みが激しく、パフォーマンスが安定しない。逆に言えば、彼が目的意識を持ち、モチベーションが良い状況になればどこまで強くなるのか想像ができない。未知の可能性を大いに秘めた選手ということだ。

最後に吉里。彼は入学当初から、目的意識がしっかりしていた。目的意識は強ければ強いほど行動に表れ、理想を実現する可能性が高い。ケニアでの2ヶ月間の合宿をもしっかりとこなせる環境適応力には感心させられる。どんな環境でも、目的意識を持って取り組めるのは彼の成長にとって大きな武器である。そして何より、自分の心理的限界に近いトレーニングを積み重ねることが出来る。簡単にいうと自分を追い込めるということだ。《目的意識を持ってトレーニングを積める》選手は、やはり強くなる。

ランニングフォームなど改善すべき点は山ほどあるが、上半身をうまくコントロールできた時の走りは、爆発的なスピードを生む。ランニングエコノミー(簡単に言うと走りの効率)のバランスがとても良いので、トラック種目で日の丸をつけられる可能性があると、私は信じている。

それぞれの特徴がある中で、世田谷記録会までの練習プログラムは(話を聞く限りではあるが)吉里が一番計画通りに行えたようだ。13分57秒で自己ベストをマークしたわけだが、私はひそかにもっと良いタイムを想定していた。だから13分台であっても結果に結びつかなかったというのが正直な私の評価だ。
逆に平賀は故障明け1ヶ月で戻してきての結果。本人も上出来という評価だった。私も同意である。
越智は、13分台を出せるイメージは出来ており、練習も本人曰く、今まで以上に手応えがあったみたいだが、残念ながらお預けのレースになってしまった。ただ、私の評価は少し違う。練習量の割には、かなり良い結果だ。それだけ質の良い練習を積んだのかもしれない。

このレース、越智は120%、平賀は100%、吉里は80%の能力しか出せていないのではないかと感じた。もちろん数字でそのような能力を表せるはずもなく、あくまでも私が分かりやすく書きたいが為に数値化させているだけだ。

1位でゴールした浦野雄平選手(國學院大學4年)との実力の差は感じた(レースの主導権握る選手は強い!)ものの、平賀のレースの組み立てのうまさは改めて感じた。とにかく自分の力をしっかり把握し、うまくエネルギー配分しながらレースができる。課題は勝負となった時に、相手に勝つための距離をしっかり見定めてレースが出来るようになることだ。もう少しうまくレースを組み立てられればトップを獲ることだって可能だったろう。

その点一番下手なレースをしたのは吉里、自分のやってきたことがうまく出せていない。本人の中では「とにかく13分台」というのが頭にあったようだが、私はこれを好まない。しっかりと《勝つことに集中する》選手になることの方が大事だと私は知っているからだ。(私はそう信じているので、そういう指導をします。)
タイムは結果としてついてくるもので、レース環境やレースの流れは毎回違う。その中でいかに戦略的にレースができ、勝つことができるか?タイムに囚われてしまうと焦りが生まれ無駄なところで力を使う。この辺りは、本人としっかり話し合って次に向けての課題として確認した。

平賀は故障1ヶ月でここまで仕上げてきたと言っていた。故障の時期、期間は不明なのでなんとも言えないが、数週間前のハーフマラソンで62分台の自己ベストを更新してきたことも併せて考えると、故障の影響はさほどなかったのだろう。もしくは故障中のトレーニングを怠らず能力の向上に費やしたのかもしれない。
故障明け1ヶ月で能力を発揮するのだから、彼は高いパフォーマンスを出せる身体の動きを覚えておく能力と、走れる身体を維持または短期間で作れる能力を持っているのだろう。それは大学時代から変わらない彼の長所だ。

個人的な見解だが、彼らの記録会までの練習プログラム、そして今まで培ってきた物、レースで見せた成長、様々なことを考察した。個性のまったく違う3選手を見て感じることは、最近チームの指導で感じることとイコールだ。

私が駿河台大学駅伝部のコーチに就任したのは2011年11月、そして監督になったのが2012年4月。監督としては8年目のシーズンを迎えたわけだ。

そんな指導者としてのキャリアの中で感じたことは、乱暴な言い方だが、練習プログラムはなんでもいいということだ。世田谷記録会の3人の結果を見ても、やはりそう感じた。
練習において大事なことは、与えられたものをこなすことではない。何よりも大事なことは、私たち指導者が提示するトレーニングプログラムを選手自身が目的に沿ったものに書き換えることだ。誰もが強くなる画一的な練習などはなくて、選手一人一人の能力が違う以上は自分で課題を把握し、自分で組み立てていく力が必要なのだ。自分の組み立てたプログラムをこなす中で、強くなっていると実感すれば自信にもなるだろう。成功体験を積み重ねる心理的な要素においても、必要なことなのだ。

陸上長距離は指導者がいかに指導したとしても、レースになれば選手は一人だ。選手それぞれがレース展開を読み、組み立て、自分の力と状態を考えながら走らなければならない。
練習も同様で、最終的には自分のことは自分で感じ、考えるしかないのだ。同じ練習をしたからと言って同じように力が付くわけではない。それぞれに必要な要素が違うのだから、当然練習プログラムも違ったものになるだろう。そしてこの《必要なものを見極める能力》こそ、練習においては大事なことなのだ。

よく正しい努力、無駄な努力という言葉を使う人がいるが、実際のところそんなものは競技人生を終えるまで分かりようがない。あのイチローですら「遠回りすることが一番の近道」と語ったように、自分に必要なスキル・最適な練習方法を絶えず模索してきたのだ。《必要なものを見極める能力》、そのためには多くの経験と失敗が必要なのは言うまでもないが、やはり強くなるためには絶えず模索していかなければいけないスキルである。

私の指導者としてのスキル向上に、今回の3選手は非常に役立ってくれた。またこの3人のガチンコのレースが見たい。これに割って入る選手が、今後私の指導する選手の中から出てくれることも期待しながら、彼らの活躍を見守りたい。

頂いたお金は執筆活動のために、ブルーマウンテンコーヒーを飲むために使わせていただきます。 またサポートしてくれた方にはできる限り質問に答えます。