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生活を踊る

ちゃんと生活がしたい。

そう思い始めたのは一人暮らしを始めてからだろうか。



生活をする、っていうは、日々をただ生きることじゃない。

自分のやるべきことをしっかりとやる中で、自分を自分たらしめること。
自分について悩んだり、
思わぬ自分に驚かされたり、ガッカリすること。

社会人になって自由な時間が学生の頃と比べて極端に減ってから、そんな風に生活をとらえるようになった。

自分で作った出来立てのごはんを食べる。
自分で作ったパスタが美味しすぎて食べ過ぎたり、
一人で、うまっ!と唖然とすることもある。

洗濯機を回してパンツを干す。
最近ゴムが伸びてきたなあ、でもまだはけるしなあ、なんて悩んでたら洗濯物は全部干し終わってる。

気になっていたキッチンの汚れを磨く。
なんでこんなとこ汚れてんの!?ってこの前のパスタじゃーん、って一人で項垂れる。

卵とパンと牛乳を買いにSEIYUに行く。
ついでに玉ねぎとキムチとチーズと、、、
って買ってたらこの前お会計が5000円超えて笑ってしまった。

コンビニで水道代を支払う。
レジをしてくれた外国人店員の名前が実家で飼っている猫の名前で、変な愛着と郷愁の思いが湧く。

近所のコーヒー屋でボーっとする。
気づいたらマグカップは空に。

お気に入りのAVをゆっくり鑑賞する。
最近推しの女優さんが引退しそうで怖い。


全部簡単なようで簡単じゃない。
いやAVは観るだけだけど。
生活をするには気力が必要だ。


生活をちゃんとするだけで休日が終わってしまう、ということもよくあるけど、
もったいないとは全く感じない。
むしろ、ちゃんと生活したぜ!やってやったぜ!と達成感で胸がいっぱいになり、
夜はぐっすりと眠ることができる。




自分の生活をちゃんとしているからといって、一人が特別好きという訳じゃない。
なんなら寂しがり屋だもの。

でも誰かと会うのは、会えるのは、自分の生活をしっかりと送ることができてこそだ。

生活をないがしろにしてまで誰かと一緒にいると、
例えようのない後ろめたさに苛まれてしまう。

生活をちゃんとしていない自分は、
なんだか何か欠けているような、
本当の自分でない気すらしてくる。

それに、そんな生活の中で出会ういろんな自分を知ってこそ、
休日に会いたくなるような面白い人間になれるんじゃないか、
と密かに期待してる。面白くなりてえ。

仕事の話も面白いが、
家に帰って仕事着を脱いでまた切るまでの内容の方がよっぽど人間味がある。

お互いの生活の話をしよう、
と言われればいくらでもしゃべってしまいそうだ。






生きることは、踊ること。


大好きな星野源がそう言ってた。

この言葉の意味がずっとしっくり来なかったけど、
生活をちゃんとやるんだって意識し始めてから体に馴染んでいくようになった。


布の擦れる音が、
皿を重ねる響きが、
窓から聞こえる声が、BGMに。

身体を洗う順番はまるで振付みたいに。

ステップを踏むように歩き。

歌うように笑いたい。

そんな風に生活を面白く感じ取ることができたら、
毎日が本当に明るく楽しくなってくる。


これだから生活はやめられない。

生活を踊ろう。