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意識的な生活をするということ健康で文化的な最低限度の生活とは?資本主義の世の中で自分自身を生きるために

あおいとり通信vol.10
意識的な生活をするということ健康で文化的な最低限度の生活とは?資本主義の世の中で自分自身を生きるために

2020.09.18

半自営、半アルバイトで自転車操業をしているせいなのかもしれませんが、
自分の時間、自分のお金、自分の能力をどこにどのように使うか、または使っているのかに日々向き合わざるを得ない状況になってきます、よくも悪くも(笑)
これらは現代に生きる上での本質的な部分ではないかなと思います。特にお金。
健康で文化的な最低限度の生活、
というのは、経済的に自立しつつ自分自身でいられるための最低のラインと言い換えることができるのかな、と、ふと思いました。

例えば、目に見えない価値観(サービスなど)や、生活必需品以外のもの(趣味や教養、習い事)にお金をかけられるのは一昔前はある程度お金がある人のものという考え方が一般的だったように思いますが、いまではその人のアイデンティティ「自分自身であること」を形作る上でその人にとって大事なものはその人が生きる上で必要であると主張する権利がある、という意見がより受け入れられてきているように思います。

言い換えればこの世の中ほとんどの物事に値段がついてしまったから(お金で買えてしまう)こそとも言えなくもないのですが。
だからこそなんとなくお金を使うとか、なんとなく時間を過ごすことができなくなっていって、ひとつひとつに意味を求め出すと結果的に窮屈な生き方になってしまい、自分を追い詰めることになるなあと気がつき、
何事にも、もう少し肩の力を抜いて向き合おうと思いました。

あんまりガチガチに構えすぎると、必要なところで出し惜しみ、結果的に不本意なエネルギーの出し方をしてしまうという、人の不条理に気がついたので...
大事なことには時間をかけて色々な方向から検討して決断を下すのは大切なプロセスですが、
それを何にでもやると、
私の場合はいちいち慎重になりすぎて、結果的に楽しくない
「これは!」と思った時にサッとうごく、お金を出す、気持ちを向けることやな、
と思いました。

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