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ソウルフィルド・シャングリラ 第五章(3)

承前

西暦2199年7月8日午前4時20分
澄崎市南西ブロック海面下居住区跡地・陥没孔

 気を失っていたのは一瞬。護留はすぐに起き上がる。
 周囲は瓦礫の山。上を見上げると、やや明るみ始めた空。増光素子が入った建材も尽く倒壊しているのに何故こうはっきり見えるのか。
 その答えは護留の目前に浮かんでいた。『Azrael』完全覚醒体――悠理が発する光のおかげだ。
 光は全周から集まってくる。青白い、魂の光だ。この崩壊で死んだ者たちの魂を悠理が己が裡に格納しているのだ。
 ――名も知らぬ少女の母親や、物乞い市場にあったあの変な服屋の魂も、きっとその中にはあるのだろう。
 護留と悠理の周囲半径5メートル程には瓦礫は全く落ちていなかった。
 ――悠理が護ってくれたのか。
 悠理は蒼い目を少し先の瓦礫の山に向ける。と、そこは中からの衝撃で崩れた。グリムリーパーが三体、そして時臥峰が姿を現す。傷だらけだが、生きて立っている。その足元には二体のグリムリーパーが滑稽なほど平らになって潰れ、死んでいた。
「護留さん」
 誰が発した声なのか、一瞬分からなかった。聞いたことがない声だから、ではない。むしろ聞き慣れていた――頭の中で。
 五年間ずっと自分の中で響いてきた、『Azrael-02』の声。だからそれが外から聴こえることに違和感を覚えた。
 発言の主は、もちろん悠理だ。
「――いってきます」
 そう言って微笑むと、金色の髪の毛が殻のように悠理の体を包み込み、衝撃波とそれに伴う金切り音を伴い、一気に遥か上空まで昇って行った。
「……挨拶の返事くらい聞いてから行けよ」
「おい、引瀬護留、今のは――なんだ。あのメスガキは、天宮悠理ははどうなったんだ!」
 時臥峰がヒステリックに詰問してくる。
「僕が知るかよ」
 もちろん何が起こったかは把握している。ナイフを刺した部分から逆流してきた〝声〟は全て聞いていた。
 そしてその結果自分がどうなるかも、もう理解している。
 掌から新たにナイフを生やす。
「今さらもう、どうこう言っても遅いけど。いずれ起こる不快で不可避な、既定の基底だったとしても。お前が来なければこうはならなかったんだ」
 低く、宣言する。
「だからせめて意趣返しはさせてもらう」
 混乱の極みにあった時臥峰はナイフを構えた護留を見て、冷静さを取り戻す。
「とにかく『負死者』、てめえだけでも確保する。――やれ」
 グリムリーパーに命ずる。三体の死神は手に持つリヴサイズを構え、戦闘速度で護留に向かって突進した。
 護留の左右を挟むように、二体のグリムリーパーが時間差をつけてリヴサイズを横に薙いできた。右は胴体を、左は脚を狙っている。そして正面から更に一拍遅れて三体目。
 護留はどちらも躱さず、ただ目前の敵の腕を狙った。鎌の刃が護留を貫き、熱した硫酸を血管に直接注ぎ込まれたような、劇的な痛みが襲ってきた。常人ならば魂を引き剥がされ、即死だろう。そうでなくてもこの痛みでショック死は免れない。だが護留は死なない。死の為に生きてきた者が、今は死を従えて戦っている。
 下から掬い上げるような斬撃は、死神の装甲服の隙間に吸い込まれていき、リヴサイズを持つ腕を一太刀で叩き斬る。そのまま腕を落とした反動で喉を掻き裂くと、手刀に構えた逆手で頚椎の副脳を貫いた。
 まずは一体。
 胴体は防刃ナノ繊維が特に集中して編み込まれている部分だったので、斬撃は肋骨を圧し折るだけにとどまった。体内で折れた骨が自ずから動き元の場所で癒着する。食道を飛び出そうとした血も逆流していく。
 だが脚を狙っていた鎌は狙い過たず物理攻撃モードで護留の肉と骨を断ち斬った。護留は派手に転倒し、グリムリーパーが死体に集る鴉さながらに徹底的な追撃を行った。振り下ろされる鎌、鎌、鎌、鎌、鎌、鎌。
 ここまでで5秒。
 続く1秒で護留は蘇生、全身86ヵ所の致命傷を回復しながら手近のグリムリーパーに頭突きし、その黒い仮面を粉砕する。もちろん自分も同様のダメージを負うが構うことなく腕と脚を出鱈目に動かし、肉帯や鋭い骨片を使って包囲から脱出した。頭から零れた頭蓋骨や脳漿はすぐに体内に格納される。
 頭突きをくらったグリムリーパーは顔面を抑え、ガクガクと痙攣している。擬魂と体内のナノマシンが全力で傷を治癒している。だが助からない。何故なら、頭突きの際にわざと相手の体内に血肉や骨が残るようにしたからだ。
 グリムリーパーが一際強く痙攣すると、治癒プロセスに乗っかり全身に巡ってしまった護留の血液が、肉が、骨が体を突き破って飛び出してきた。まるで体内で爆弾が爆発したかのように、グリムリーパーは四散した。
 残り一体。
(警告。『Azrael-01』への内丹炉群の移譲により、体内での反魂子生成が停止中。超再生〈モルフォスタシス〉機能に障害発生中。再生効率42%。『Azrael-02』の機能維持率15%)
 護留の傷は完全には塞がらず歪な形に固まる。その隙間から血液と、体内を循環する銀色のE2M3混合溶液が溢れては引き戻される。再生力の基になる反魂子が不足しているのだ。
 最後のグリムリーパーは己が擁する9つの内蔵擬魂を全てリヴサイズに注ぎ込む。鎌は青白く発光・発熱し、持ち主の手すら焦がし始め、ブスブスと煙が立った。人工心筋が極端な拍動を刻み、超高圧の血流が毛細血管を破り、グリムリーパーの周りに紅い霧が立ち込める。
 足を砕きながら地を蹴り、マントをはためかせ、上空から一閃する。自らを顧みないその戦い方はまるで護留と同じだ。
 覚束ない視界と足取りで護留はそれを迎え討つ。
 魂魄徴収モードのリヴサイズは護留の心臓を寸分違わず貫く。
「生憎だけど、支払える手持ちが今ないんだ」
 護留はそう呟くと、リヴサイズを構成するE2M3混合溶液の制御を自分の体内のE2M3混合溶液で逆に乗っ取った。ALICEネット阿頼耶識層最上位端末である『Azrael-02』だからこそ出来る理不尽な荒業だ。
 リヴサイズに宿っていた、グリムリーパーを駆動させる9つの擬魂が全て消滅する。唐突に制御系を失った死神の身体は、戦闘用に極限まで高められていた体温の排熱を行えずに、自然発火を起こし倒れ伏した。
 倒れこむ死神の鎌の先に宿るのは、通常の魂魄の青白い光ではなくか細い光の粒子――護留の体内に僅かに残っていた反魂子だった。
 護留の中にあった魂は、悠理に吸収された。
『Azrael-02』が入った魂を悠理に渡すこと。それこそが護留に課せられたたった一つの役割〈ロール〉。
「こんな――こんなことが認められるかあっ!!」
 時臥峰は叫ぶと護留に向けて銃弾を全弾撃ちこむ。
 撃たれながらも、護留はリヴサイズを拾い上げる。耳が吹き飛び腹には大穴が開き、左肘はちぎれかけている。
 周辺を漂う残留思念と反魂子が反応する際の眩い輝きと、非ユークリッド状に歪められた空間の鈍い悲鳴を上げるそれを、護留は片手で担ぐと助走をつけて、時臥峰に叩き込んだ。
「屑代より全然弱いな、お前」
 ぞり。
 鎌が触れた端から、時臥峰の肉体と魂魄が消滅していく――Azraelの力によって発散していく。
「弱いし、悪趣味だ。消えちゃえよ」
「あ? ああああ! あ――――」
 振り抜き終わると、そこには何も残らなかった。
 ふと護留は、今何を切ったのか分からなくなっている自分に気づく。
 途方も無く疲れていた。護留はグリムリーパーの死体の上に、仰向けに倒れこむ。
(超再生〈モルフォスタシス〉プロトコル、全ローテーション……失敗・中断。『Azrael-02』、再起動……失敗・中断。再試行……失敗・中断。再試行……失敗・中断。再試行……失敗・中断。『Azrael-02』の機能維持率0.3%。反魂子余残量0%)
 再生が、始まらない。
 それどころか、体の端から緩慢に崩れていく。指先の肉が沸騰し、腐爛し、液状化して流れ去る。掌から見慣れた筋肉繊維が飛び出し、そのまま黒く萎れて溶けた。毛髪がどんどん抜け落ちる。
「……ぃ、――――」
 息を吸おうと口を開けたら、顎がなくなっていた。肺からは、血ではなく比重の重たい輝く液体金属――E2M3混合溶液が逆流してきた。身体中の皮膚が逆剥け、融けていく。
 再生能力が消失している。止揚〈アウフヘーベン〉が起こった時――悠理にナイフを刺した時に、『Azrael』としての機能を全て悠理の側に持って行かれたからだ。
 さっきの戦闘での回復能力と、未だに聞こえる〝声〟は長い間にこびりついた残滓のような物だろう。だが、それも使い切った。
 周囲はところどころで崩落する瓦礫の音しかしない。この有り様では地上と、地下に住んでいた人間に生存者は皆無だろう。
 これからこの街の全域でこれと同じことが起こり――その魂は悠理が全て回収し、外に運び出す。
 それこそが告死天使〈アズライール〉の役目〈ロール〉。
「悠理、君は――」
 もはや声にならない声を上げ、護留は空を見上げる。
 灰色の空。
 そこに浮かぶ光点を中心に、光――否、あれは色彩だ――失われたはずの色が広がっていく。
 夜明けを迎えた蒼穹と、朝焼けの赤が澄崎市を覆っていく。

      †

 色彩を取り戻した街で、殺戮が始まった。
 崩落した南西ブロックの調査のために地上に展開した市警軍やその他の戦力に向かって、悠理はまるで舞うように、くるくると回転しながら急降下していく。
 翼のように拡がった髪の毛が燐光を発し、グリムリーパーの胴を柔らかく薙ぐと、一度痙攣し二度と動かなくなる。特邏が乱射する徹甲弾も、悠理の周りで浮遊する高濃度の反魂子に阻まれ、接触したそばから発散する。そして黄金の髪の隙間からは、悠理の蒼い眼が覗いており、魂持つ者総てを捕捉していた。
 グリムリーパーが開放する擬魂の輝き。特邏の撃つ曳光弾の筋。そして数多の吸い上げた魂が宿った悠理の髪の毛が振るう輝跡。それらが空間に残像を残す。
 背景は灰色のベールが剥がれた、蒼穹の大空。
 踊るように魂をさらう、死の天使。
 戦闘ヘリや装甲車までもが全て悠理の発する光――反魂子を浴びた傍から機能不全に陥り、墜落し、衝突した。
 公社の本社ビルの周囲では空宮の部隊と天宮の防衛機構が激しい戦闘を繰り広げていたが――悠理はそのどちらも意に介さずただただ魂を吸収していく。
 全ての抵抗を等しく無力化し、悠理は滑りこむように、天宮総合技術開発公社・本社ビルの最上階にある社長室に進入を果たした。

(続く)

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