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テンシ病~Meine Krankenakte・僕のカルテ~/No:PI - XX01XXSt 有料分追加

 





 夕日の差し込む室内は、僕にとって絶望の象徴でしかない。






   【 No:PI - XX01XXSt 】
 


 患者の基本情報。氏名、永尾《ながお》悠介《ゆうすけ》。
 男子生徒。高等部二年、十六歳。
 明るく社交的で、成績優秀。所属する水泳部では好成績で記録を伸ばし、顧問の自慢する二人の内の一人。
 診療日時。六月二十四日、十七時三十分。学校の放課後。
 主訴及び診察理由。羽化し、背中、肩甲骨下辺りから羽が生える。現在は痛み他、身体的苦痛は無し。
 六月二十四日起床後、着替えを終えた辺りで背中に痛みを覚える。午前中授業を受ける間、違和を感じるものの痛みは消えていたので放置。午後、トイレで背中の異物感に確認をすると突起が在り、羽が生えて来ていることに気付く。放課後、完全に羽化。教室で立ち尽くしているところを保護。

 診断結果。『展翅《てんし》病』。



「……」
 カルテを記入するためキーを叩く手を止めた。一つ溜め息を吐いて、僕は横を見た。
 男子生徒が、回転椅子に腰掛けて項垂れていた。男子生徒は口を噤み、標本に囲まれた生物の教科準備室は二人きりで、沈黙が重く垂れ込めている。僕もカルテを早々に打ち込まなければならないので、静かなのは結構だけれど。
「おい」
 とは言え、このまま放置する訳にも行かず声を掛ける。のろのろと、男子生徒が面《おもて》を上げた。若干未だ顔向きが下では在ったが目は合ったので問う。
「少しは落ち着いたか、須見田《すみた》」
 男子生徒は、須見田ようと言った。水泳部のホープで今年に入って毎回記録更新中の、顧問の自慢する二人の片割れ。
 そして、発症し今ここにはいない永尾の親友で。
 僕と担任以外に、永尾の羽を見た一人だ。



 高校で教師をしている僕は急ぎの事務仕事を終え、明日の授業の準備をしようと職員室で腰を上げた。と、丁度そこへ永尾のクラスの担任である久野《くの》先生が駆け寄って来た。余程焦って走って来たのか、呼吸を乱しつつ小声で。

“先生っ、発症者です!”

 報告を受け、久野先生と急いで向かった教室に到着した僕の視界に飛び込んで来たのは、夕日に照らされた中、室内で座り込み永尾を呆然と見詰める須見田と、そんな須見田を無表情に見下ろす永尾だった。
「────」
 夕日で赤く朱く染まる教室。
 愕然とする少年。
 背中の大きく食み出た羽。
 既視感を覚える光景に一寸だけ息を詰めて足を止めたのは、秘密だ。



「先生」
 須見田が僕を呼ぶ。何、と訊き返せば視線を外し俯いたまま、須見田は口を開いた。
 恐る恐ると言った風に、僕を見る須見田。僕は嘆息した。
「……。さっきとはまるで別人だな」
 僕の発言に、須見田がぼっと音がしそうな勢いで赤面して唇を噛んだ。先の醜態を思い出し、恥じ入っているのだろう。
 こっちのおとなしい姿が、教員も生徒も見知った普段の須見田だった。
 僕の揶揄に、恐縮して黙り込んだ須見田に再度嘆息し、尋ねた。
「何だ」
「……」
 口をもごもご動かし目をきょろきょろさ迷わせて、観念したみたいに一度口を引き結び目線を手元へ落とすと、須見田は言った。
「……永尾は、大丈夫なんですか……」
「……」

 既視感に襲われ足を止めた僕は、やや頭を振って気を取り直す。まず永尾に歩み寄った。着ていた白衣を背に掛けてやりながら話し掛けると、永尾は
“すみません、ありがとうございます”
 ちゃんと返事した。

“いつから? 痛みは?”“痛かったのは今朝です”“今は?”“在りません。異物感が在るくらいで”“そう……”

 受け答えこそしっかりしていたけどぼそぼそ答える永尾は、明るく社交的と常に聞く評判からは程遠く、実はショックを受けているのだろうかと僕は見ていた。
“……”
 永尾自身は僕と問答している最中も、ずっと須見田を見据えていたけれど。

「……久野先生にはあとできちんと謝って置くんだぞ」
「先生、」
「お前、見た目ガリガリだけど、水泳部らしく筋肉付いてるんだからさ。久野先生、小さいんだから」
 僕が永尾に話し始めると、久野先生も須見田に呼び掛けた、……のだが。
「……ごめんなさい」
「僕に謝られてもな」

 久野先生からの連呼に正気付いた須見田は、その久野先生を無視して立ち上がると問診を終え専門診療へ行こうと僕に連れられる永尾へ、叫んだ。
“永尾!”
 永尾は一旦歩みを止めてチラと須見田を流し見た。
“……”
 けれど須見田に何を言うでも無く、いっしょに止まった僕を促し去ろうとした。
“永尾! 待てよ!”
“きゃっ”
 ここで、小柄な久野先生を勢い良く振り払い、須見田が追い縋ろうとした。反応の薄い永尾に焦れたか、襲い掛からんばかりの須見田に僕も慌てて取り押さえる。
 尚も永尾に向かって行こうとする須見田は暴れた。手が付けられないのと、女性教師である久野先生には無理と判断し、僕は久野先生に永尾を専門診療へ連れて行くようお願いして今に至った。

「まぁ、僕も骨が文字通り折れる思いをさせられたけどな」
 大変だったー、と僕がにやっと笑うと、須見田は目を見開き「嘘だ……」抗議した。
「先生、びくともしなかったじゃないですか。何アレ締め技? 格闘技ですか?」
「ああ、小学校から高校受験まで、柔道やってたから」
 しれっと返せば、詐欺だ……、と須見田が顔面を引き攣らせて、たじろいだ。日頃白衣を着て、見た目がどう見てもモサい癖毛と眼鏡のせいで弱く見えるんだろう。……放っとけ。
「先生、意外に武闘派ですか?」
「至って平和主義だ」
「じゃあ何で」
「……。姉がやりたがって、ついでにやらされた」
 僕は須見田と会話しながら席を立つと、勝手に導入した私物の珈琲サーバへ近寄る。カップを食器ケースから二つ取り出しセットして淹れる。
「珈琲で良いか?」
「あ。……良いんですか?」
「みんなにはナイショな。砂糖とミルクは?」
「あ、ください。一つずつ……先生のお姉さん、随分アグレッシブですね」
 須見田へ笑い掛けて「まぁな」頷くと首元を軽く手繰り、隠しているペンダントを握る。チャラッと微かな音を立てて、そこに在った。
 珈琲を二つ淹れ終え、一つを須見田へ手渡す。須見田は受け取って礼を言うと、共に渡したミルクと砂糖を入れて掻き混ぜ、ふーふー表面に息を吹き掛けてからカップへ口を付けた。僕は元の席に戻って一口ブラックの珈琲を飲んだ。
「……先生」
「うん」
「それで、永尾は、大丈夫なんでしょうか……」
「……」
 言いづらそうに、だけども一等気になることを須見田は再び尋ねて来た。僕も、一等答え難いことだった。

『展翅病』
“成長期で身体の不安定な時期に、遺伝子異常を抱えていた者が『展翅病』を発症する。二次性徴を迎えた安定しないところへ起きるのだ”と言うのが、現代の通説だ。実際、発症者は十代後半にしかいない。けれども依然根拠は立証されず不明だった。染色体やら塩基配列やらその外を見ても、そう言う遺伝子異常が見付かっていない。いや。
 正確には、“痕跡が残らない”、か。

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