見出し画像

(1)はじめて雑誌の撮影依頼がきた頃の話 (〜2011年頃)

2011年の東日本大震災をきっかけにして、
私は、写真家の五味彬さんと出会って写真を見てもらうようになった。
それが写真で食べていけるようになったきっかけなのですが、
今思えばとても不思議な出会いだった気がします。


2001年〜2009年頃

24歳から始めた脚本も小さなコンクールで最終選考に何度か残った程度で、
30歳を過ぎても脚本家になれそうな気配は、まったくなかった。

その頃、脚本と並行して取り組んでいたのが、スナップ撮影と写真ブログ。
だから最初の写真の先生は、ブログ繋がりで知り合いになったアマチュアカメラマンの人たちだった。
写真がうまく撮れずに悩んでいると、
「プロになるわけじゃないんだから、いいじゃない」
という心無いコメントをする人もいたけど、
写真ブログの人たちは私の悩みを共有してくれてありがたかった。

とは言え、
写真家になれるなんて1ミリも思っていなかったので、
ただただ脚本から逃げるように、毎日カメラを持って、
スナップ写真を撮り歩くようになっていった。

そんな生活が2001年〜2009年頃まで続いた。


2010年頃

当時、私が好きだった写真家は岡嶋和幸さんで、
「岡嶋和幸さんが使ってるジッツォの三脚気になるなー」
みたいなことをツイッターに書いたら、
『ジッツォ良いですよ』と岡嶋さん本人が反応してくれた。
「岡嶋さん、コメントありがとうございます。なんでわかったんですか?」
とお礼を言ったら、
『誰かが僕の悪口を言ってないか巡回しているんです(笑)』
という冗談なのかマジなのかよくわからない返信をくれた。

いずれにしても、
今でいうエゴサのおかげで、
私は、はじめてプロの写真家とやりとりができるようになった。

写真の学校にも通い始め、
撮った写真を出版社などに持ち込み始めたのもこの時期だった。
しかし、どの出版社からも仕事の依頼は来なかった。


2011年3月

3月11日、東日本大震災が発生した。
世間では様々な業種のあらゆる仕事がストップしているようだった。
そんな頃、岡嶋さんが、被災地産品を持ち寄って花見をしようと誘ってくれた。
八丁堀の公園に集合して場所を確保した。
十数人の写真家が岡嶋さんの呼びかけで集まった。
その中の1人が五味彬さんだった。

岡嶋さんが「これだけ写真家が集まったのに一流なのは五味さんだけですね」
と言うと、
五味さんは「馬鹿野郎、俺は一流じゃなくて超一流だよ」と悪そうな顔をして笑ってたのが印象的だった。

五味さんは私にも話しかけてくれて、
「君は写真やってるの?今度見せにおいで」と言ってくれたけど、
見せる自信もなかったので、その時は社交辞令だと思うことにした。


2011年4月〜12月

私はその後も、ポートレートやモデルの作品撮りを増やして、
出版社へ写真の持ち込みを続けていた。
結果は変わらず。
仕事の依頼はまったく来なかった。
正直言って折れかけていた。
そんな時にまた五味さんから「写真持ってきて」と連絡が入った。

80枚プリントした写真をブックに入れて、
五味さんの所へ持っていくと、
私以外にも写真を持ってきている若い子が何人かいた。

五味さんは、私からブックを受け取ると、
80枚の写真をものの数秒でめくっていき、無言で閉じた。
「君いくつ? 写真やめた方がいいよ」
それが第一声だった。
「なにこのブスなモデル、なにこの気持ち悪いメイク、なにこのダサい服。
 いつまでもこんなの撮ってるんだったら写真やめた方がいい」
他の若い子たちも五味さんから同じことを言われて、泣いてる子もいた。
でも私は、どうして仕事が来ないのかその理由がようやくわかったので、
なぜだか嬉しくなっていた。

それから半年間かけて、作品撮りをやり直すことにした。
20代の時に入った生命保険を解約して生活費にあてることにした。
貯金は生活費でどんどんなくなっていく。
仕事が来なければ終わりだ。

ある程度、新しい写真が撮りたまった頃にまた五味さんから連絡がきた。
「また写真持ってきて」と。
新しい写真を持って五味さんの所へ行くと、
前回と同じように、パラパラと写真を見て、
ひと言、「ふーん、ま、いいんじゃない」と言った。
正直拍子抜けしたけど、ま、いいならいいのかな?と、複雑な気持ちだった。
帰り際、五味さんに「おい井出! お前、俺のこと刺すなよ!」と言われた。
何のことかわからなかったけど、とりあえず「はい!」と答えた。

数日後、その写真を音楽雑誌に持ち込んだ。
編集者は、真ん中あたりに入れたモノクロのポートレートが気になったのか、
何度も戻って、その写真を見返していたが、その理由を私には言わず、
「なにか機会があれば連絡します」と、
飽きるほど聞いてきたその言葉を受け入れて帰宅した。
やっぱりまだダメなんだなぁと思ったけど、まだあきらめる気にはなれなかった。

その数ヶ月後(と書いたが調べたら数日後だった)、
その音楽雑誌の編集者から電話がかかってきた。
The ○awdiesというバンドの写真をモノクロで撮ってください」
貯金が底をつくギリギリのところでようやく仕事がきた。
でも、ギャラの振込は撮影から三ヶ月後だと知って、
撮影依頼がきた嬉しさも吹っ飛んでしまっていた。

とは言え、仕事の実績がひとつでもできると営業の効果は格段に上がる。
数ヶ月連続でアーティストの撮影をし、その写真を持って、
他の媒体にも回って仕事がほんの少しだけ回るようになった。

あの時、自分の作品をイチから作り直すきっかけをもらえて、
本当に良かったと今でも感謝している。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?