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算数ヘイターの主張(一般)についての見解

最初に、簡単に「抽象〔ちゅうしょう〕」という言葉の説明をします。
わかっている方は、読みとばしてください。

「しょう君(うちにいる犬) → ミニダックス → 犬 → 動物」・・・というのが、抽象です。(その逆が具体です。)

算数から数学につながる学問の体系は、まさにこの抽象の体系です。

わかりやすいところでいうと、最初は「整数」の範囲で勉強したことを、小数や分数でも同じように計算処理できることを学び、それは負の数や、文字で表された値にもつながっていきます。

そして、この抽象の過程は・・・

小2かけ算導入の、自然数範囲の(1つ分)×(いくつ)の段階でも気づきにくいですが、すでに〔抽象〕の過程はあり、例えば、「1袋にあめが8個ずつ入った『あめの袋』」などを扱います。

1皿に3個ずつのったりんごとはちがい、袋の中はみられませんが、自然と同じように扱えるようになります(同じように扱えることを学びます)。

・・・このせっかくの〔抽象〕の過程に、「あめの袋を開けてみればいいだろ」と、からんでまわっているのが算数ヘイターたちのやってること・・・結論付けられる気が、最近しています。(もちろん、あめの袋は象徴例で、ほぼすべてにおいてです。)

あめの袋など誰にでも開けられますし、開けた方が速いのなら誰でもあけます。

あめの袋を開けて「どうだ、すごいだろ」と言われても、何とも返しようがありませんよね。

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