見出し画像

鎖骨折った話~その③

その①その②のあらすじ~ツーリング中に落ち葉で転倒、右鎖骨骨折、手術まで鈍痛に耐える日々

 ようやく入院する日を迎え病院へ、手術は明日昼頃で、夜9時以降食事禁止、手術日の朝6時以降は飲み物も禁止とのこと。
 この日はまた検査や、全身麻酔をするのでその説明やらを受けた。なかでも血管の状態や位置を画像でやかりやすくするヨード造影剤というものは新たな体験だった。
入院していても家にいてもたいして変わらずだが、電動ベッドで寝起きがすごい楽になったのは助かった。

 そして翌日、手術の時間まであと2時間!というところで担当医師がやってきて、
「ごめん!やっぱりプレート一枚だと心配だから、増やすね!いま届くの待ってるから、もうちょっと待っててね!」
 …ノリ軽!でも、このおかげで不安にならずに済んでるのかもしれないし、すごく好感が持てる。実際院内でも人気があるようだ。

 そして1時間弱遅れでいよいよ手術室へ、今回は歩いて行ったのだがエレベーター降りると雰囲気ががらっと変わる。
なんというか、絶対にふざけてはいけない場面に遭遇した感じ。最も命のやりとりが行われている場所だからだろうか。
こんな場所でも患者を気遣い丁寧に話しかけてくれてる看護師さんはすごいと思った。

 いよいよ手術台に横になり、麻酔の準備が始まる。ここからはもうおぼろげでよく覚えてない。
よく10まで数えるうちに眠くなると聞くが、私の場合は、吸入麻酔をつける前の麻酔の導入剤?を注射されてから眠気が襲ってきて、マスクして何か変な匂いだなと思ったような、そして眠りに落ちた。

そして、私の場合ここからが本当の地獄となる。

目覚めた瞬間、猛烈な尿意と便意、吐き気となぜがよだれが止まらない。気持ち悪い。気持ち悪い。とにかく気持ち悪い。まだ意識がはっきりしなかったが、医師が何か言っているので必死に耳を傾ける。
曰わく、手術は成功したとのこと。あとプレート埋め込んだ写真を見せてくれていたが、それどころではなかったのでとりあえず後日改めて見ることにした。
3時くらいから始まり、病室の時計をまた見たときは6時か7時くらい。
とりあえずご飯は翌朝から、トイレは尿道カテーテル入れないでくれたらしく尿瓶ですることに。
どのみち食欲は完全に無いからいいとして、排尿する時に看護師さんに介助を頼むのがとても恥ずかしい!なのでとりあえず限界まで耐えることにする。

麻酔から覚めたときのあの気持ち悪さを例えるならば、マラソンで本気の全力疾走を限界までやり続けたときの感覚に近い。あと周囲の音がすごく耳障りだった。普通気にならない程度の話し声なのに、あのときはすごく過敏になっていた。とにかく二度と味わいたくはない。

鎖骨の痛みは麻酔がまだ効いているのか感じない。
人によってまちまちで、ちょっとヒリヒリするなーくらいでおさまる場合もあるらしい。
私もそのケースだといいなぁ、と思っていたらそんなことはなく、真逆だった。

 夜9時くらいだったろうか、右肩らへんの感覚が戻ってきた感じがする。というかチクチクした痛みを感じられる。そこから、ズキ…ズキ、ズキズキ、ズキズキ!、ズクン!ズクン!と痛みがだんだん増してくる。
もう何も考えられない。必死に痛みに耐えるのみ。脂汗が吹き出て気持ち悪いし、ずっと同じ体制で体がつらい。向きを変えるのは傷口が怖くて嫌だ。
 なるべく体が動かないよう浅くゆっくり息をして痛みに慣れた頃、何時間くらいたったのだろうかとふと時計をみると、30分くらいしか経っていない。
……軽く絶望した。
この痛みの中朝まで過ごすのは耐えられないと判断し、ナースコールを押す。
すぐに看護師さんが来たので、痛み止めを貰おうと思ったが、
 「朝までお水飲めないので、座薬の痛み止めなんですけど、大丈夫ですか?」
…もう、恥ずかしがってる場合ではない、、お願いしますと伝え、ついでに排尿の介助もしてもらった。恥ずかしさというか、30代半ばでなにやってんだという情けなさが心を埋めつくす。
 座薬の痛み止めは飲むタイプより効きがいいとのこと。これで朝まで鎮まってくれればと期待しつつ少し寝ようと思ったが、痛みが鎮まる気配がない。
いや、少し和らいだかな?でもまだ全然痛い。痛いし熱い。
 もう痛みはあきらめ、ひたすら心を平静に、何も考えずひたすら浅くゆっくりな呼吸を意識していた。
そうしていたらいつの間にか眠れていた。朝まで寝たかったが、2,3時間おきに尿意がやってくる。意識し出すと呼吸が乱れ、肩が痛くなる。
仕方なく看護師を呼ぶ、申し訳なさを感じつつ排尿する。この繰り返し。
ようやく朝日を拝めたときは本当に嬉しかった。

朝になり、歩行とトイレが出来るかどうかのチェックを看護師さんにしてもらいしっかり許可もらえたので、だいぶ楽になった。
同じ病室の方々にねぎらいの言葉をいただき、とてもありがたかった(昨晩は耳障りとか思ってごめんなさい)。
そして、飲食の許可もでたので早速痛み止めを服用。少し経ちようやく痛みがひいてきた。
改めて切開部分を写真撮ってみたが、ちょっと悲しくなった。

その写真 
※人によっては気分が悪くなる傷口です。苦手な方はご遠慮ください。

次第に薄くはなると思うけど、一生消えはしないのだ。

切開部分は糸での縫合ではなく、特殊なボンドで閉じて塞いでるので、少し触っても大丈夫だし次第に剥がれるということで、その日のうちに退院となった。
それから数日は、痛み止めを切らしてはいけない日々が続いたが、一週間もするとたまに痛むくらいで問題なくなった。
鎖骨はプレートで固定されてるから動かすくらいなら問題なく、少しずつ可動域を広げていき2ヶ月半経った今は生活も仕事にも支障なくなっている。

 ただ、違和感はずっとあるし、朝起きたときに若干痛む感じは続いている。
骨見えるまで切り開いているので、必然的に神経も切れてしまう。そうするともうその部分の感覚は元には戻らない。切ったことによる感覚異常なので、たとえプレートを取ったとしても違和感は残り続ける。
過去にやった左手の手術も未だにしびれと温度に鈍感だ。

 最後に、チタンプレートがどのように骨に固定されているかがわかるレントゲン写真を載せます。友人には理解されませんでしたが、芸術だと思いました。
外す人が多いとのことですが、外さなくても害になることは稀ということと、せっかくここまできれいに、心配だからと二つも用意してくれ、埋め込んでくれた方々に感謝と、自分への戒めとして残しておこうと思います。
 ただ、MRIなどに影響を与え正確な検査が出来なくなる懸念と、年をとってくると感染症のリスクで容易に外せなくなる。ということもあるので、若いうちならはずしてしまったほうが後々いいという見解もあります。

画像1

画像2

最後になりますが、手術を伴うような怪我、事故は身体が完全に元通りになる保証はありません。
事故したときはヘルメットはもちろんプロテクターもつけていましたがこのような結果になりました。いえ、つけていなかったら死んでいたかもしれません。
それがプロテクターのおかげで鎖骨の骨折だけで済んだと思っています。
 バイクは危険がつきものですが、日ごろの注意で防ぐことはできます。なにより、身体全身で感じる風が気持ちいいし、ガラス越しではない流れる風景が素晴らしいし、エンジンの音と伝わる振動が日常の悩みを忘れさせてくれる、こんないい相棒そうそう手放せない。
 そんな相棒のためにも今後はもっと慎重に周りに迷惑かけない走りを心掛けたいと思います。

だらだらと長くなってしまいましたが、ここまで読んでいただきありがとうございました!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?