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英語に自信がなくて海外へ行くことをためらってる人へ

 英語に限らず、言語は単なるコミュニケーションツールの一つでしかないと、今ならそう思える。
正しい文法や適切な単語、学校教育や書店に並ぶ本にはそればかりがつらつらと並んでいて、決まったルールで話すことが大事なんだよ。と言っているかのように感じる。
 確かにルールに則って文を作れば、聞き手は理解し易いのだろうけど、それが一番大事だとは思わない。
個人的に一番大事だと思うことは、今自分が何を伝えたいのか、今何をどう感じたのか相手に知ってほしい、ということだと思う。
なら尚更文法が大事なのではないか?という疑問を持つかもしれないけど、とっさにリアルタイムで単語を並べて正しい文法でしゃべる事を母国語で出来るのかと問いたい。
きっと大多数の人は出来ないだろう。出来るのはよほどの話し上手か、話しを生業としている人くらいだと思う。
 まず、口から外国語を吐き出すことに躊躇わないこと、正しい発音や文法かどうかなんて考えは捨てること。
これが第一段階だと思う。
ポンポン言葉が出てきて、話すのが楽しくなってきて…そしてある日、もっとうまく話したい、うまく伝わるにはどうしようか?と、自然と考えるようになってくる。そうしたら文法やらTPOに則って単語を使い分けていけばいい。
日本人は最初から難易度を上げすぎていると思う。
 
 学生の頃、僕は英語が大嫌いだった。
特に文法、すでに決められたルールがあり、ある条件下では変則的にルールが外れる、誰が決めたかもわからないルールに従うのがとても嫌だった。
抵抗感があるので当然教えられても身に付かず、テストは常に赤点で、僕だけ通常の授業とは別に教えられていたくらいだ。
このときの自分に、お前大人になったら一年の半分くらいは海外行ってんだぞ。と言っても信じてもらえないだろう。
 転機が訪れたのは、社会人になってからだった。
自社製品を海外の工場に納品したりメンテしたりする会社へ派遣として入った。
工場での装置組み立て要員だろうと思っていたら、組み立てに加え、現地に飛んで装置を据え付けて、ラインが動くことを確認して帰ってくる。という仕事だった。
 先輩方や通訳さんがいるうちはよかったが、ある現場で作業申請のミスで日本人は僕だけという状況がひと月続くという事態にあった。
そのときは台湾だったが、日本語が一切伝わらない環境で、覚えてる限りの英語や覚えたての中国語を駆使して死に物狂いで伝えようとがんばった。
おまけに当時の僕は他人を怖がっていたというか、他人の目をひどく気にする質だったので、たわいもない会話でもかなり勇気を必要としていた。
そういう性格だったけど、むしろそういう性格だったからか、逃げ出すという選択肢ではなく、なんとかしてやり切らないと、失望される…それは嫌だ…という考えに至り、行動が変わっていったのだと思う。(20年くらい経った今でも、よほど慣れた人でなければ気を遣ってしまうくらいにはオドオドしてるけども)
 
 結局何を伝えたいのかと言うと、今はネットで翻訳も出来るし、自動翻訳機器もあるし、格安航空機だってある。
興味が有るならさくっと日本から飛び出してみてほしい。必要に迫られれば人間なんとかしようとするもんだ。

追記
日本人が特に秀でているらしい、察し、伺い、忖度という能力は海外でも効果的だ。
これらは、相手を気持ちよくするためではなく、自分のフィールドに相手を持ってくるように仕向けるのに役に立つ。

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