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ハウスメイドを観て…

「ハウスメイド」の感想です。
以下ネタバレを含みます。




冒頭の街を行き交う様々な人たち。
そこからかけ離れた世界にいるような物語の軸となる、上流階級の一家。
全く別の世界のように見える2つの世界だけど、そこには共通して、突然起こる死に対しての“無関心”さが感じられた。

邸宅に住む一家の娘・ナミがメイドのウニに
「おばさんは優しくて可哀想」だと言ったシーンが印象的だった。
主人公のウニはとても単純で、冒頭のシーンで投身自殺が起きた時に現場を見に行こうと話し友人に止められていたように、あまり物事を深く考えないタイプだという事が伺える。
家の主人に求められれば素直にそれを受け入れ、そしてひとときの快楽の為に何度も彼を求めるようになる。
自分がされた仕打ちにも気づかないで、ただ単純に目の前の物事を受け入れていくウニは、ナミの目から見れば“優しくて可哀想”な人だ。

ラストでウニは一家に復讐を果たす。
だけど一家は衝撃のシーンを目の当たりにしたにも関わらず、数日後何も変わらぬ様子でナミの誕生日を祝っている。
狂っているように見えたのは通常運転なのだろうか?それとも少なからずウニの復讐が一家に影響を与えたという描写なのだろうか?
長くこの家に仕えていたメイドが主人に向かって「そんな風に生きたいのか?」と問うけれど、きっとこの家の主はその言葉の意味を何も理解していないのではないだろうかと思う。

この映画を観る前に、冒頭のシーンで自殺した女性はウニの前にこの一家に仕えていたメイドなのではないか…というレビューを読んだけど、もしその解釈が正解だとするなら、この家の人たちにとって庶民の命はとても軽い。自分たちの立場が守られ、私利私欲が満たされるなら、周りの人間がどうなろうと関係ない。

この映画が何を伝えたかったのか、それぞれの登場人物がどういう感情を抱いていたのか、観る人によってきっと様々な感想が生まれるであろう。

そしてその中で私が思ったのは、
“分からない人には分からない”という事だ。

命をかけて何かを訴えようとも、どれだけ長い時間心に押し殺してきた感情をぶつけようとも、分からない人には分からない。そういう人たちは、自分の都合の良いように解釈して、都合の悪い事には“無関心”を装い、しぶとく利口に生きていく。

ナミはラストシーンで二度、同じ宙を見ていた。

ウニが一家にやって来た日の夜、ドアを開けておいてとお願いした出来事が、冷めたように見えたナミの、子どもらしい一面を描いたシーンではないのだとしたら……ナミは暗闇の中で何を恐れていたのだろう?

誰かのレビューに書かれていたように、ラストシーンでナミが見ていたものはウニの亡霊のようなイメージなのかもしれない。

ウニの事を“優しくて可哀想”だと思ったナミには、きっと他者を思いやる事の出来る“心”がある。
悲しく虚しい出来事は“心のある人”にだけ影を落として、消える事なくずっとそこに残ってしまう。


さて、一家の主やその妻、娘の立場を守る為にあれこれと企てる母親、素直で単純なウニ、その全てを見ていただけのメイドやナミ…

本当に可哀想な人はいったい誰なのだろうか?

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