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curious about...


私たちのかわいいかわいい黄金マンネが韓国で23歳の誕生日を迎える前日、その事件は起きた。


ジミンがパリにいるらしい…

え?グクの誕生日なのに一緒に過ごさないつもり?

クラブで女にデコピンされてる!!!

嘘でしょ…クラブに行くなんて信じられない。


パリにいたことは事実だったけれど、あくまでも、その他の噂話が真実かどうかは分からない。
だけどSNS上でそのような話は、あっという間に広まっていった。

1人の20代の青年が6年ぶりにまとまった休日を楽しく過ごしているのだから、そっとしておいてあげたらいい。事務所から彼らがつかの間の休暇をとるということをわざわざ文書にして発表してくれたのには、どうかプライベートまで追いかけてくれるなという思惑があったに違いない。
余談だけどこれを“Passive-aggressive”というらしい。
小沢健二氏とバカリズムの対談中に生まれたとても秀逸な例えによると“トイレの貼り紙のように『きれいに使って下さって、ありがとうございます』”というアレはPassive-aggressiveだそうだ。

“静かに攻撃的”という一見下手に出つつ、こちら側の要求を相手に飲ませるという意図をあの文章から感じた。

個人的には、20代のかけがえのない時間を身を削ってあなたたちに注いで来た彼らの、つかの間の休暇をどうか放っておいてあげてくれ…という内容だと解釈している。

そうするとどうだろう…
隠し撮りされたジミンくんの休暇を楽しむ姿が拡散されると、
事務所がダメだって言っていたのにいちいち拡散する人なんなの?とか、プライベートなのに隠し撮りしたやつ誰だよ?という話になる。とても正しい。

拡散した人たちは何がしたかったのだろう?
確かにその行為は解せない。
だけど、ただ馴染みのない場所にいる彼の写真にショックを受けてなげいていた誰かのツイートさえ、なんで拡散してたことには怒らないのに本人に怒ってんの?などと責められているのを見ると、そもそも何が問題だったのか、何に動揺し何が悲しかったのか、自分の感情さえも掴み損ねそうになるのだ。


そして結局のところ、たったの2日ほどで、多くの人のネガティブな感情はもう消えてしまっているはずだ。

ジミンくんはパリに行っていた。どのメンバーの誕生日にも7人の中で二番目か三番目に早くお祝いをするはずのやさしいジミンくんは、時差のせいか0時過ぎに現れなかった。
だけど、明け方の4時に私たちに見える場所でジョングクにムービーでのメッセージを届けてくれた。あぁ、ジミンくんはもう、グクの誕生日に一緒にいないんだ。そう思ったのもつかの間、その日の夜には、パリでのお土産とホソクくんからと思われるメッセージカードや手作り感のあるバースデーパーティのデコレーションに囲まれたかわいいグクの写真が一枚、ジミンくんによりTwitter上にUPされた。
サプライズだ…!!!

まるでパリに行っていたのはジョングクへのプレゼントを買う為だったんじゃないかとさえ思うほど、グクを囲むグッズの数々からパリの匂いのする写真だった。
明け方にパリにいるかのような動画を投稿したのもきっとカモフラージュだろう…。
これはただの妄想だけれど、自分の誕生日に旅行に行ってしまった友人や大切な誰かが突然たくさんのお土産を抱えて帰ってきたら、こんなうれしいことはない。
もしそんなサプライズをジミンくんが企んでいたなら、なんてかわいくて最高にすてきな人なんだろうと思う。
そしてそんなかわいくてあざとくて最高に思いやりのつまった姿を見せられると私たちの気持ちは“好き”というキラキラした感情だけで満たされるのだ。



本当にそうだろうか……?
それで終わりでいいのだろうか?

私たちファンにはこういった小さな嵐がときどきやってくる。
その度にたくさんの人たちの感情が渦巻いては、知らない人の気持ちに飲み込まれそうになる。知らないでいられたら幸せなのかもしれないけれど、良くも悪くもオタクは好きな人に関することなら、何だって知りたがる生き物なんじゃないだろうか。
そして開けてはいけない箱を開けようと覗き込んでは炎上し、怒りの矛先は迷子になり価値観の違うものを見下し合い、たった一言の大好きなアイドルの言葉により、事態は簡単に終息する。
いったいこんなことを何度くり返すのだろう?


例えば、何かが起きた時、人に意見を求める人もいる。
ARMYに限らず、何かに対して「〇〇さんはどう思いますか?」という質問を受けているファンを時々見かけることがあるけれど、友人でもない、ちょっとフォロワーの多い一ファンに意見を聞いてどうなるのだろう?(........という意見が必ずありそうだけど)
私はというと、そういうツイートを見かけると、知らないグループのものであってもめちゃくちゃ読んでいる…!なぜかというと自分と全く接点のない人の意見はとても新鮮でおもしろい。私は何も思わなかったけど、こんなに怒っている人がいるのか…と驚くこともあるし、色々な意見があるんだなと思うと一つの物事が多面的に見える気がするからだ。
きっと質問をした人たちも、ただ消化できないものごとに対して知らない誰かの意見を聞きたかっただけだろう。

しかし問題はそこではない。
誰かの声は時々ルールになってしまう。
初めに発言したその誰かにそんな意図は全くなく、ちょっと気持ちを吐露しただけだったとしてもいいねの数でまるでそれが正義のように一人歩きしていく。
そしてそこに馴染めなかった人たちがまるで悪者扱いされていく。

大好きな人が、ただ知らない女の子と一緒にいることが嫌だっただけなのに、プライベートなんだから自由に遊んだっていいじゃないかと気持ちに蓋をされる。
クラブだろうとパブだろうとどっちでもよくて、彼の人の良さにつけ込む人間がたくさんいるかもしれないことが心配で、不安でたまらないだけなのに、パブはお酒を飲むところだから危険なんてないし、ゲームをしていただけでしょ?と考えの浅い人間扱いをされる。

愛があるから怒るのだ。好きだから不安になるのだ。
信じていないわけじゃないはずだ。



大人らしく振舞っている人たちの本当の気持ちはどこにあるのだろう?
余裕たっぷりに理解のあるポーズをとって、隠し撮りした人を理解できない!という正論の裏側で、あの画像の中の男の人が本当にジミンくんならば、そのことについてどう思ったのだろう。

きっと悲しむ人たちに対して、少なからず共感できる部分があったのではないだろうか?私なら知らない女に推しがデコピンされていて、うける〜楽しそう〜なんて思えないし、相手が例えただ居合わせただけのファンだったとしてもここには書けないような悪口を言うだろう。
全く何も思わなかったなら、きっと悲しみ傷ついたと言っていた人たちと何も思わなかった人たちの“好き”の種類は全くの別物なのだ。
人を傷つけようとする人は論外だけれど、その別物の“好き”という感情に優劣などないはずだ。

自分の不安に蓋をするために、誰かを突き落として何かが解決するのだろうか?
自分とは違う誰かの言葉に勝手に否定されたような気分になって執拗に噛み付いたりしてしまう時、その原因はどこにあるのだろう?
きっとそれは起きている出来事とは関係なく、その人自身の心の中の問題だ。

例えば、私の好きなものを誰かはとても嫌いで、その誰かの言い分は、今は全くもって分からないかもしれない。
私とあなたは違うのだ。
違うのだから分からなくて当然だ。
だけど出来るなら、自分とは違う誰かをおもしろがれたらいいのにと思う。私はそうは思わないけど、そんな考えもあるんだねと言い合えたら、きっと私たちの小さなコミュニティは平和の中の一つのパーツになる。


ところで、私がパリでの件をみて初めに何を思っていたかを白状すると、知らない国の知らない世界を体感しているジミンくんを見て、とても素敵な休日を過ごしているなと思った。それと同時にうっかりしがちに見えるジミンくんにつけ込む人がいるのではないかという不安も持っている…。
足を引っ張られて闇に落ちてしまった人たちを私たちはたくさん見てきたから、なぜ大注目を浴びてしまう彼が、今そういう人が集まりそうな場所に行ってしまったのかとも思ったけれど、だけどもし、クズみたいな人間の悪意に触れるようなイヤなことがあったとしても、彼が自分をなくさなければどこにいても大丈夫だろう。ジミンくんは、ジミンくんに限らず私たちの大好きな7人は、光も闇もすべて輝くための栄養に出来る人たちだと思っている。

私たちの知らないところで、たくさんいろんな世界を見て、いろいろな経験をして、でも出来れば本当の恋はもうしばらくしないで、ほんの少し離れている間にまた一段とかっこいい男になってきてくれたらいいし、もしこれを読んでくれた人がいたなら、もしかしたらほんの少し似ていて、だけどあなたとは違う私の話を、へんなやつがいるな。とおもしろがってくれたらいい。


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