1月は!!!冬の男の!!!!時期ですよ!!!!!!!(とある刀の話)

※この記事はi.Design Advent Calendar 2018 23日目の記事です。

こんにちは。来年も博物館でテンションの上がる催しがあるので今からソワソワしている古澤です。
秋に行われる福岡市博物館の催しでは、数年ぶりになかなか表に出ない国宝の刀が展示されるのでニヤニヤしています。

さて、今回は冬の男の話です!!
冬の男といえば!そう!

へし切長谷部(圧切長谷部/へしきりはせべ)です!!!!!!!!

冬の男、人ではなく刀でした。

何故冬の男と呼ばれるかといいますと、まず刀は男性と比喩されることがあります。そして鞘は女性と比喩され「元鞘に戻る」という言葉もここからきています。

そして冬なのは、毎年1月にへし切長谷部が福岡市博物館で展示されるため、学芸員さんから「冬の男」と呼ばれるようになったのだとか。

展示が寒い時期に行われるのは、夏は暑さで刀に負担がかかるからという説があります。
特に、へし切長谷部は南北朝時代に制作されたと考えられていますので、約630~680年前の刀です。
とても美しい刀なので一見劣化しているようには見えませんが、600年以上経っているため経年劣化は避けられません。
あまり刀に負担がかからないように、と冬に期間限定で展示されているようです。

そんな冬の男、今年は出張で秋に京都で展示されました。
移動も刀に負担がかかるので福岡から出ることはなかなかないのですが、冬の男が出張、しかも冬ではなく秋に! とてもレアな機会でした。

へし切長谷部とは

国!宝!です!!!
くにのたからと書いて国宝の刀ですよ!!!!

制作者は、鎌倉時代の末期から南北朝時代にかけて活躍した刀工の長谷部国重と言われています。

元々かなり大きな刀だったようなのですが、磨上げて今の大きさになったそうです。

1933年(昭和8年)7月25日に重要美術品に認定され、1936年(昭和11年)9月18日には旧国宝に指定されます。
その後、1953年(昭和28年)3月31日に国宝に指定されました。

全長は80.8cmで、刃の長さは64.8cm、重量は663.5gとのこと。
他のサイズについては、各部名称と私の感想等を入れながら書くとかなり長くなるので割愛します。
好きなだけ語りたいところですが今回はサクッと行きます!笑

へし切ってすごい名前!

この「へし切」は「圧切」と書きます。
なぜそんな名前がついたのかと言うと、命名したのはかの有名な織田信長さんです。

信長さんがへまをした茶坊主を手打ちにしようとしたとき、怖くなって逃げた茶坊主が棚の下に隠れたところ、その棚ごと刀で「圧(お)し切った」そうで、その切れ味に感動した信長さんがその刀に「圧切」と名付けたそうです。

通常、刀は引くことで切れるので、おして切るというのは本当にすごいことらしいです。
そんな由来があって、へし切となりました。

ちなみに茶坊主とは、お茶の手配や来客応対などをしていた役職のことです。坊主ですけれど、お坊さんではなく武士でした。

ちなみに「長谷部」についてですが、このへし切長谷部、実は作者の銘(めい)がありません。
だいたいの刀は制作者が、刀の柄(つか:刀の持ち手の部分)に収める茎(なかご)というところに名前を入れることが多いのですが、へし切長谷部の場合、上でも書いたように大きな刀から今のサイズに磨上げられたので、銘がなくなったのではとのこと。

そんななか、とてもすごい目利きの人が、長谷部国重の作だと鑑定したので「長谷部」となりました。
刀にもそれぞれ個性があり、作った人の癖も出るそうです。それを見極めて長谷部国重の作だと鑑定できるというのもすごい話です。

誰が持ってたの?

上の由来でもあったように織田信長さんが所持しておりました。
織田信長さん以前の持ち主を探してみましたが残念ながらわかりませんでした。

織田信長さん以降は、織田信長さんから下賜され黒田長政さんに渡された説や、織田信長さんから羽柴秀吉(豊臣秀吉)さんに渡ってその後黒田長政さんに渡った説、他にも織田信長さんから黒田孝高(黒田官兵衛/如水)さんに直接下賜された説もあるそうで、どれか史実かはわかりませんでした。

まぁとにかく、織田さんちから色々あって黒田さんちに渡ったということは間違いありません。

黒田家に渡ったあとは、黒田家の家宝として代々大事にされ、昭和53年に黒田家14代目当主がご逝去されたときに、その奥さまが旦那さまの意志に基づき福岡市に寄贈し、福岡市博物館所蔵となりました。

黒田長政さん、黒田孝高さんについてはアドベントカレンダー9日目の福岡城の話でも少し触れていますので、そちらもご覧いただけると私が喜びます!

ちなみに、黒田さん、へし切長谷部をもらったのがよほど嬉しかったんでしょうね。へし切長谷部の茎に「黒田筑前守」と入れております。

なんだかスーパーファミコンのカセットに自分の名前を書いていた男の子を思い出してフフッてなりました。

え、スーパーファミコンを知らない?? OMG!!!!

へし切長谷部が現存していることはとてもすごいこと

へし切長谷部が誕生してもうすでに600年以上経過しています。
刀は保管が大変で、放置するとすぐに錆びてしまいます。

ご家庭にある鉄製の包丁も保存方法を誤るとすぐに錆びが出るので、それをイメージしてもらえると保管が大変なのが伝わるのではないでしょうか。

600年間きれいに保管され続けているのは本当にすごいことです。
しかも、日本は600年間ずっと平和だったわけではありません。へし切長谷部にもさまざまな危機があったと思います。
その中で、たぶんへし切長谷部の一番の危機だったお話でも。

まだ日本が戦争中のときの話です。

当時、黒田家は東京に住居を移していたようで、蔵も東京にあったようです。
蔵は6つあり、結果的に1番蔵以外は空襲で焼失してしまいました。

へし切長谷部は1番蔵に収納されていました。
難を逃れてすごいラッキーだな! と思っておりましたが、これ、ただのラッキーではありませんでした。

当時の黒田家の方々は、悪化する戦況をみて最重要品を1番蔵に集めました。
そして、他の蔵を犠牲にしても1番蔵の消火に務めるという体制を取ったそうです。

そして、他の蔵はすべて燃えてしまいましたが、1番蔵は残りました。
黒田家の皆さんが守った結果でした。

本当にラッキーでたまたま1番蔵が焼けずに残ったのかもしれませんが、他の蔵がすべて焼失したということはかなり危険な状況だったのではないかと推測します。
そうすると、燃えないようにと自分の命の危険もあるなか守ろうとしてくれた方々がいらっしゃったのではないでしょうか。

今わたしたちが刀を見ることができるのも、過去に守ろうとしてくれた方がいらっしゃったからだと思うと感謝せずにはいられません。

今、博物館や美術館に展示されているたくさんの作品も、誰かが手入れをして、誰かが守ってきて現存していると思うと見方もまた少し変わってくるかもしれませんね。

冬の男、2019年は1月5日から!

さて、へし切長谷部について色々書かせていただきましたが、はやり文字でお伝えするよりやはり実物を見ていただきたいですね!

ちょうど2週間後、福岡市博物館にて、へし切長谷部の展示が始まります!
平成最後の冬の男ですよ!

【黒田家名宝展示】

へし切長谷部展示期間:平成31年(2019年)1月5日(土)~2月3日(日)

開催場所:福岡市博物館

http://museum.city.fukuoka.jp/

福岡市博物館には、へし切長谷部以外にも、呑み取りの槍「日本号」がいます!
黒田節にも出てくる槍です!
日本号の刀身の龍の彫り物もかっこいいですし、螺鈿(らでん:貝の内側のキラキラした部分)を貼り付けた柄も必見です!

他にも、へし切長谷部と交代で2月5日からは北条家から黒田家に渡ったといわれる「日光一文字」も展示されます。こちらも国宝です!

来年の秋には福岡ゆかりの刀剣がたくさん集まる催しもあるそうで、今から楽しみすぎます!
ぜひ皆さんも足を運ばれてください!

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