▼2019.06.06 健常者だって誰だって明日どうなるか判らない人生を生きている

人間は、病気だろうが健常者だろうが、貧乏だろうが金持ちだろうが、凡才だろうが天才だろうが、誰だって明日、自分がどうなるか判らない人生を送っている。

もしかしたら明日、不運な事故に遭って亡くなってしまうかもしれないし、亡くなることなく骨折だけで済むかもしれない。

擦り傷や無傷だってこともあり得る。

だから健常者の人生や境遇を羨んだところで当然の御門違いなのである。

あなたは毎日トーシツの症状で苦しんでいるかもしれない。でも、もしあなたが健常者として健康に人生を歩めていたとしても、本当に幸せかどうかは結局は確率論だと思うのだ。

何故確率論なのかと言うと、人が幸せになるかならないか、それは可能性の問題で、人生には無数のパターンがあり、どうなるかなんて、誰にも断言出来ない事だからだ。

上記のことを踏まえて言うなれば、トーシツが発症するのも確率論と取れる。

この考えが全てという訳ではないが、一理ある思考だと思っている。

そりゃ病気は辛い。

健常者の方が良いように思えるだろう。

ただ、『病気』という概念に捉われ過ぎて、『自分の幸せ』を見失ってはダメだと私は思う。

『病気だから幸せにはなれない』なんてことは無いし、健常者より幸せなトーシツさんだって居るだろう。

中には健常者を敵視するトーシツさんも、きっと少なからず居ると思う。

『自分の幸せ』を考えられる人は、いつだって他の人を思いやり、自分と他人とを比べることなく(劣等感を抱くことなく)、自身を傷つけることもなく大切にしている。

そういう人は、どんな境遇にあったとしても幸せだろう。

敵視したところであなたの評価が下がるだけ。

『悪い心』を持つ人は絶対に幸せにはなれない。

誰かと比べて不幸になる必要は全くないのだ。

何故トーシツさんは健常者と自分を比べてはいけないのか。

それは自分が不幸になるからだ。

比べた時、それで悪感情を抱くことは、自分を、自分の人生を、醜いものにしてしまっていることになる。

良い感情をいつも抱いている人は、いつも明るく楽しく過ごしている。その逆のことだからだ。

比べるとどうなるか。

自分の劣りを強く悪いように思い過ぎてしまい、具合を悪くしてしまう。

比べなければ、先ず、幸せになれるだろうし、毎日健やかに、気分も穏やかに過ごせることだろう。

他の人から好かれる、という利点もある。

ただ、先程も述べた、『人の幸せは確率論』という観点からすれば、どんなに良い人でも若くして事故や病気で亡くなることもあれば、極悪人が百歳まで生きた、ということもあるので、私の場合は、あまり『生』には固執せず、「成るように成るさ」と、あっけらかんとして生きているので、それも一つの幸せの形なのかもしれない。

この記事が気に入ったら、サポートをしてみませんか?気軽にクリエイターを支援できます。

note.user.nickname || note.user.urlname

共感したり、面白かったと思った時などにサポートしていただけると大変嬉しいです!ご支援していただいたお金は、これからも作品を書いて行く為に、執筆の環境維持や、持病の治療などに大切に使わせていただきます!

4

千屋ゆう子

又は「ゆん子」若しくは「せにゃ」。フリーランス(文筆家 兼 絵描き)。主に創作、恋愛指南、人間関係、統合失調症等の啓発、処世術、作品等を発信している。小説、エッセイ、コラム、イラスト、漫画等の無料・有料コンテンツの混在。私はトーシツさん。持論多め。基本どのマガジンも不定期更新。

ココロちゃんねる

統合失調症を患っている方々向けに、処世術、人生観、病気と上手く付き合っていく方法などを発信する闘病記!
コメントを投稿するには、 ログイン または 会員登録 をする必要があります。