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2024.3.3 原稿とシーズー

何気ない一日だったからパソコンを持っていなかった。基本的な作業はパソコンで済むから隙間の時間などあればパソコンで何かすればいいのに、僕は、出来るだけ荷物を減らしたい、作業するなら僕の二階の角部屋で机に向かわなければならない、といった心持ちのせいで、大学にも持っていかなかったりする。

時刻はAM4:35で、それを確認する為の時計が何処にあるのか分からない、携帯の充電が切れそうで、座っている椅子の横には犬が寝ている。

それはどうということも無くて、日付で言えば昨日に友人宅で集まって飯を食べて、日付で言えば今日に予定があって、その友人宅が自宅からかなり遠い距離にあるから帰るのが面倒で、そのまま泊まった、というだけのことだ。

終電で帰った友人と別れた時は、いつもの僕はもう寝ている時間だったし、自然な眠気もあったので眠れるかと思ったのだけれど、家主の友人が自室に篭って寝てしまってから三時間経った今となると、やはり睡眠薬無しで寝るというのは度外不可能ということになった。

携帯の充電器も友人に借りれば良かったけれど、そんなことを思いつく前に、疲れた様子の彼は寝てしまったし、その彼に何時も貸している携帯充電器を使って何とか凌いでいる。

睡眠薬なしで眠れるかもしれないという楽観と帰るのが酷く面倒臭いというだけで徹夜になり、明日そのまま出かけなければならないと思うと、やはり帰っておけば良かったのかもしれない。

しかしそれにしては、まぁここは西東京で、ここから都心を挟んで東東京に行き、そして江戸川を挟んで自宅に帰る、それは面倒だった。

行きの長い電車ではペイヴメントのライブ盤をしっかり聴けるほどに遠かったので、実際、遅れて行った駅前の待ち合わせで友人の顔を見ると、春休みでずっと自宅にいたせいか、何を話せばいいのか分からなかった。

最近というものの、朝起きて音楽を二時間ほど聴く、それも別に所謂ディグるといったものではなく、何故か今年に入ってからZAZEN BOYSを一通り聴いてから少し旧譜と新譜の気に入ってるものを聴く、といった行為をして、それをしながら適当にスマホを触った後で書きかけの原稿をチェックし、原稿を書き始めている、というスタートが多い。

原稿は三月末に完成を目指しているものなのだが、書いては消し、書かずに消し、と繰り返しているうちに日数が経ち、季節も巡ってしまった。

完成していない原稿についてあれこれ言いたくはないのでここで留めておくが、机に向かっていると酷く緊張感があって、大した文章も書いていないんだけれど、適当な文章というか肩に力の入っていない文章を書きたくなる。
実際小説を書くにあたって肩に力を入れて書く文章が果たして良いのかということはさておき、書いてる原稿は完成させなくてはならないしそれはそういう文体と内容なのだからしょうがない。

それでキャンパスノートに適当な文章を書いたりしていたのだが、いかんせんこの小説は、前にnoteでイメージだけあって書き始めたみたいなことを書いた記憶がある、その原稿なので、割りかし長い付き合いで、勿論それは長編だからというのもあるのだけれど、色々身体も変わってきていて、以前みたいな文章が書けなかったりする。

文体というと格好が良すぎるけれど、そういった呼吸の違った、少し気楽でイージーな短編を前にnoteに書いた。

あれはスマホで小説を書いたことが無かったからかなり面白い体験だった。
今だって小説を書こうかと思ったのだけれど、ひとまずよく分からないけれど文章を書いていたら日記のようになってしまった。

大体、文章を書くという行為に張り詰めたようなものを感じているのは、実際に原稿を書きあぐねていて、書きあぐねているというには締め切りが近いということが生活を圧迫しているからに違いなかった。

勿論今の原稿を書くにあたって、発見もあったし気付きもあったのだけれど、やはり書き終えなければ何も言いたくないし言いたいこともない。

酷く単純な怠惰な大学生として、原稿が上手くいかなければ作業を切り上げてプレイステーションに電源を付けてしまうことが良くないのかもしれない。

そうというものの、数日後にはまたこの友人宅に泊まりがけで来て、家主である友人のドキュメンタリーを課題で撮影するというのだから、暫く原稿は遠ざかることになる。

本業は映画学科の学生であるし、勉強としても、友人にドキュメンタリー対象を頼むという仕事の面においても、かなり集中してやらなくてはならないし面白みもあるので、それは問題はないのだが、参加している同人誌の締め切りも三月末ということで非常に大変なことになっているというか、二月に何故かペルソナ5とエルデンリングとブラッドボーンを全部クリア寸前まで持っていくというゲームの趣味を満喫してしまったツケが来ている。

まぁ大変と言っても何も変わらないので僕自身が何とかするのだろう。

兎にも角にも、そういった、家で何もない平坦な終わりなき日常を送っている毎日であるので、友人と集まって、春が本格的に来る前にと鍋を食べたことは悪くはなかった。

春休みに、実家の二階の角部屋で、本を読んでゲームをして音楽を聴いていても出来も良くなく進みも悪い原稿のことを考えている毎日だと、やはり生活が遠ざかっていくというか、自分と社会しかないという気分になってくる。

そんな時に、誰かの話を聞きたい、と何となく思ったりもする。その誰かが明確な誰かだった気もするし、そうでない気もする。

それすら遠ざかっていく中で、隣で犬が寝息を立てていると、新学期で日常の問題が置き換わってしまう前に色々なことを済ませようという気にもなってくる。

春の卒業なんぞをSNSで目にすると、四年か、と思う。未だにすっとそういった物事に対する何かを書けないのは、どこかまだ思うところがあるのかもしれず、それはこの年齢には恥ずかしいことにも思えるが、実際四年間飲んできた睡眠薬がなければ今日のように眠れないのだし、仕方のないことのようにも思う。

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