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団塊ジュニアが社会人デビューから準備した「破壊と再生」の土台は今日のためにあった。

私は、正確に言うと若干ズレるものの、
私は間違いなく団塊ジュニア世代で、氷河期・絶望世代として
同世代の多くが味わったデフレ地獄の20年をまるまる経験したと思う。


出口を塞がれたデフレ地獄によって
多くの国内企業が価格競争の中でとった
「従業員の労働と時間の無限注入戦法」
末端だった時代から巻き込まれ、

自慢にもならないけれど、
ハラスメントとしてネーミングされたものは
ほぼ、タテ・ヨコ・ナナメと3列くらいコンプリートした。

団塊ジュニアはまた、
親世代がさらに上の世代から引き継いできた
「努力・根性・忍耐」の精神論の時代に
一旦、適合して
あるいは適合しようとして子供時代を過ごし、

社会人になって、「親の理想」やこれまで「施された教育」
実質社会とズレまくていたのに
親の言う事を聞く「いい子」であったために

あまりそのことが、
よく理解できないまま我慢し続けて
気づくのにあろうことか、10年とか20年とか、
平気でそのくらい我慢してしまって、

何ひとつ実感できるものを、手に入れられなかった世代でもある。
実らせた人は先見性があって、別の切り口を選択した人だろう。

私のような、ほどほどの一般人では
どんなに頑張っても
どんなに我慢しても
どんなにいい子でも
その殆どが、実質的な実りや幸福感に繋がらなかった世代だとも思う。


団塊ジュニアは、
よく絶望世代と揶揄されるけれど、今思えばだけれど

「上の世代の常識や正攻法なんて、子供の時代には通用しないんだ。」
「生き残るには、変わり続け、闘い続けるしかないんだ。」

ということを、
骨の髄まで浸透させて学ぶため、

ここまで、他の世代よりも先だって
予習ドリルを、神様から渡されていた世代だとも思う。

だから自分たちが親になる頃までには、
下の世代に対して
自分たちの「正論」なんて強要せずに
「思うように、好きにやってごらん。絶対邪魔なんてしないから!」
と言うことが出来た大人の割合が
とても多い気がする。

席を譲らないのは
団塊ジュニアではない。
…と思う。(たぶん)

それに、昭和の常識に一旦、
適合しようとした子供時代があるので

何か物事を抜本的に変えようとしたときに
上に対しての礼儀が大事であるという
従来の昭和の価値観にも添った対応が
比較的、出来たりもする。
(私は人格者ではないので、あんまりできないけどw)


つまり、世代間の価値観の溝に対して
橋渡し役となる世代だと
ここ数年で実感するようになった。

団塊ジュニアは上の世代が
「どんな風に考えるか?」の察しもつくし、
子供がいれば、Z世代
「自由と・平等と公平性・権利・個性」みたいな感性
自分たちが苦労した分、意味が理解できる。


でも、団塊ジュニアを挟むふたつの世代は
完全に「地の時代」「風の時代」という
全く別の色をしていて
その価値観の乖離はちょっと予想以上だと感じる。

団塊ジュニアにしか精神面での橋渡しは
難しいのではないかと感じる。

それに、デジタルネイティブ世代でもある
Z世代の活躍はすさまじいから、
別に礼儀など果たさなくても、
若さ実力で、きっと、
もはやぶっちぎれてしまう。

だけど、そこにやっぱり、
ある程度の「礼儀」を入れなければ
こころはつながっていかない。
そこを繋げるのには
団塊ジュニアのチカラが大事だと感じる。


■団塊ジュニアは変化なんて、通常ルーティン。


そして、団塊ジュニアには
自らを変化させることを躊躇しない人も多い。
これは誇るべきことだと思う。

今、世界中で変化が求められて、
半強制的に、価値観に対する変化を
受け入れなければならないことに対して
多くが不安を抱えて躊躇しているわけだけれども

こんな場面になって、はじめて
(これは私の主観ではあるけれど)
団塊ジュニアの底力だとか
今までの20年に対する「真の意味」を感じることになった。


2020年以降に世界中で起こった問題、
そしてそこから急激に求められるようになった
価値観や常識に対する変化に対しての耐性
他の世代に比較すると
結構、団塊ジュニア世代には
もう備わっている人が多いだろうな、という想いがした。


なぜって、そんな、
「何も確信できる絶対的なものなんてない。」だとか
「変化していくしかない。」なんて

団塊ジュニアにとっては、20年以上やってきた
通常ルーティンなのだから。

私に今日、こんなことを考えさせてくれたのは、
同じ団塊ジュニアとしての素敵な投稿をされていた
池辰彦さん。

団塊ジュニアには、これからまだまだ
・大「相続時代」
と、そのまえに高い確率で起こる
・大「介護時代」
・「国家存続」問題

と、これからも、これでもかというほど
活躍の山場が目白押しなわけだけれども、

この20年の絶望時代
私に与えてくれた感性としては、

「楽でヒマで、他より得して、これといって苦労なく、お金を余らせて死にたいか?」という問い。

「苦労しても、泥水飲んでも、ギャン泣きでも、
誰かを輝かすことが出来た、自分のいのちは素晴らしかった」

と、

そういう死に方の方が私は美しさ価値も感じる気がするんだ。

これは、私が団塊ジュニアとして生まれたからこそ
手に入れた、私の中のわずかな「宝石」だと思っている。

きっと、同じ団塊ジュニアの人は
同じくらい輝く宝石を持っているのではないだろうか。


<親御さんの住宅・不動産将来どうするの?問題についても言及>

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