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東海道NOW&THEN 35 「吉田」

二川から吉田まで1里20町。約6.1km。

 飯村の一里塚からは国道1号線を進む。国道の歩道は歩きやすく、吉田宿(現・豊橋市)の江戸口である東惣門跡までの約3㎞を30分ちょっとで歩く。

 広重の想像力再び、なのだ。吉田城の二層の櫓に足場を組み、壁の修復作業をしている職人たち。職人のひとりは小手をかざして橋を行く大名行列を眺めている。それを城の後方上空から見下ろし、豊川に架かる吉田大橋を入れ込んで描いている。吉田城は平地に築いたいわゆる平城で、まわりには城を見下ろすことのできる小高い山や丘はない。この鳥瞰の構図は広重の想像力に他ならない。似た構図で写真が撮れないものかと周辺を歩き回ると城のすぐ裏に豊橋市役所があり、その最上階ならと上ってみた。だが、そこからは城と橋の方向が右と左に違って同時に見下ろすことはできない。ドローンのない時代にこの構図を描くことのできる広重の想像力に頭が下がるばかり。いくつか撮った数枚の写真を豊橋出身の友人に見せて、彼に選んでもらったのが右の1枚だ。とりあえず城と大橋が同時に収まっている。

  吉田宿の見附には、東・西どちらにも惣門があり、縮小した形で再現されている。昔はここに番所があり、朝六つに開け、夕六つに閉めることが厳格に行われていた。東惣門を過ぎて宿場に少し入ると「史蹟曲尺手」の石碑。そのすぐ先に吉田城の城門への桝形が、今も残っている。 吉田城大手門跡を過ぎると、問屋場・本陣・脇本陣と続き、西惣門に至る。その少し手前に「きく宗」がある。文化年間(19世紀初め)創業の「菜飯田楽」の老舗。細かく刻んだ大根の葉を混ぜ込んで炊いた飯、自家製豆腐に八丁味噌を塗って焼き上げた田楽。吉田宿の名物だ。ちょうど昼飯と夕飯の間で中途半端な空腹感だったので、ビール飲みたさに入ってハーフサイズを注文。これが、美味いのなんの…。フルサイズを頼めばよかったと後悔。

 西惣門を出て豊川を渡り、左折して約1時間ほどで「菟足(うたり)神社」。秦始皇帝が不老不死の霊薬を求めて蓬莱の島(日本)へ派遣した臣下が徐福。徐福たちは熊野に上陸し各地を経てここに定住。秦氏と名乗りこの菟足神社を創建したというのだ。始皇帝所縁のものとこんなところで出会うとは、ちょっとびっくり。
 この菟足神社には、はるか昔に人身御供が行われていたという。春の大祭の初日に、すぐそばの小さな橋を最初に渡る若い娘をいけにえにした。ある大祭の日、いけにえ狩りをする村人の前に、その日最初の若い娘が来る。それは、祭りの日に親に会いに来た、吉田宿で働く自分の娘。「わが子だが…」と悩む村人は驚き悲しみながらも、神に捧げるためにと娘をいけにえに差し出した。以来、この橋は「子だが橋」と呼ばれるようになったという。

 菟足神社を後にして、芭蕉の句碑が残る稲村立場茶屋跡を通り、御油の一里塚まで約7km。1時間半。

追記:広重の構図は無理としても、あれこれとトライしてみた写真を2点ほど。

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