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東海道NOW&THEN 34 「二川」

白須賀から二川まで2里16町。約9.6km。

 遠江と三河の国境にある境橋を渡り国道に出ると、湖西市から豊橋市に入る。江戸から71番目の細谷の一里塚(一里山の一里塚とも呼ばれている)を右に見て、約1時間で二川の東見附。

 広重の絵は「猿ケ馬場」の立場茶屋を描いている。二川宿の絵として描いているのだが、この猿ケ馬場の茶屋は、前の宿場・白須賀の高札場を出てすぐ、まだ白須賀といった方がふさわしい所にあったといわれている。それをなぜ二川として描いたのか? 広重自身に尋ねなければ分からないところだが、絵の中の看板にも書かれているこの茶屋の名物・柏餅が好物だったからとの説もある。この保永堂版のみならず、広重が描いた他の五十三次でも二川として、この「猿ケ馬場」の茶屋を描いている。よほど気に入っていた証左だというのである。
 写真は、その猿ケ馬場の茶屋が実際にあったと思われる白須賀の高札場のすぐ裏辺りの田園を撮ったもの。

 二川宿に入るとすぐ元・川口屋が右にある。商家だったが、今は宿場案内所。その先に白須賀と同じような桝形の痕跡が残されており、そこから問屋場・本陣・脇本陣・高札場と続く。本陣は復元され「二川宿本陣資料館」として一般公開されている。館内にはマネキンを使って当時の旅人や宿場で働く人たちの姿が再現されている。宿場の上方見附である西の桝形から15分ほどでJRの二川駅。駅前には「岩屋観音」への道標がある。

 二川駅前から500mほどの火打坂交差点を過ぎると、東海道はそのまま田園や住宅地の中を通り、約1時間で飯村の一里塚。そこで国道に合流する。火打坂の交差点を左折すると県道に入る。県道を進むとすぐ右に岩屋緑地の入り口。ゆるやかな坂道を上りきると「岩屋観音堂」だ。
 700年代半ば、諸国を行脚していた行基が、この地で自ら彫った木造の千手観音をこの小山の岩窟に納めて開山。時代を経て江戸・明和のころ、次の宿場・吉田の豊川に架かる吉田大橋の架け替えのとき、成就と安全を願って山頂に観音像を造立。だが戦時中に供出され、現在のものは戦後に再建された。本堂のすぐわきの崖には石仏がいくつも安置され、その横の岩階段を足元に気を付けながら上ると、山頂の観音像の真下に。見晴らしのよさはいうまでもない。

 岩屋緑地から県道を経て国道へ出て進むと飯村の一里塚。そこで東海道に合流。さらに30分ほど国道を歩くと、吉田宿の東見附である東惣門に着く。

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