めんどくさい かかわりたくないと思った上に楽観視した 救命(下書き)

かなり 楽観視してました そして最初
めんどくさい かかわりあいたくないとも思ってしまいました

一応僕は講習を受けて上級救命の認定証を持ってますが
今日 ひとりのおじいさんを的確に救命することができませんでした

理由は自分自身心当たりはかなりあります

まず めんどくさい かかわりあいたくない
偽善的な行動を取りたくない 危機感がほとんどなく
何でもないかるいもの たいしたことないと考えた事

そしていちばんの原因は意識はもうないのにもかかわらず
あると勘違いして適切な処置をせずまわりの人に任せてしまった事です

その方は動いたりしてたので意識があると思いましたが
冷静に考えたらそれは意識があっての動作ではなく
けいれんでした

まわりの人に対して意識はあるか 脈はあるかを確認したら
あたまを打ったようですという答えが返ってきました

その時ひとまかせの判断ではなく自分自身で脈をとったり
呼吸 心肺の確認をすればよかったのです

なぜしなかったのか?

けいれんで動いてる身体を見て意識があると勘違いしたこと

危機意識がまったくと言っていいほど無かった事

ただ これはただ事ではないと気がついたからこそ
1度 介抱してる方々に声を掛けたまではあるのですが

とにかく 何とかなるだろうと判断してしまいました

あとに人から言われて気がつきましたが
今 働いてるとこには看護師さんが仕事で毎日いるので
じぶんがわからなければ看護師さんを呼べばよかったのです
その簡単なことがなぜかできなかった

その時 僕にはその人を助けたいという気持ちは
ほとんどなく できればかかわりあいたくないと思ってました
はっきり 危機意識を持てていたらまだ良かったのに
ぜんぜん なく 助けようという意思が少なかった為に
そこまで考えがまわらなかったのだと思います

救急車も到着するのはかなり遅く10分以上はかかりました

でも 隊員の方達が心臓マッサージを始めた時
何かおもしろいものをみているような
わるい結果になるのを喜んでるような気持ちがあった気がします

とにかく ひとごと 他人事 何かおもしろいものをみているような感じ

どうしてそんなおもしろ半分に考えてしまったのか
自分でも理解できません

偽善でもいいから 出しゃばりでもいいから
とにかく ベストを尽くせば良かったのに
動けなかったということです

その人が店先に座ってのんびりしてたので
僕はそれを見てすごくいいなーと思いました

気持ちも和みました そしてその後
気がついた時にはその人は倒れてて人だかりができてました

打ち所がわるく たとえ救命措置をしても
すでに手遅れだった可能性もあります

ただ まだけいれんしてる時にもしくはもっと早い段階で
気がついて 看護師さんを呼んでいれば
今頃はその方も助かっていたかもしれません

考えが甘かったと言わざるをえません

講習だって受けてたから遠慮しないで
行動すればよかったんです

たとえ間違った行動だったにしても
救命措置で罪が問われる事はありません

今回の事で何がいけなかったのか
それは何度も考えてますが
原因と対策を考えていこうと思います

上級救命講習も再度受けてみようか考えましたが
上級救命講習は受講のための予約がなかなか取りづらいので
救命講習だけでも受けて講師の方に教えてもらおうと思います

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