ネットで何でも見れる時代に、わざわざ美術館に行く理由

美術館に行く理由が分からない、行っても「教科書に載っていた絵と同じだな」とか、せいぜい「上手で綺麗だな」しか思えない、といった意見を聞くことがある。そこそこ有名な作品ならググればすぐに画面上で見ることが出来るのに、どうしてわざわざ実物を観に行く必要があるの?と。

私がわざわざ美術館に行く理由は、主に2つある。

1つは、キュレーターの仕事を見たいから。美術館の仕事は、ただ作品を並べればいいわけでではない。その作品がどんな文脈の中で生まれて、どんな意味があるのか、後世にどんな影響を残したのか。それを自分なりに解釈し、物語として再構成し、来場者に対してプレゼンしなければいけない。

同じ作品でも、前後にどんな作品が飾られるか、どんな解説がつけられるかで全く意味が変わってしまうこともある。私は正直、絵についてきちんと勉強した経験はないし、作品単体で「ここのデッサンが…」「ここの構図がなんとか比になっていて…」と語れるような審美眼は持っていない。そのかわり、キュレーターが組み立てたストーリーを鑑賞し、時に同時代の歴史的背景や流行していた哲学思想などと比較し、あーだこーだ思いを巡らせるのが好きだ。これは、実際に美術館に行かないと分からないことだ。

もう1つは、そんな美術素人の私でさえ、実物のマチエールを確認して初めて分かるものがある、ということである。

先日は上野のムンク展で、初めてあの有名な「叫び」を生で目にすることが出来た。

それまで私の中で、ムンクの「叫び」はどちらかと言えば力強いイメージだった。なんせ「叫んで」いるのである。感情が爆発するのに任せて、ものすごい勢いでキャンバスに絵具を乗せているのではないか、と。

ところが実物の筆づかいは極めて繊細で、絵具は想像よりもずっと薄目に塗られていた。ムンク本人は、比較的裕福な家に生まれて、自意識や恋に悩む神経質な若者だったらしく、どうやらあれはめんどくさいインテリが計算に計算を重ねて創った作品のようだった。

更に言うなら、ムンクのほとんどの作品で1箇所か2箇所だけ、絵具がキャンバスの凹凸をはみ出して分厚く塗られている部分があった。これは、決してたまたまではない。絶っっっ対に計算である。「こんなインテリな俺だけど、たまには感情が高ぶって羽目を外すことだってあるんだぜ」アピールなのだ。まあ、あざとい!!!その手を使って今まで何人の女を口説いてきたの!!!

そんなわけで、これも実物を見なかったら分からなかったことだ。

インターネットで何でも見られる時代だからこそ、逆に実際に足を運ばなければ分からないリアルな経験の価値は上がっていると思う。興味を持った展覧会には、どんどん足を運んでみて欲しい。


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