口づけを背中に

安吾の『堕落論』を薦めた友達から「3文目がもはや意味わからず堕落した我には分からぬ」と抗議が来た。たしかに「海行かば…」は大伴家持(700年代)の詠んだもの。万葉集にも選出されている一節だ。しかし、安吾が用いたのは、まさか万葉集の知識を前提にしたわけではなく、戦争洗脳ムードだった戦前に曲があてられよく歌われていたからなのだ。

海行かば 水漬く屍 (みづくかばね)
山行かば 草生す屍 (くさむす)
大君の (おおきみ)
辺 (へ) にこそ死なめ
かえりみはせじ

海のように、山のように、青々と大志を抱く若者たちよ、天皇のための死を恐れるな。といった意味。

いかに堕落した者であっても、出版当時の1946年には誰でも口ずさめたのだろう歌。それほどに、歌われていた歌。安吾はこれを引用し皮肉っている。

若者達は花と散ったが 、同じ彼等が生き残って闇屋となる 。

人間が変ったのではない 。人間は元来そういうものであり 、変ったのは世相の上皮だけのことだ 。

風博士の自殺も蛸博士のインフルエンザもまったく意味がわからんけれど、『桜の森の満開の下』は恍惚をも覚える「世界の花吹雪」だったし、ほんと、色っぽい人だ。

「ああ三度冷静なること扇風機の如き諸君よ、」なんて。言える?

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月坂架 絃 (Ito Tsukisaka)

フィドル奏者、化学者、薬学者、物書きを称する東京大学学徒が、本郷の小さな喫茶店で綴る編著作。WHO WE ARE (https://note.mu/ifname_i/n/n50774dab8065)

薫風日誌

つれづれなるまゝに、日暮らし、硯に向ひて、心に移り行くよしなしごとを、そこはかとなく書きつくれば、怪しうこそものぐるほしけれ。我を知らずして外を知るということわりあるべからず。されば己を知るものを知れる人というべし。ひとり灯のもとに文をひろげて、見ぬ夜の貴君を友とするぞ、こ...
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