思想は伝搬し、空気は感染する。

そろそろ「政治はワタシには関係のないもの」「政治は難しいもの」「政治のことを話すってなんかちょっとネ…」というの、ほんとにやめよう。政治は国での生活そのものだ。この国で生活をして生きている私たちにとってそれは日常であり難しいものではない。日常について話すのは当たり前のこと。

安全な水を飲んで、電気を使う。毒が入っていない食品を安心して食べる。病気になったら健康保険証を持って病院へ行く。自由にTwitterで言いたいことが言える。両親の訪問介護を依頼する、施設にお世話になる。自分が積み立ててきた年金をもらう。生活のすべてが政治と直結していると言って良い。

私達が選んだ代表が着々と日常を壊している。成人なら「投票していない」のも「選んでいる」ということになる。「知らない」のも「賛同している」ということになる。死んでいるのは民主主義ではない。死んでいるのは民だ

だから「正当な形」で日常が崩壊している。知り→思考し→行動する。恋も人生も社会も、変わるか変わらないかはそれからの話。それなのに、あまりにも知らなさすぎる。知ることを阻害されているだけでなく、民が知ることを避けすぎている。

避けているから静かな崩壊に気づかない。いや、じつは少しおかしいと思っているのに気づかないふりをしている。ブログやSNSでは何度も言っているけれど、沈黙によって意志が果たされた歴史なんて一度もない。後々文句を垂れる前に知れ、というのは自分に叱咤したい言葉。

なんかちょっと発言しづらい。よくわからない。と思っているのなら、へぇーそうなんだと驚いたこと、納得したこと、感銘を受けたこと、共感したこと、など、心動かされた発言をポチッとRTするだけでも良いと思う。それが間違ってたっていいよ。そうやってみんなで考えてみんなで学んでいくんだ。

いじめの拡散はいじめの加担になるけれど、思想なんてもとより正解のないもの。誰もが正義をまっとうしようと生きているんだもの。そして正解がないのだからもちろん、思想の変化は意志薄弱の証ではない、恥でもない。むしろ学びの証、思考の結晶だ。

思想は伝搬し、空気は感染する。「ちょっと発言しづらいんだよね…」と思っている空気は感染する。沈黙は「加担していない」ことにはならない。民主主義において沈黙は静かなYESだ。同様にたとえSNSでも、ちょっと勇気を出した1つのツイート・1つのRTが伝搬し、勇気を奮った空気は感染する。

難しめの文章読むの無理ぽ……(ガクブル拒否反応ファー)というかたは、せやろがいおじさん(Twitter:@emorikousuke)の動画が最強におススメです。動画ほんまおもろい。テキスト系ツイッタラーですととみさん(@meow164)がおススメです。あとDr.ナイフさん(@knife9000)も分かりやすい言葉でおすすめです。とみさんは感情を記述する言語、Dr.ナイフさんはWhatを記述する言語が堪能なかただと感じています。まずはこの3人がおっしゃることをホォーというくらいの気持ちで見始めるのが良いのではというのが月坂架的リコメンドでございます。

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