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花畠をかきわけて

「あら私、東大の敷地内の保育園で48年保育士をしているのよ」

定食屋さんで相席をしてしばらく話していると彼女が目を丸くしながら笑って言うので、私も笑って驚いた。何という奇遇だろう。

東大の敷地内には6つの保育園がある。大学闘争の頃に最初は東大関連勤務者の託児所としてできたけれど、今はそれが増えて民間企業の園も入り、文京区の住民票があれば近隣の住民も入れるようだ。

決して自分の誇示しようとするでもなく、顕示しようとするでもなく、互いが「あれ?この人ともっとお話してみたいかも?」と感じあって、ちょこちょこと自分のことを差し出しあう時間は、花畠をかきわけて少しずつ近づいてゆくようで、人生の新鮮だと思う。

彼女は勉強家だった。
若い頃は、東大の教育学の教授室に行っていろいろと尋ねたり、早稲田の授業に参加したりしたのよ。と彼女。

児童憲章の遵守についての議論に回を重ねて参加し、現場の声としてジュネーブの国連本部に声を届けたこともあるそう。政治家たちの報告と現場との乖離が、ものすごくあるからって。

障害を持つ子どもも受け入れていて、同じ場所で保育をしているそうだ。これは私も結構切実に思っていることで、思わず、そういう友達がいることや自閉症の小学生に国語の集団授業をしていたことを話して恐縮ながら絶賛してしまった。

ポツリポツリと差し出しあったものが相性バッチグーで、いろいろと、話が弾んだ。

知的で朗らかで優しげな彼女が保母さんだったら、子供もご両親も幸せだなあと思った。

そんな彼女の言葉。すごく心に刺さった。
東大を出る人や、官僚や企業で世の中を回す人は、庶民の生活をちっともわかっていない。今の政治のひどさだってそう。貴女みたいな人が、世の中をつくってほしいわ。
と。私の人生には世の中を大きく変えるようなことをする予定はないけれど、私でも案外生きていていいものなのかもしれないなあと思った。そして、定期的にやってくる「私はこの世界でなにも生産的なことをしていないな」という気持ちに潰されかけていた想いを少しだけ押し返してくれた。

寄り添える人になりたいと思う。
寄り添うことなんて一生かかってもできない。誰に対してもできない。それを分かった上で、少しでも心地よい近さで寄り添える人になりたい。
どうやらそういうことは、少しだけ得意なようだから、わたしにも少しだけできるかもしれない。何を、どうやってやればいいのか、またやりたいのか、ということは皆目わからないけれど。

遊びにきてね。と、彼女の勤務時間と連絡先を書いて手渡してくれた。堂々と優しげな達筆だった。今度おじゃまするつもりだ。

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