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ドイツ在住11年目の振り返りと決意

2012年8月31日に私はドイツに来ました。
はじめの一年はワーホリ。その後ドイツに生きることを覚悟して、2013年に結婚。2016年に長女、2019年に次女が生まれ、今にいたります。

旦那と出会ったのは2009年
日本でインターンをしていた旦那とヲタ大学院生だった私が飲み屋で
衝撃的な一目惚れをして出会い、4か月付き合ったけどすぐに遠距離に。

お互いドイツと日本で就職して、3年遠距離してた時に東日本大震災があった。大揺れした古い東京6階のオフィスで、人生で初めて机の下にもぐって地震がおさまるのを泣きながら待っていた時、私はなんでここにいるんだろう?なんであの人のところに行かないんだろう?と自問自答を繰り返しました。
時差がありながら毎日メール、毎晩電話してくれた彼(オイあのマメさは今どこに)
当時、会ったこともないのに心配してくれる彼の家族や近所のドイツ人の存在を知って、この人とドイツで未来を歩みたいと思って、めちゃめちゃ上司に気に入られ、認められ、色々任され始めてもらっていたイベント制作会社を辞め(←今もインスタで繋がってる社長、すんません自分で言いますw)渡独を決めた。(本当に感謝してます、いつか恩返しさせてください)

そして私は彼と暮らせる喜びだけでドイツに来たが
早々に大好きなおじいちゃんを亡くし、すぐに帰れない海外在住の洗礼を受けた。じーちゃんが亡くなったのは満月の日。不思議なことに、10年目を締めくくる昨日の晩も、大きな大きなキレイな満月だった。(見守られてるなぁ)

日本での私はムードメーカーでたくさんの友達や上司に囲まれていたけど
こっちでは独りぼっち。誰も笑わせられないし、自分も笑えない。
近くにいるのはボケーっと横たわった牛ばっか。

ドイツに来てからというもの、
旦那の知り合いのパーティーに連れまわされたり、
親族の集まりでの知らん昔話は常にAWAY

語学学校のクラスメイトの誘いに行きたくないのに断れず常に苦笑い

芋と肉とパスタだらけの食文化で腹は膨れ
文化の違いで率直に物を言われる日々に勝手に傷ついた

得意だと思ってた言語も、ドイツ語の難解さには打ちのめされ
義母と義姉には「あの子のドイツ語はこれ以上(B2)伸びない」とdisられた
(絶対いつかC1とってやる)

旦那繋がりじゃなくて、自分の友達を作ろうとしても
ドーナツ化現象が起きているこの田舎町ではおしゃべりの止まらんおばちゃまか、超閉鎖的な若者しかいなかった。
かろうじて喋ってくれる人がいても心から何かを深く話せたり、笑えることがなかった。

ストレスでずっとお腹がゴロゴロしてオナラが止まらなかった
(過敏性腸症候群)

旦那と一緒にいれることはとても幸せだったけど
とにかく満たされない孤独感があった。

そんななかで、この生活を変えてくれるのは、「子ども」だと信じた
子どもがいればたくさんママ友ができてドイツ生活が楽しくなるはずだと思った

でも、この田舎で子育てするには旦那なしでも動ける「車」が必要。
神奈川東京住みでは必要がなかった運転免許を1年以上かけて何度も諦めたくなりながらどうにか出産前に取得した。
専門用語が謎すぎて学科は難航、実技ではすぐ怒鳴る教官が怖すぎて限界を超えたとき、呼吸困難になるほど泣き叫んで救急車呼ばれかけた(妊娠五ヵ月のイカレホルモンも原因)

海外生活なんてぶっちゃけクソほどキラキラじゃない
外に出りゃ馬糞の匂いで充満してる、ゴミだらけ
実際良い事なんて自然があって、酒が安いことくらい

でも周りに心配かけたくないし、
皆に海外生活カッコイイって思われたいからインスタで見栄張り倒した
あたかも、充実してるかのように。あたかも、ドイツが優れた国かのように。

子どもがいたら自分は助かると思ったけど今度は違うストレスが降りかかった(もちろん幸せな場面はたーくさんあったよ)

勝手に心を閉ざしているから義母に頼れない、頼りたくない
またもや孤独な子育てと、子どもを守ろうとする本能で神経質が炸裂し、それが原因で旦那もイラつかせ、人に頼らず頑張りすぎる気質で自分を苦しめた

子どもが二人になり、上の子どもも自分の意思を主張してくるようになると
私はアル中の鬼と化した

それでいてキャリアを大切にする周りのドイツ人ママは、子どもが小さくても働きにでて、お手伝いさんを雇って家の掃除をしてもらっていたり(少数派ではある)
自分のお母さんにしょっちゅう来てもらったり預かってもらっていたり。
「よく働きに出なくて平気だね、私だったら無理。てか、あなた何ができるの?」とか、いつでも綺麗なネイルしてて片付いた家で過ごしてるママ達に普通に言われ

それはそれは、劣等感と自己嫌悪の塊

惨めさからくる怒りの矛先は旦那と子ども

なんで協力してくれない、なんで私の時間をくれない、なんで私ばっかりこんな目に合わなきゃいけない!?

やりたくないのに娘たちに湘南ヤンキー調の汚い言葉で怒鳴りつけてた
そんな私の元に育つ娘たちは狂暴になり、近所の子と遊べばすぐ喧嘩。
それで近所のママからお宅の教育どうなってんの的なことも言われた

ストレスは全て酒へ
夕方になったらもう限界。お酒を飲めば私はちょっと優しいママでいられる。だから気分が良くなるまで毎日飲む(酒豪なのでなかなか酔わない)

でもある日やっと気づいたんだ
その日もイラーーーっとして、急いで冷蔵庫を開けてビールを取ろうとした手が震えてた

なんかその時だけ、見えた手が自分の身体じゃないような感覚がした。
本当にヤベェな自分

やっと気づいた

私のやってることは、誰の何のためにもならない
家族も自分さえも喜ばない
全ての人から笑顔が消えて、その先にある物って…
「孤独」よりももっとエグイものが待っている…

恐ろしかった。怖かった。
そして、絶対にこの状況から抜け出したいと思った。

だから私は学んだ。
どうしたら自分を変えられるのか、この全てを変えられるのか
貧乏だからまずはYouTubeでできる限り学んだ。

そこで見えてきたのは
私は私のことを全然認められてない。全然褒めてあげられてない。

こんっなにイライラして母親失格だと思って来てるけど、
私は娘が小さいころから自分が行きたくなくても一日2回外に出て散歩をしたり公園に行ったりしてる。
私は毎日娘や偏食旦那の健康を考えて食事を何食も作ってる。
家事掃除片付けはヘドロが出るほど嫌いだけど、どうにか人が生活できるレベルは保ってる。
つーか、自分の育った国と全然違う環境で、ましてや違う言語を大人になってから勉強して、幼稚園や小学校や病院とやり取りして、
いやいやいやいやああいやいやいやいやいH¥DしVHうぇいVHをえいヴぉうぇF!!!

やってんじゃん。
自分めっちゃよくやってんじゃん!

私達は本当に褒められない。
毎日の頑張りは数値になって評価されないし、お金にもならないから、目に見えた達成感がない。

そんな時私を唯一言葉にして褒めてくれたのは幼稚園の先生。
コロナ明けでずっと先送りにされていた個人面談で、
「あなたの子は本当に素直で、音楽も絵もスポーツもなんでもできて、たくさんの物が食べられて、本当にここまでよくやってきましたね」
ワシ、号泣。ベテラン先生2人の前で号泣。

そっか、わたし、ちゃんとやってたんだ。
ダメだと思うこともあったけど、本当によくやってたんだ。

これが本当に嬉しくて、力がみなぎった。

私に足りなかったのは、自分で自分を認めて、褒めて、信じてあげる力。
これがわかった今の私は最強です。
(それができるまでの方法を語りだしたら1年はかかるのでハショリマスが)
簡単に言うと、自己分析、自己受容をすることで、人は変われます。
自分の強みに気づいたら、次のステップに進めます。
はじめは貧乏だからYouTubeでと思っていたことを、自分のために少しずつお金を出して学び始めることができます。
時間はかかったけど、3年かけて本当に私は変わった。
主婦だから、ママだからと自分で自分を引きずり下ろすことがなくなった。
私達は、自分を高めるために自己投資するだけのことを普段やっているし、志や興味があるならお金を出して学ぶ価値がある人間です。

私達はなりたい自分にいつからだってなれるし、
今の自分には人を引っ張っていく力すらあると思っている。

だから私はこれからもずっと自分と向き合い、自分を高める学びを続けていく
その過程で、わたしを頼って必要としてくれる人がいたらならば、
必ず一緒に引き上げていって、一緒に笑顔で幸せで豊かな人生を実現していきます。

それが私の使命。
魅力や才能を引き出し、
「海外在住ママが笑顔で過ごせる世界」を私はつくります。

いつでも付いてきてください。
誰でも、笑顔になれる可能性を持ってます。

いがあゆ

2023年9月1日


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