KEYTALK『ロトカ・ヴォルテラ』-荒野に咲いた“紙一重”

乾いた風の吹きすさぶ荒野、背を向け合う男女。男の手にはナイフが、そして女の手には銃が携えられている。かつては愛し合ったふたりだが、今は敵同士。運命が無情にも恋人達を引き離してしまったのか。今となっては彼等は”喰うもの”と”喰われるもの”。そしてその関係は、いつ入れ替わるかわからない。紙一重の愛と狂気を胸に秘めた恋人達は次の瞬間身を翻して見つめ合い、その懐に隠した刃を互いの喉元へ突きつける――。

と言った雰囲気の曲である。今年早々にリリースされたKEYTALKのシングル、『ロトカ・ヴォルテラ』。突然のポエミー極まりないが、本当にこんな感じのイメージの楽曲なので騙されたと思って聴いてみてほしい。まあ音楽を聴いて得られるイメージと言うものは個人差が非常に大きく、だからこそ楽しいわけだが、言えることはただひとつ。KEYTALK史上最高に大人っぽくセクシーな曲になっている、と言う事だ。

スピーディでありながらこぶしの回りまくった小野武正氏のギターや裏打ちで跳ねるような八木優樹氏のドラムは通常運転の安心感があるが、今までよりも更に無駄を極限まで削ぎ落とした、ミニマルなストイックさが垣間見える。激しいスラップベースがアクセントとして強烈な印象を残す重ためな音とメリハリの効いた壮大な展開は、正にラスボス。ディープでダークな実力者、魔王の風格すら感ぜられる。

作詞作曲を担当しているのは言わずと知れた天才ベースボーカル、KEYTALK好きならみんな大好き首藤義勝さん。バンドのメインコンポーザーとして数々の代表作を作ってきた彼はこの曲に関して、「歌詞に自信がある」と言ったような事をツイッター等で発言しているわけだが、その言葉に嘘偽りは一切無く本当に歌詞が美しい。リスナー個々による歌詞解釈の自由を常に掲げて作詞に携わり、普段あまり歌詞について言及したがらない彼だが、今回は流石に言わずにいられなかったのではないかと思う程美しい。

そもそもこのやたら意味深なタイトル「ロトカ・ヴォルテラ」、これは生物学用語で「捕食-被食の関係式」を意味するものらしい。僕のようなインテリぶった馬鹿には何を言っているのかさっぱりきゅうりな高次元の語彙だが、高校時代から成績優秀(情報元・武正氏)、ベーシストとしてもブイブイ言わせていた野生のインテリ義勝さんは、このいかにもドラマチックなフレーズを「相反するふたつの概念」と言うイメージを想起させる装置として物語のプロローグに据えている。そして彼のその狙い通り、タイトルの意味をグーグル先生で予習済みの僕はまんまとその歌詞の深みに落とし込まれてしまった。

陰と陽、月と太陽、光と影、そして「言葉と身体」。この曲の歌詞には様々な相反するふたつの概念同士を想起させるロマンチックでドラマチックな言葉達が絶妙に散りばめられ、それらは表裏一体、紙一重で入れ替わるアンビバレンスな存在として扱われている。

この、相反する概念の対比と言うのは義勝さんの作詞作曲における美学の根底に通ずるモチーフなんじゃなかろうかと思う。彼のつくる楽曲は基本的にアッパー一本気でもなければ、センチメンタル一本気でもない。しっとりしたミディアムナンバーの失恋ソングにもちょっと軽快な踊れるリズムを持ち込んだり、パリピ感満点のチャラ〜いダンスロックでも何処か切なげで物憂げだ。作詞も同様。わかりやすい例はアルバム“OVERTONE”収録の『MURASAKI』だ。この曲の中で彼は、「赤と青」「未来と未練」と言った概念を絶妙に対比させてみせている。

モノローグに聞こえる歌詞の語り口もまた絶妙。一人称が乏しい彼の作詞の中でも珍しく「私」と言う主観が提示されているが、決して歌詞の内容は主観的ではない。寧ろ禁欲的なまでに客観性が高く、聴けば聴く程主人公がひとりではないような、例えば女性目線と男性目線が混ざり合っているかのような表現が散見される。

これはKEYTALKが男性ツインボーカルであるせいも大きいかもしれない。例えば男女ツインボーカルで女性パートに「私」が入るとどうしても男女のデュエット感が強くなってしまうし、ソロボーカルならやっぱり単独主人公のモノローグの印象が顕著になる。ボーカルが同性ふたりならジェンダーイメージが固定される事がないから、表現の自由度が格段にアップする。

寺中“巨匠”友将氏の今までにも増して表現力がメキメキビルドアップされた深みのある歌声と、義勝氏の最近目を見張る程艶の増した甘い歌声が絶妙に絡み合い展開されるハーモニーは、時にひとりの主人公のモノローグをステレオで増幅させ、時に紙一重の相反する概念を演じ分け、時に紙一重のふたりの呼応し合う心の叫びを代弁する。美しく響き合いながらも決して混ざり合わないふたりの歌声は、正にKEYTALKの音楽の根底に潜むアンビバレンスな「何か」そのものだ。

MV公開直後から「あんまりKEYTALKっぽくない」と界隈を少しばかりざわつかせたこの曲だが、もしかしたらソングライター首藤義勝の、そしてKEYTALKと言うロックバンドの音楽の本質をも炙り出す曲なのかもしれない。

まあ、そんなとんでもねえ曲を生み出しておいてもどうせ結局歌詞についてインタビューされれば、天才よしかつはいつものようにいけしゃあしゃあと飄々と、「厨二病っぽい歌詞が書きたくて〜」なんてコメントしちゃうわけだけれども。くそう、好きだ。

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