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暗黒時代とは何か~闘いと芸術~

現在のプロレスには闘いがない、闘いがないのなら、現在のプロレスは何なのか?、現在のプロレスは芸術の時代だと思っている。

ジャイアント馬場さんは「プロレスラーはアーティスト(芸術家)でなければならない」と答えている通り、馬場さんは海外武者修行中に当時トップレスラーだったバディ・ロジャースを見て「彼はね、バスで移動しているときは、他のレスラーがグーグー寝ていても、一人だけじっと考え込んでいた。『今日の試合はどうしようか? あいつと当たったらここを攻めよう。こいつの場合はこうしよう』といつも考えていた。暇があったら次の試合のことを考える。何も考えていない人間と、毎日考えている人間では、当然差が出るよな」とロジャースを芸術家と称え、対戦することでロジャースからプロレスを学んでいった。

なぜ猪木は闘いなのか、猪木もどんなスタイルにも対応出来て、相手の良さを引き出せる芸術家だが、同じ高みでは馬場さんという存在を越えることが出来ない、だから格闘技という分野を取り入れ、闘いを見せることで、馬場さんという存在を超えようとしていた。

しかし、90年代に入ると新日本プロレスは武藤敬司の考える芸術のプロレスに舵を切ろうとしていた。武藤は猪木の弟子なれど、アメリカでトップに立ったことで、勝ち負けを考えず、一つの試合を芸術として作り上げる芸術家になった。それを考えるとプロレスに対する考え方は馬場さん寄りだった。
猪木は武藤の考える芸術のプロレスを否定し、格闘技路線を敷くことで、闘いのプロレスを新日本プロレスで見せようとしていた。けど当時はWWEのアメリカンプロレスも日本で見られるようになったことで、ファンは武藤の考えるプロレスを支持したため、新日本プロレスはファン離れを起こしてしまい、暗黒時代というものを招いてしまった。

暗黒時代の新日本プロレスは格闘技の方が上に置かれ、プロレスの方が下に置かれていた。猪木の考える格闘技路線の時代は、猪木が新日本プロレスの経営から退くことで幕を閉じ、武藤敬司の芸術のプロレスへと軌道修正することで新日本プロレスは再興することが出来た。

だから現在の新日本プロレスが面白くないストロングスタイルがない、暗黒時代だと言う人は、本当の意味での暗黒時代を見てきた人が見ていない人らが言うことで、戦争を知らない子供達が増えていったように、暗黒時代を知らないファンも増えて、考え方が贅沢になったということだと思う

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