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高田延彦がRIZINから”勇退”狂乱の格闘技ブームはなんだったのか…

高田延彦がRIZINから離脱したことを発表した。

理由は明らかにされてないが、髙田自身も気が付けば61歳なことから、ここらで身を引いて勇退を選んだということなのかもしれない。

1997年10月にPRIDEがスタートし高田がヒクソン・グレイシーに敗れたことで、日本にも総合格闘技というものが認知された。総合格闘技はUFCを週刊プロレスが報じていたことから、一部のファンから認知されていたが、まだ対岸の火事でしかなく、自分も高田がヒクソンに2度敗れても、まだ対岸の火事という認識でしかなかった。

しかしTV各局が注目しゴールデンタイムで放送されることもあって、格闘技ブームが起き、プロレスを凌駕するようになったが、今思えばそのタイミングで新日本プロレスもドーム興行の連発でネタが切れ始め、全日本プロレスもジャイアント馬場さんが死去して分裂、新日本プロレスも武藤敬司や橋本真也が離脱したことで、変動期に入っており、プロレス界全体のパワーが落ちていた。

一番のピークだったのは2003年のフジ、TBS、日本テレビの大晦日での格闘技興行戦争で、TV局は格闘技が視聴率を取れるコンテンツとわかると、大晦日のゴールデンタイム3局で格闘技が放送される異常事態となったが。これが格闘技ブーム、バブルが弾ける予兆であることにはまだ気づいていなかった。

2006年になるとフジテレビがPRIDEの放送打ち切りを発表、きっかけは「コンプライアンス」に抵触したからで、一つのことがきっかけになって格闘バブルが弾けてしまった。この頃には新日本プロレスも格闘路線を排して純プロレス路線に軌道修正したことで、人気を盛り返していた。

格闘技ブームはテレビというメディアというものにK-1やPRIDEが乗っかったことで起きたことだったが、それがいつの間にか格闘技がTVというメディアに踊らされるようになった。今思えばK-1、PRIDEだけでなくテレビも目先の事しか考えていなかったのかもしれない。

高田はRIZINから離れるが、いったいどこへ行こうとするのか、またプロレスと向かい合ってほしいが…

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