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その場限りの不満

ジュリア「まわりの人間から「小川さんやりましょうよ!」って焚きつけられて。まぁ、最初に焚きつけたヤツらは誰ひとり(マリーゴールドに)来なかったけど。それでも小川さんはそいつらのためにって行動に移して、スターダムのライバルになりうる団体を作った。こんなおもしろいジイサンいます? 私たちはそれに応えるしかないでしょ。なぁ?」

ジュリアがビクトリア弓月とベースボールマガジン社のサイトで、ロッシー小川代表が新団体「マリーゴールド」を旗揚げするきっかけを明かしたが、自分は大体こんなものだろうと思っていた。

小川代表を新団体設立へ突き動かしたのは誰なのかは?スターダムの選手ほぼ全員だったと思う。

前社長だった原田克彦体制のスターダムは、選手のコンディションを無視したビックマッチの乱発や、フロントのミスを現場サイドに責任を擦り付けるなど不満が鬱積しており。また小川代表も前体制に反発したことで、マッチメークから外され、現場には来てもお飾りに過ぎず窓際の状態だった。

選手らから不満を聴いた小川代表も、ブシロード体制に嫌気を指していたことから、新団体設立へと動いたのだが、開始時間が前日に変更になったことで起きた牛久事件で状況が一変、原田前社長は退任という形で解任され、岡田太郎氏が社長に就任すると、徐々にスターダムの環境を変え、岡田社長も選手らから慕われたことで、選手らの不満は解消されてしまった。それを考えると小川代表が新団体の話を持ち出した時は、選手らも驚いたのではないだろうか…、

これで思い出したのは1979年、全日本プロレスで起きたクーデター事件で、首謀者だったサムソン・クツワダは選手らの不満を聴いたうえで、ジャイアント馬場さんが選手のギャラを搾取していると思い込み、ジャンボ鶴田を誘って新団体設立へと走ったが、クツワダが馬場さんに辞表を叩きつけた時、誰もが自分に追随すると思っていたが、誰も動かず、クツワダの一人相撲に終わって、クツワダは全日本プロレスだけでなく、プロレス界からも追放されてしまった。
この時もクツワダが誘っていた鶴田だけでなく他の選手さえも半信半疑で本気にしておらず、クツワダ自身も自分には人望があると思い込んでいたに過ぎなかった。

はっきり言って、この時の全日本プロレス、スターダムの選手らも不満はあったが、その場限りのもので、選手達も最初は小川代表に着いていこうとしても、団体内の環境が変わってしまったことで、選手らの不満は消えてしまった。もしになるが原田体制のままだったら、ほとんどの選手らは追随していたと思う。

クツワダは人望がなく、誰も追随しなかったが、小川代表には人望があってジュリアや林下詩美、MIRAIなどが付いていった。それがクツワダと小川代表の違いであり救いだったかもしれない。

昨日22日、SEAdLINNNG後楽園ホール大会で主力である中島安里紗が引退を発表した。中島の引退は残念だが、問題なのはSEAdLINNNGの所属選手は中島と新人の光芽ミリアだけで、本来主力の一人である世志琥も2022年負傷欠場してから音沙汰がなく休業状態、それを考えると中島の引退はSEAdLINNNGにとっては大打撃である。
5月にはマリーゴールドも旗揚げすることで、女子プロレス団体はスターダム、東京女子プロレス、マリーゴールドの3強の時代になり、力のない団体は淘汰される可能性だって否定できない。それを考えるとマリーゴールドの旗揚げは、これから激動の時代を迎える女子プロレスにとって、まだ序曲に過ぎないのかもしれない。

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