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日本人に認められた大ヒール

新日本プロレス、全日本プロレスでは大ヒールとして活躍したタイガー・ジェット・シンに旭日双光章が贈られることになった

シンは1973年5月、新日本プロレスに初来日、当時の新日本プロレスはやっと「ワールドプロレスリング」が放送を開始したばかりで、外国人ルートが確立しておらず、エースとなる外国人も不在の状況だった。

そんな時にシンが突如として現われ、コブラクローや凶器攻撃を武器にしてアントニオ猪木と血で血を洗う抗争を繰り広げた。シンは日本では全くの無名の選手だったが、猪木と対戦することによって一気にスターダムにのし上がった。

時には猪木と当時夫人だった倍賞美津子さんが伊勢丹で買い物をしていた際に、シンが現われ猪木を襲撃し、また猪木の顔面に火を被せ、猪木の怒りを買って腕も折られたりした。「ワールドプロレスリング」にはシンの極悪ぶりにクレームの電話が殺到したが、それに反比例して「ワールドプロレスリング」はシンの暴れっぷりのおかげで高視聴率をマークし、シンもスタン・ハンセンが台頭するまで、猪木のライバルとして抗争を繰り広げた。

そんなシンもプライベートでは紳士だが、マスコミの前に現われると極悪ヒールにガラリと変わる。まさにプロフェッショナルヒールだった。

そのシンが旭日双光章が贈られたのも、大ヒールでも日本人から認められた証、シンにとって日本は第二の故郷で、忘れられない国でもある。

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