もうひとつのルビコン川    紀元前49年3月 イタリア南部

晴れ渡る空、青い海、現代であれば観光名所と知られる壮大な景色の中にいる。
現代の観光客であれば、最高の時間を味わえるだろう景色であろう。

しかしながら、紀元前49年のローマ人には不穏な空気をも少し含んだ気持であったろう。

特に本編の主、ラビエヌスにとっては、薄暗い雲が立ち込めてきたような感がある。

アドリア海の眩しいばかりの青さの奥に深い黒みをみたようであった。

「老いては麒麟も駑馬に劣る」

そんな格言がある。壮年期を過ぎたポンペイウスの翳り(かげり)がこの男だけにはわかったのかもしれない。
そして、それがユリウス・カエサル唯一の勝機であることを知っていたのは、このカエサルの代理人たるラビエヌスなのかもしれない。

戦略的には一理ある。ガリア、現在のフランス地域のみを基盤とするカエサルに対して、ポンペイウスは地中海全域を基盤としている。特に海軍力は、元老院、及びカエサルに対しては圧倒している。

当時の東地中海は富が集中している。そして、エジプトはローマの穀物庫といわれていた。
それに加え、現在の南フランスのマルセイユの港、現在のスペインにあたるエスパニョール属州まで手中に納めていた。戦力的にも財力的にもポンペイウスが圧倒していた。

それに加え、ローマ史上まれにみる天才軍事家としてのポンペイウスの才能と名声はいまだ衰えを知らない。若干の不安要素がみられるとしたら.....年齢による衰えである。
この時、ポンペイウスは56歳、そろそろ老齢による衰えが見え始める年齢である。

 一抹の不安、それがラビエヌスが感じる唯一の心配点であった。
それにしても、その一抹の不安がここまで、彼の心に影を落とすのであろうか?

ローマ本国を去り、ギリシャに移動。そして、穀物庫を確保し、英気を養い、野戦で決着をつける。戦略的には満点回答である。それなのに.....ラビエヌスの心には不安が残った。

ローマ本国を去るという戦略がポンペイウスの弱気、或いは衰えだと見抜いていたとしたらならば、このカエサルの代理人は稀代の戦略家の一人と呼べるであろう。

彼の不安はそのまま、カエサルの洞察力であったからだ。

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