もうひとつのルビコン川    紀元前48年 ローマ

この年、ユリウス・カエサルがコンスルに就任した。

財力、兵力、食料、すべてにおいてポンペイウス側が勝っている状況には変わりはなかった。デキウスらのエスパニア属州討伐は順調ではあったが、現時点での総力の差は明白であった。

だが、カエサルには勝算はあった。こちらは首都を掌握している。
すべての道がローマに通じるようにすべての法令はローマから発するのだ。
法治国家ローマにおいて、法的根拠こそが大義名分であるのだ。

そのあたりの感覚がポンペイウスにはかけていたのだろうか?

それは十分に考えられる仮説である。
かのポエニ戦争の名将スキピオ・アフリカヌスを超える最年少の軍司令官を務めたポンペイウスである。法の順守よりも超法規措置で生きてきた人物ともいえる。
そのような特別扱いをうけた人物が法的根拠にこだわるだろうか。
自分の才能を十分発揮できれば世の中を変えられる。そういう想いでもあっただろう。
実際に彼の青年期から壮年期までの実績ならば、この考え方は間違ってはいない。
歴史も実績もそれを証明してしまっている。

 しなしながら、それは個人の生き方であって、国家の歩みではなかった。
ポンペイウスに敗ける要素があったとしたら、この鳥のような目線で物事を見れなかったことかもしれない。否、凡庸な人物に比べれば、物事を俯瞰的に立体的にみる能力は数段まさっていただろう。だがしかし、ユリウス・カエサルに対しては一段階だけ劣っていたと思える。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?