なんのために勉強するの?

今日は妻と下山して、町に降りてきています。

1時間弱の道中は、妻とのディスカッションタイムです。

今日の話題は「学び」について。

Voicyでも語ったのですが、妻の「学びの定義」が面白かったんですよね。

みなさんは「学び」ってなんだと思いますか?

「学び」っていったい、どんな行動(あるいは結果)なのでしょう?


ぼくは「学びとは、知識と知識をつなげようとする運動である」と考えています。

歴史を学ぶと、現代の問題とつながってきたりしますよね。

あるいは「仏教」と「宇宙論」がつながりを持っていたり。

そういうつながりを探求していくことが「学び」だと思うんです。


妻は違う定義を教えてくれました。

いわく「学びとは、体験の言語化である」とのこと。

たとえば「プールに入って泳いだ」という体験を、自分の感性で「言語化」することが、学びというわけですね。

……おぉ、これはわかりやすいし、より本質的な感じがします。さすが妻。


学びの定義はそれぞれなので、ぼくも妻もある意味で正しいのでしょう。突き詰めると、どっちも似たような話ですしね。


こここあらさらに踏み込むと出てくるのが、「そもそもなんのために学ぶのか」ですよね。

子ども時代に「なんで勉強するの?」と思ったことは、誰しもがあると思います。

みなさんはこれ、どう答えますか?


ぼくは「勉強するのは、他人とより良いコミュニケーションを取るため」だと答えます。

知識と知性を深めていけば、見ず知らずの他人とも、平和で生産的なコミュニケーションを取ることができるようになります。

たとえば英語力がない(知識がない)と、英語話者とはうまくコミュニケーションが取れませんよね。

下手すると表現のすれ違いでケンカになっちゃったり。


知識はあっても、知性が足りない人もいます。

知性とは「思い込み(思考停止)を排除し、目の前の概念や現象について、一歩深く理解しようとする態度」といえるでしょう。

知識人のなかには、こうした知性に欠如している人が散見されます。

知識があるからこそ、思い込みで突っ走ってしまうところもありますからね。


学びというアクションを通して、知識を深め、知性を涵養し、他者と平和的で生産的なコミュニケーションを実現する。

これがイケハヤ的な「学び」の理解です。

みなさんのご意見もぜひnoteなどで書いてみてください。

学びって具体的にどんな行為で、なんのために学ぶのでしょう?


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