あの『AKIRA』を劇場で観た。 2018/03/23

日本アニメの金字塔でありマイルストーンである『AKIRA』。それが京都みなみ会館で上映されるということで、この機を逃すまいと劇場に駆け込んだ。以下はその鑑賞直後の雑記。本当に雑記。

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AKIRA 2018/03/23
・最後のみなみ会館。爆音上映。アプリがログインできなくチケットを表示できない、焦る。なんとか座れたが、ほんとこういうことがあるからテクノロジーはまだ信用できないし、いやだ。右後ろ奥の席。超満員。

・ドラゴンボール、千と千尋、クレヨンしんちゃん、ジョジョ、今敏作品、エヴァ、今まで自分がなんとなく接してきたアニメの数々を思い出した。モチーフ、表現、タッチ。源流なのだ、AKIRAが。

・「自分たちの手に負えない力」「制御できない力」としての「AKIRA」。これを原子力(原発)の比喩として解釈するのは安直だろうか。おそらくそういう解釈はありふれているだろう。ゴジラとか、君の名は、とかを観て、またその評論を読んで、その癖がついている。

・結局、最後までその力は制御できずに終わる。「いつかできるように」で終わる。AKIRA=テツオは宇宙に行ってしまった(宇宙に「なった」?)。

・見るまで、金田が「アキラ」だと思っていたが、違うんだね。神秘化された超能力の根源がアキラだった。

・筋肉が暴走してテツオを飲み込むシーン。ボディビルは筋肉に身体が取り込まれるマゾヒズムであると千葉は言っていたが、それを思い出した。そして言語もまた筋肉のように、「制御を離れて」暴走するのである。それが言語の可能性である。あのシーンは、それを思い出した。勉強をして、言語に「身をまかせる」ことで進んでいく思考は、ある種テツオを筋肉が飲み込むあのイメージだ。僕たちは言語の手綱を握れない。制御などできない。ギリギリで防波しながら、なんとか決壊しないようにしているだけ。しかしだからこそ、思考は遠くまで行ける。未知の領域に「連れて行って」くれる。

・ひたすらのバイクアニメーションだと思っていたが、全然違った。政治性もあり、内省的なテーマもあり、SFアクションでもあり。あらゆる要素が詰まっていた。

・カネダ、好き。

・2019年のオリンピックを控えた東京、舞台がもう今だ。今こそみるべきアニメだろう。

・音もすごかった。挿入されるドラのような、効果音。バラエティ番組でよく使われるような。宇宙船の運転音が体を揺すった。

・科学のために人体実験をされるテツオ。タカシら。人に実験する研究をしている自分を省みた。ベタだけど、今までそこにあまり神経を使ってこなかったんだなあ。人を実験台にする、こと。

・結構いろんな考え事をして集中してなかった。締め切りのこととか考えちゃった。まあしょうがないね。

・全能感に溺れるテツオ。印象的。カネダへの不満を主とする幼少からの抑圧が、逆向きに溢れ出したテツオ。観ていられない。が、皆ああなりうる。大きな抑圧は、反対のエネルギーを強く持っている。きっかけがあれば、皆テツオになる。ガス抜きをすること。抑圧から逃げること。テツオにならないために。いやテツオになってもいいのか?

・全員顔が似ていて、キャラの同定がままならなかった。
・サイバーパンク。良い世界の色。

・もっかいみたいなあ。みよう。

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