可能性を信頼する力

人間の生まれ持った可能性を信頼する力。

これ、なかなか難しいんです。

人間、目に見えるもので物事を判断しがちですから、目に見えない潜在的な力、可能性をどうしても信頼しない。

だから、本来であれば大木になったであろう芽を雑草と区別がつかずに処理してしまう。

今の大木にしか目を向けない。

これでは、世の中は豊かにはならない。

間違えてもいいから可能性を信頼すること。

不思議なもので、人間というのは信頼されれば物凄い力を発揮する。

信頼せずに支配、管理されれば途端にエネルギーを失う。

こういう風潮が蔓延すると大木さえも衰えていってしまう。

競争の中で必死に根を張らなくなるから。

こうやって全体が沈没していくのである。

一見何の役にも立たなそうな、一番役に立つ基礎研究に力を注がない社会はその最たる例であろう。

数学とは抽象の世界である。

非常に簡単な例を出そう。

1+1=2、1-1=0、1×1=1、1÷1=1

そんなことはわかりきっているという人が多いのではないだろうか。

しかし、数学では数が重要なのではない。+と=、×や÷という概念が重要なのである。

これらは何をあらわしているか。

関係性である。

これを人間に例えてみよう。

一般的にある人とある人が足されれば2Xという回答が得られる。

しかし、現実はどうかといえばそういうわけでもない。

ある人は複雑な公式を持っているかもしれないので、答えをひっくり返す可能性だってあり得る。

Xという能力とXという能力が交われば、Xの二乗という回答が得られる。

しかし、人間の能力は同じではないし日によって変わる。そこに特殊能力が加われば、シンプルな答えとは程遠い答えに辿り着く。

状況によって、回答が全く異なってくるのである。

サッカーチームでも、野球でも、何でも、優秀な者を集めたからといってそれが足されて、優秀なチームになるわけではないことは皆さんもご存じであろう。

それぞれの人は独自の公式を持っており、打ち消しあう可能性だって大いにありえるのだ。

リーダーの資質とは何か?それらを自分の公式(人々はこれを指針などと呼ぶが)でうまくマネージメントし、いい相互作用を起こさせ、成長するように並べ替えたり、足したり引いたりしていい反応を起こさせるのである。

こういう思考を鍛えるのに最も適した学問が数学なのである。

こういう思考をあらゆる原理の基礎と呼び、基礎研究として発達してきたのである。

このような応用の効くものを援助しないというのは、思考を放棄させようとするのに等しい。

見えないけど、確かに存在する法則に対する愚かな行為である。

見えない可能性に対する侮辱である



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