平和への詩 終戦記念日の千鳥ヶ淵と靖国神社

終戦から74年。

千鳥ヶ淵には 青空が広がり、二艘のボートが 夏の深い緑の下で揺れていた。

台風から発生した南国の強い風は、時折、サーと雨を降らせたが

雲を飛ばし、セミたちの叫びが 私の生まれる遥かな昔日の時を思わせる。

靖国には日の丸や旭日旗があちらこちらで振られている。

ここは思想の場ではなく、宗教の場。

英霊として祀られている戦争を戦った人々。

だが、見方を変えれば、引き裂かれた命であり、消えた命にどれだけの人々が涙を流したのか。

後世の人間が歴史を批判するのは簡単なことだけれど、

なぜ あの無謀な戦争へと突き進んだのか。

そして、その戦争はもっと早く辞めることはできなかったのか。

亡くなった人々に何も罪はないのに、靖国を歩き、まるで戦争を賛歌するような空気に私は苦しかった。

 

平和は黙っていては手に入れることはできない。自由に歩けて、好きな本を読めて、自由に語ることのできる今。ひもじい思いはせずに、生きていられる現代。

 

英霊たちは、何のために死んでいったのだろう。お国のため、天皇のためとは、本当は誰のためなのだろう。命は誰のものなのだろうか。


愛する人を守るために投げ出す命。

いけない。いけない。戦うのではない。殺しあってはいけない。止めないと。止めないと。

 

8月15日が過ぎていく。

明日の日本の平和は誰が作るのか。平和を作っている人がいる。誰かが作っていてくれる。それは自衛官だけではなくて、外国語の友達のいる人や、ある国のことを好きになる人や、言葉を学ぶ人。仲良しを作ること。

 

そう、平和とは仲良くなること。笑ってみること。生きること。今日を生きること。誰かのために働くこと。

ありがとうということ。そこから平和が始まるのかもしれない。

ありがとうといってもらえるようなこと。

今の私には、こうして書くことがそんな営みの一つ。

今日も平和の歌を歌おう。


いつもサポートしてくれて本当に感謝です。 文字があるから、私たちは生きていける。繋がっていける。 そんなことをかみしめて生きています。 イイねや ナイスや スキ そんな暖かな気持ちに ありがとう。本当にありがとう。