0の発見の スゴさ(数学的視点で人生を見る)

0という概念は、算数(数学)を学ぶ上で、とても大事です。

そもそも0には二つの意味があると言われています。

一つは、302や 2030のように、ある位が0であること。

これは、古代バビロニアでの60進法や、マヤ文明の20新法で

位としての空白を表す0が使われていました。

 

そしてもう一つは、0そのものを数として扱うことです。

こちらは、インドが発祥です。5世紀から9世紀にかけて0を含む10進法の記数法を発明したのです。

(参考文献 「AI時代を切り開く算数」 芳沢光雄 日本評論社)

 

例えば、

カゴの上にミカンが3つ

カゴの上にミカンが2つ、

カゴの上に1つ 

カゴの上にミカンが0


そんな図があるとします。

大事なのは、何も載っていないカゴです。

このカゴは、ミカンが0だと認識するから、ここにはミカンを載せようという

意思が働きます。

 

0は何もないのではなく、あるはずのものがないという記号なのです。


「僕には失うものが何もない」という場合と

「僕はお金を失いました」という場合、

前者には何があるのかわからないけれど、

後者の場合にはお金が0(あるいはマイナス)という数があります。

数があるということは、0を1にすることはできるのです。

一方、前者の場合は、何があるのかが、わからないので、

数字の0というよりも、無と表現したほうがいいのかもしれません。

 

私がを言いたいのかというと、あるカテゴリーを想定して、

その量を数値化して「0」という値を出している人は、きっと、もうすでに量を持っているのです。

 

よく、「勉強することは何のためなの?」と聞かれます。

テストでいい点を取るためだけでは、寂しすぎます。

 

一番大事なことは、その学びを通して、世界を見る「視点」を持つことです。

0をテーマに、少し考えるだけでも、世界の見え方が少しずつ、変わり始めます。

こうした「考える」ことの面白さ、楽しさを知ることが勉強する目的のその先にあるのだと私は思います。

人はどうして学ぶのか?

大事な子ども時代、どうして学校では、子ども達を遊ばせるのではなく、学ばせるのだろうか?そのプラスの側面を見つけていくことが、

やがて大学や社会人になっても学んでいく「基礎の力」になっていくのです。

学ぶことは、生きていくための「大切な道具」、自分やみんなを守る「武器」に

なるのだと私は思います。



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