話すことだけがコミュニケーションじゃない

「コミュニケーションて話すことだけ」と思い込んでいませんか?実はラテン語の語源から探ると大事なことが見えてきます。ちょっと掘り下げて考えると、話すことよりももっと大事なことが見えてきます。

コミュニケーションとは話すことなの?

私は、人と話すのが苦手です。大勢の人の輪がある中で話をするのは、特に苦手です。

会議や何かで意見を求められるのはまだしも、一番苦手なのが雑談です。会議で順番が回ってきた時に、自分の意見はなんとか言えても、休憩時間に、仕事以外の話をするのが苦手です。

学生時代から、休み時間がたまらなく居心地が悪かったです。

今日、ある方と話していて「僕は 話するの苦手なんですよ」と打ち明けると、その人は「話すだけがコミニケーションじゃありませんよ」といってくれました。


それを聞いて、ジーンとしました。

「何か話さないと」「この無言の沈黙をなんとかしないと。。」人と一緒にいて、沈黙が訪れると、私は意味なく深い深い罪悪感を感じていました。

話好きの人にとってはこの悩みはささやかなものだと思うけれど、いつも話題を探して、全力で気の利いたことを言おうと検索していると、神経がすり減ってしまう私には、深刻なことです。

こんな不器用な自分のことを、なかなか受容できません。

だからこそ、「話すことだけがコミュニケーションではありませんよ」のひとことは、じんわりと暖かかった。

 

そもそもコミュニケーションとは?

そもそもコミュニケーションという言葉が「横文字」のため、コミュニケーションのイメージは語る人によって大きく違います。

「話すことこそ大事」と思う人もいるし、逆に「聞くことだ」という人もいるし、「伝えることだろう」という人もいます。

こういう時には、語源を調べるのが一番です。

コミュニケーション (communication) の語源はラテン語のコムニカチオ (communicatio) です。コムニカチオの意味は「分かちあうこと、共有すること」です。重要なのはコムニカチオの意味が「伝える」ではなく「共有すること」である点です。(参照 ShareWis PRESS

なるほど、分かち合う、共有することが根源にあるんですね。

 

あなたや、一人一人の人が大切にされるコミュニティー

そうだとすると、コミュニケーションにとって一番大事なことは、自分たちが属すコミュニティ(共同体)のことを大事にすることではないでしょか。そしてもっと大事なことは、コミュニティーに属する一人一人を大切にすることではないでしょうか・

つまりはコミュニティーという共同体があって、そこでお互いに分かち合うことがコミュニケーションとなります。

  

人間がどうしう社会を持ったのかというと、人間が弱いからです。弱い人間が技能を持ち寄り集まることで、人間は恐怖を乗り越え、文明を発達させてきました。

 

コミュニティーにも、悪いコミュニティーやよいコミュニティーがあります。

悪いコミュニティーでは、所属する人に貢献ばかりを求めて、個人であることが大切にされません。個人よりも全体が常に優先されます。

よいコミュニティーでは、コミュニティーがそもそも、一人一人の人のためにあると考えられています。人権が大切にされ、個性が大切にされ、人と人の考え方や文化の相違すら尊重されます。

 

「話すのが苦手」と感じる時、それはきっと、その人の生きてきた歴史の中で、自分の意見を言うことを許されなかったり、叱られたり、脅された経験がどこかにあるのではないでしょうか。安心して、話ができる聞き手がいて、安心して話せる空気があって、人は心の底にためていたものを語り始めるのです。そして心の底から安心できるからこそ、ふと浮かんだ気持ちや体験も語れるのです。

 

話せないからと言って、悩む必要はありません。そもそもコミュニケーションとは、目の前のあなたを大事にすることです。

私たちは、男でも女でも、大人でも子供でも、貧乏でもお金持ちでも、どんな仕事をしていようと、何も仕事をしていなくても、病気でも、そうではなくても、そんなことを超えて、一人の人間としての尊厳をみんなが同じように持っています。

 

それを尊重しようと思えること。そんな人が集まることこそコミュニケーションではないのか?自分が大切にされるように、目の前の人のことも大切にする。愛の循環が起こること。それが本当のコミュニケーションではないのか?

 

まとめ

「話すことだけが、コミュニケーションではありませんよ」の一言が嬉しかったことをきっかけに、自分の考えを掘り下げて考えてみました。人間には得意や不得意があります。だからこそ人が支え合う意味があるのでしょうね。私は出会う人を大切にできたら嬉しいです。

私は気分にムラがある特性を持っているから、できる時もあるし、できない時もある。でもね、できる範囲で目の前の人を大切にすればいいのです。できない時には、少なくても貶したり、意地悪をしなければいいんです。それだって立派なコミュニケーション。

自分へのハードルを下げて楽でいられるからこそ、人を大事にできるんですね。

自己責任ばかりが追求されるんじゃなくて、みんなで気楽にやっていきましょうよ、と言う一見するとちょっと無責任くらいの空気が、楽しい人生を開いていくのかもしれませんね。


今日も読んでくださりありがとうございます。



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