朝の日課と 温かなる眼差しと

朝目覚めると、ノートの閲覧がどれくらいに

伸びているのかみるのが楽しみだったりする。

これはきっと、初心者あるあるなのかな?

 

朝から人のノートを見て、時間がすぎて行くことにハッとする。

でも、今は頑張っている人の投稿よりも

病んで疲れて、気力が出ない、そんな人の悲鳴やぐちや

リアルの世界ではなかなか聞けない心の底にたまっている感情に触れることが

何だか何だか心地よい。

 

生きづらさを抱えている人たちは、ある意味天才だと思う。

その生きづらさを持つ目線こそが、オリジナルであって、だから彼らの発信は私にに響くのだ。

表現を続けることは偉大だね。

 

彼らを支える人は誰だろう。私を支える人は誰だろう。

もちろん自分自身なんだけど、自分以外の他者の支え、家族以外の支え、友人以外の支えがあるからこそ、生きていく希望が生まれたりする。

自己表現の継続と、支えてくれる人との出会い。

 

大事なことは、SOSを発信すること。

僕を支えてくれませんか?必要以上にもたれはしませんから、

ほんの少し、人差し指で私の背中に向けて小さなエネルギーを押してくれるだけで良いのです。

あなたの愛をほんの少しだけ分けてください。

私の愛もほんの少しだけお分けします。

 

私は愛をシェアするとき、全力で僕にできる限界を超えてエネルギーを絞り出してしまうのです。だから、疲れてしまうのです。

継続することよりも、最大瞬間風速の記録に、喜びを感じてしまうのです。

 

私のエネルギーは持続可能でありたいです。突貫工事で枯渇するまで掘り出しては、疲れてしまうのも当たり前。自然の中での深呼吸。自然と触れ合うこと。

そんな小さな小さなことが、私の心にエネルギーを与えてくれる。よく眠ること。小さな命を感じること。小さな感謝を見つけること。

怒りや悲しみのある人生だけれど、些細な些細なことでもいいから、私の幸せを作りたい。

でも、だからと言って。私の不幸せを壊そうとも思わない。

何故ならば、そんな人生でも私の大切な人生だから。人が生きている毎日の歴史。いいじゃないか。充実していなくても。そう感じる時には、そう感じるだけの自分なのだから。

優しい、思いやりに満ちた恩師のような人と出会いたい。

そんな存在に私はなりたい。そんな存在として、この小さく弱い自分を育てていきたい。

そして傷つき悩む人たちをも育む、大いなる、かつ温かなる自然のような存在になりたい。


いつもサポートしてくれて本当に感謝です。 文字があるから、私たちは生きていける。繋がっていける。 そんなことをかみしめて生きています。 イイねや ナイスや スキ そんな暖かな気持ちに ありがとう。本当にありがとう。