【メディア掲載】2023年1月11日発売の週刊文春(1月19日号)、藤井風さんの記事に関するIIYYの見解
2023年1月11日発売の週刊文春で、「紅白歌手・藤井風(25)が“伝道”するサイババの教え」と題した記事が掲載されました。
anklとよんせいも取材を受けました。そして、記事にコメントを掲載していただいています。
(取材は以下の記事に記した方針に則っています。)
私たちに対するインタビュー、また該当箇所の記述について、とてもとても真摯な対応をしていただき、内容の修正も快く承諾してくださったため、掲載されている発言や説明は私たちの納得のいくものとなっています。
限られた時間の中で、ここまで忠実に、丁寧に私たちの意図するところを報道してくださったことに、文春の記者・編集の方々に、感謝申し上げます。
一方で、記事全文に掲載された多方面からのコメントに関して、この問題を提起した立場として、考えさせられることが多くありました。
特に藤井風さんのマネージャーでありHEHNレコーズ社長の河津知典さんの発言については、私たちとしては言及したい件が多くありました。
この投稿では、これらのコメントに対する私たちの解釈と見解を示していきたいと思います。
※該当号の週刊文春の内容を基にした投稿ですので、先に文春さんの記事を読んでから読まれることをお勧めします。
【はじめに】
週刊誌というものは、基本的に「情報を切り取る」ものです。字数制限もありますし、そもそも言葉というものは、読み手によって解釈が異なります。twitter上などではいくつもの解釈があがっていました。私たちは、IIYYのプロジェクトとしてこの記事を解釈して、反応しています。ですので、今これを読んでくださっているあなたの解釈とは異なる可能性も大いにあります。ご了承ください。
1.中島岳志さんの解説
前提知識として、東工大教授の中島岳志さんが、インドの宗教的背景を基にサティヤサイババについての解説をしています。
中島岳志さんのプロフィール▼
記事の中で、中島さんは
としており、これはIIYYの今後の投稿においても参考にしたいと考えております。(IIYYのサイババへの見解についてはQ&A参照)
2.東京のバジャン会
文春の記者が、東京のサイババセンターで開かれたバジャン会に参加したものがレポートされています。
私たちはサイオーガニゼーションの現在の活動に関してはホームページから得られる情報以上のことは把握しておらず、このレポートは興味深く拝読しました。
現在も日本においてサイババの信奉者として集会に参加するなどの活動している人が一定数いることがわかり、サイババは決して「過去の人」として軽視してはいけない存在だと感じます。
(そもそも、日本国内の有名な新興宗教団体も、その多くの開祖は既に亡くなっています。しかしながら、現在も後継者が先頭に立ち、布教により信奉者を維持し、開祖の教えを伝えながら、組織として存続しています。)
3.マネージャー・河津知典さんのコメント
まずインタビューを承諾したことに拍子抜けしましたが、その発言内容を読み、想像していたよりも遥かに深刻な、宗教に対する意識の浅さと、今回の問題提起の論点への無理解を感じました。
以下、彼の発言について、IIYYの解釈と反応です。(河津さんの発言の対応文の冒頭のみ記しています。全文は週刊文春の記事でご覧ください)
発言要約:対応のなすすべがない。
主張:対応する方法が分からない。対応が手詰まり。
もしかして:河津さんは対応するつもりがないのではないか。
IIYYの抗議に関して、もし訴えを真摯に受け止めて改善をする意思があるのなら、どう対応するのかはマネージャーである河津さんがご自身で考えるべきかと思います。IIYYに寄せられたメッセージの中に、既にいくつもの提案があります。仕事でもないのに、ファンの方々が一生懸命考えて、言葉にしてくださっています。河津さんは、一度でも目を通したのでしょうか。その上で、このような発言をしているのでしょうか。
運営をしていく上で何が障壁となるのかは、運営をしている皆さんにしかわかりません。もし論点が理解できないのであれば、チームで知恵を出し合って、理解する努力をしてほしいと考えています。
約200件(2023/1/12時点)ものメッセージを送っているのは、赤の他人ではありません。その多くが、今までお金や時間や愛を藤井風さんにたくさん費やしてきた、ファンの方たちです。
藤井風さんの音楽活動が商売として成り立っている以上、リスナーに対しての責任は、チーム風にあります。
発言要約:隠してない。必要ないから言ってないだけ。
主張:隠していないが。言ってもいない。
もしかして:河津さんは、サイババを明言したくないのではないか。
隠していないのなら、どうして引用元を公に明かしてこなかったのでしょうか。意図的に隠しているのでなく、本人もサイババの言葉だと知っていたのなら、今までサイババの名前を出す機会はいくらでもあったはずです。レーベル、アルバム、ライブのタイトルにもそれぞれ使われていますから。
"言う必要がない"と判断した明確な根拠は何でしょうか。ここに集まっているメッセージを読んでも同じことが言えるのか、しっかりと目を通して考えていただきたいです。
発言要約:隠したければ、藤井風がそのようなマインドを持つことを止めるが、それは結果的に彼を否定することになっていただろう。
主張:藤井風を否定したくないから、隠したくないし、彼の信仰心も止めさせたくない。
もしかして:河津さんはサイババを隠しとおすためには、藤井風の「宗教チックなマインド」を止めさせるしかないと考えているのではないか。止めさせることができないので、サイババを隠すこともできないと考え、明言しないが隠しきりもしない、現在のようなプロモーションになったのではないか。
"宗教チックなマインド"という表現が人の"信仰心"を指すのなら、ここまで軽率な言い回しがあるのですね……。
他人の思想を"止めさせる"権利なんて誰にもありません。どうして隠す="宗教チックなマインド"を止めさせる という発想になるのか。
信仰を止めなくても、芸能活動をしていく上で信仰対象を公にしない方法なんていくらでもあります。アルバム名をサイババのスローガンにそのまま使うことを避けるだけで、ファンに信仰対象が知られる可能性は格段に下がったはずです。
それができない理由とは?
そして、運営としてあえてサイババのスローガンをアルバム・ライブ・レーベルなどに使用した理由とは何なのでしょうか?
ちなみに、先述の通り河津さんは、「運営としては隠していないので、サイババの名前を出しても良い」とお考えだそうです。今まで一回も出してくれてはいませんが。
仮に隠していないのなら今更HEHNを「宗教ではなく」なんて言い訳する必要もないはずです。現に、藤井風さんの発言は単なる「いい言葉」の領域を超え、私たちにハイヤーセルフの存在を気づかせてくれようとしています。明らかに宗教として、風さんは捉えています。
きっとこの風さんの行動は、河津さんには止められないことで、また止めたくないことなのでしょう。
とすると、サイババの名前は出さず、歌や言動としてはサイババ要素を全開にしてしまっている今の状況は、二人の妥協点なのかもしれません。あくまでリスナーのことは放っておいた上での、二人の間での苦肉の策……?
サイババの名前を前面に出してしまうと、サイババの色眼鏡で藤井風さんの音楽や言動が受け取られてしまう=サイババのもつ良くないイメージから風さん自身が敬遠されるかもしれない
が、
藤井風さんを前面に出し、背景から察せる程度のサイババヒントを小出しにしていけば、藤井風さん越しにサイババが受け取られる=サイババの宗教性によって、風さん自身の精神性やエスニックな雰囲気がむしろ引き立つ方向に持っていける。
河津さんが考えているのはこういう戦略なのではないかと疑ってしまいます。ファンやリスナーの信仰心のことは全く考慮に入れていないのではないかと。宗教的な視点からは、良く言えば中途半端な、悪く言えば浅はかすぎるプロモーションだと思います。
私たちが今回提起している「リスナーへの周知の明らかな不足」による「リスナーが風さんの音楽の入り口に立った時に、充分な情報を基に自分の意思に即した判断をすることが非常に困難になっていた」という状況は、この浅薄な、宗教に対する知識、認知、取り扱いによって生まれているのではないでしょうか。
それが問題だと最初から言っているのですが、結局その点に対しての納得のいく答えにはなっていません。現状、リスナーの都合は無視されています。
発言要約:fujiikaze「日本の宗教観はもっとカジュアルであるべき」
主張:ヘンレコとして、宗教観はカジュアルであるべきだと考えている
もしかして:河津さんと藤井風さんは、日本のマジョリティの宗教観がカジュアルを超えて全裸レベルだとご存知ないのではないか。
彼らの言う「カジュアルな宗教観」ってなんでしょうか。
特定の宗教のスローガンが入ったグッズを、それと知らずにファッションとしてファンが身に着けることでしょうか。ファンの間で、特定の宗教の精神を呼び掛けあい、守ることでしょうか。
サイババ由来であると知らされていないために、ファンの自己決定ではなく自分たちが密かに誘導した形になって実現しているその光景を見て、藤井風さんや河津さんが「カジュアルな宗教観」が広まったと喜んでいるとしたら、それはファンをひとりひとりの人間としてではなく、「自分たちが理想とする状態を演出するファッショナブルな舞台装置」としか捉えられていないのではないでしょうか。
でなければ、そんなに軽率に、説明もなしに、人々に特定の宗教の教えを身にまとわせるなんてことはできないはずです。
以下、込み入った話をするので、読みたい人だけ読んでください。
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そもそも日本のマジョリティの宗教観は、無宗教と言われています。ですが、よく言われるように、初詣とおみくじ、おせちから始まり、鬼退治、ひな祭り、花まつり、お彼岸、端午の節句、七夕、お盆、お彼岸、秋まつり、ハロウィン、クリスマス、除夜の鐘。神社参拝して、たまに神さま仏様に祈って、天皇家のニュース見て。これらは「自然宗教」「先祖崇拝」「天皇崇拝」「多神教」など、宗教的なものをルーツとしています。ですが、日本人にとっては習俗的なもの、つまり普段意識して「これは宗教だ!」と思うものではないので、日本人の多くが「無宗教」を自称しています。気づいていないだけで、無意識レベルでは、かなりどっぷり宗教に浸かっています。今回の話の上で、キリスト教やイスラム教などとの最も大きい違いは「日常的に守るべき指針や善悪判断についての教えがあるかどうか」でしょう。習慣としては宗教があるけど意識していないし、善悪の判断は宗教に頼らない日本人の宗教観は、カジュアル超えてほぼ裸なのです。風さんがいう「カジュアル」とは、おそらく「日常に取り入れる」的な意味かと解釈していますが、それを目指すならむしろ意識的に「自分たちがやっているこの行動は宗教なんだ」と自覚することからはじまるでしょう。
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ふだん、無意識レベルで宗教行事をこなしている日本人は、宗教について考える機会が少ないですね。一体自分の善悪の基準はどこからきているのか。困難なとき、自分は何に頼り、支えにするのか。即答できるあなたは、きっと考えたことがある人なのでしょう。
河津さんは、宗教は人間の生活に重大に関わるものなのだと人生のどこかのタイミングで考えるきっかけはあったのでしょうか。この世に存在する宗教は一つではなく、だからこそお互いの信仰を尊重しなければいけないということを知らないのでしょうか。むしろ宗教について、何なら知っているのでしょうか。
河津さん、風さん、宗教はファッションではありませんよ。
発言要約:HEHNは宗教じゃなくて、言葉に共感。
主張:HEHNについて、宗教に共感しているわけではない。言葉の意味に共感している。
もしかして:「藤井風さんはサイババを信仰していて、言葉にも共感している。しかし、宗教には共感していない。」という支離滅裂な理論が通じると思っているのではないか。
「HELP EVER HURT NEVER」は、サティヤ・サイ・ババが繰り返し講話の中で語り、いわば教団のスローガンとしても使われている言葉です。
もしこれを風さんが「言葉として」しか受け取っていないとするならば、大晦日のInstagramストーリーズの風さんの、
とは、何かサイババとは別の信仰のことを言っていたということなのでしょうか。
ちょっと整理しましょう。
まず、藤井風さんの行動を抜粋します。
幼少期、インドにて祝福を受ける。毎日お祈りをする。藤井風さんのお父さんが教えてくれた言葉『HELP EVER HURT NEVER』をファーストアルバムのタイトルに採用。サイババの教えを取り入れた楽曲を次々と発表。彼の本質を視覚的に見せるとして、インドの雰囲気を濃くあらわしたパナスタライブを開催。docomoとのプロジェクトでは「あなたはわたし」という、サイババ思想と共通する考えを入れた曲『grace』を提供。そのMVはインドにて撮影。サイババのスローガンを引用したことへの批判に対しては、紅白に向けていったん区切るために、大晦日にストーリーを投稿。
では彼らの主張を抜粋しましょう。
・HEHNについて宗教ではなく、あくまで言葉に共感している。
・宗教チックなマインドを持っている。
・批判によって、この精神性や信仰が揺らぐと思ったのか(そんなことで揺らぐ精神性ではない)?余計なお世話だから口を出すな。
すみません、どうがんばっても理解できません。
さっき「宗教チックなマインド」を持っているといったし、大晦日も精神性の強さをアピールしていたのに、どうしてここだけ突然「宗教ではなく」と、はっきり書かれているのでしょうか?本当に宗教ではなく、宗教抜きにしてもこの言葉を選ぶのであれば、そのほかの宗教色の強いプロモーションはどういう理由になるのでしょうか?
彼のルーツはサイババにありながら、HEHNという言葉は彼の「宗教チックなマインド」として共感していないのでしょうか。もちろんHEHNの言葉としての意味に共感された部分もあるのでしょう。しかし、文脈から見て、この言葉と宗教性を切り離して捉えることはほぼ不可能です。
つまり、私たちは河津さんは、ここで、はっきりと嘘をついているのではないかと考えています。
要約:大晦日の投稿は、今回の騒動を区切りたい気持ち
論点を逸らして英語で怒りを露わにすることで自分の感情を「いったん区切っ」ても、問題に向き合わない限り状況は何も改善されないので、紅白が終わった今こそ、もう一度何がこんな騒動を呼んでいるのか、真剣に考えるべきかと思います。
要約:風はとにかくいい奴なんです。
関係ない話をしてお茶を濁さないで欲しいです。誰も風さんのことを"悪い奴だ"って非難してるんじゃないんです。
彼がどんなにいい奴でも、いまだに運営側が明言していない事実は変わらないんです。
藤井風さんを盾に、運営に対する批判の矛先をやわらげようとするのはやめて欲しいです。
4.鈴木エイトさんのコメント
最後になりますが、かなり大事な問題についてです。
統一教会に詳しいやや日刊カルト新聞の鈴木エイトさんが、"ステルス布教"についてコメントをしています。
鈴木エイトさんのプロフィール▼
やや日刊カルト新聞(鈴木エイトさんが副代表を務めています)▼
文春に掲載されているコメントはとてもわかりやすい解説で、anklも問題提起当初から指摘している点を、統一教会の例になぞらえて説明してくださっています。
一方、エイトさんのコメントで、一つだけ気になる点があります。
ここでは「サイババはカルトではない」と断言されているように解釈できます。サイババの実態を知らない人から見たら、「安全な、ちゃんとした宗教なのでは?」と思ってしまわれそうな表現です。
根拠が明確にされていないため、どのような意図をもってこのように発言されたのかはわかりませんが(そもそも記述上の問題で、エイトさんに断言する意図がなかった可能性もあります)、ここでIIYYとしての考えを書きます。
今回の問題提起では、IIYYとしてはサイオーガニゼーションが「カルトかどうか」については言及していません。
「カルト」という言葉は人によって基準が異なり、また注意喚起のために恣意的に使われる側面もあります。
一方で、私たちの指摘する問題点の最重要項目は、
藤井風さんのサティヤ・サイ・ババの思想を絡めた音楽活動が、それが「サイババ思想の入り口」だと全く周知されてこなかったために、リスナーが風さんの音楽の入り口に立った時に、充分な情報を基に自分の意思に即した判断をすることが非常に困難になっていた点
であるので、「サイババの教えがカルトであるかどうか」は主題ではなく、あえて「カルト」という言葉を使ってしまうと、問題提起の論点がずれてしまいます。
なので、カルト議論は、今までずっと脇に置いてきました。
しかし、「サイババはカルトではない」と断言される、となると話は変わってきます。
先ほどの中島岳志さんの解説によれば、サイオーガニゼーションは新興宗教団体であり、海外から多額の寄附金が送られています。
また、この記事に載せている参考資料のドキュメンタリーを見ても、サイババの礼拝に参加するために海外から多くの信奉者が、インドまでグループで渡航していたこともわかります。
サイババの見せる"奇跡"(実際は手品)を見て心酔する信者の様子は、"カリスマ的指導者を中心とした熱狂的な信者" と言えるでしょう。
よって、言葉の意味を単純に鑑みても、「カルトではない」と断言するのは非常に難しいと考えます。
この状況下であえて「カルトではない」と断言することは、サイババの教えを無意識のうちに取り込んでしまう危険性の過小評価に繋がりかねないため、ここで言及しておきます。
(実際、エイトさんが副代表を務める「やや日刊カルト新聞」にサイババの記事がある(下記リンク参照)ので、このコメントにそこまで深い意味はないだろうとは思っていますが、やはりご本人に発言の意図を説明していただきたい気持ちは拭えません。)
ある宗教がカルトかどうかは、人によって見方が異なり、絶対にこう、ということは言えないでしょう。
しかし、「カルトではない」という発言が一つ出てしまったので、バランスをとるため、「カルトである」と考える方の主張をここに載せておきます。
サイババの教えがカルトかどうかは私たちの主張の主旨ではありませんので、以下の紹介は読み飛ばしていただいて構いません。
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Robert Priddyさん
ノルウェーのサティヤ サイ オーガニゼーションの創設メンバーでナショナル リーダー。サイオーガニゼーションにおける殺人と性的虐待の深い隠蔽を発見した後、2000年に辞職。
以降はサティヤ サイ ババのごまかし、詐欺、嘘、そして多くの悪用が、徹底的に反論されるように、退職後の多くの時間を、自発的にそれらに反論することに費やしてきた。
健全な独立した証拠、事実とサイババ自身の言動の公開文書、広範な証言、元信者や他の真剣な論者との調査、そして特に彼が信奉者であった時からの非常に幅広い記録メモと保存資料から、サイオーガニゼーションの被害周知の活動を行っている。
参照記事
「サティヤ・サイ派は昔も今もカルトである」
投稿日:2018年9月10日
以下、上記リンク先の記事を要約・和訳したものです。原文はリンク先参照。
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5.まとめ
文春さんの記事では、河津さんのコメントが一番最後に来ております。
鈴木エイトさんのコメントまでの部分は、普通に読んで理解できていました。しかし河津さんのパートになったとたん、どう応答していいのかわからなくなりました。私たちIIYYの主張であるプロモーションの方針については、彼のマインドをやめさせるという極論でお茶を濁し、HEHNについては矛盾がある回答をし、最終的には「藤井風はいい奴エピソード」で藤井風さんを盾に、運営への批判をやわらげようとする。
そして、数々の浅はかな言葉たち。
「宗教チックなマインド」
「カジュアルな宗教観」
「宗教ではなく」
「いったん区切りたい」
もしかして、運営は宗教に対する知識や問題、超えてはいけないラインなどを認知し、リスクヘッジをする能力のある人物がいないのではないでしょうか?それゆえの今回のプロモーションに至っているのではないでしょうか?河津さんは敏腕マネージャーとして評価が高いと伺っていますが、それはあくまで「音楽」に関してであり「宗教」に関しては、人並み程度の知識と手腕しかないのではないのではないでしょうか。それゆえに、まるで宗教をファッションのように扱い、そのことに違和感を持てず、現在の状況になっても風さんと一緒に、プロジェクトの趣旨を誤解されているのではないでしょうか?
最後に、もう一度だけ申し上げておきます。
私たちは
藤井風さんのサティヤ・サイ・ババの思想を絡めた音楽活動が、それが「サイババ思想の入り口」だと全く周知されてこなかったために、
リスナーが風さんの音楽の入り口に立った時に、充分な情報を基に自分の意思に即した判断をすることが非常に困難になっていた点について抗議しています。
悪いのは誰だ!という犯人捜しや、だれかの信教を抑圧したいのではありません。運営のプロモーション方法に関して、抗議をしているのです。リスナーさんが風さんの音楽の入口に立ち、その風の吹かれたときに、そのルーツや引用元を確認し、自分の意思で「宗教的なものがふんだんに含まれている風さんの音楽」をどのように聴くか選択できるようにしてほしい/してほしかった、と考えています。
サイババの教えが良いか悪いか、行いが真実かどうか、それはIIYYとしては二の次なのです。IIYYは、あくまでヘンレコなど運営のやり方について抗議しています。
文春の記事を踏まえた、再度のメッセージの投稿も可能です。
藤井風さん運営に今回の問題に関して伝えたいことがあれば、ぜひ以下のフォームよりお送りください。
締め切りは1月14日(土)23:59です。