2016年の記録〜妊娠編〜

【はじめに】
 これは自分のための覚書になります。あまりに目まぐるしい日々だったので、文章の体裁などは二の次にしてとにかく書き留めておこうと思いました。時期的には妊娠初期から出産直前までです。


【発見まで】
 2016年1月。歌壇賞受賞にまつわるあれこれ、及び月の半ばに控えている結婚式の準備もすすめていて、人生でこんな風に忙しいことってないんじゃあ…と思ってたんですけど、まだ上があるとは思っていなかった頃のことです。
 前年の12月末以降生理が来ず、でもストレスかな〜前にも3週間くらい来なかったときもあったからな〜とあまり気にしていませんでした。
 結婚式をどうにか無事に終え、さて次は2月の授賞式だ、という頃。このあたりから、謎の気持ち悪さに襲われ始めます。ずっと二日酔いみたいな気持ち悪さが続いて、すっきりしない。
 気分の悪さをいちばん鮮明に憶えているのはやっぱり授賞式の日です。
 行きつけの美容室で髪をセットしてから、時間があったので銀座でやっていた刀剣乱舞のコラボカフェに行って抹茶ラテを飲んでたんですけど、美味しいのに気持ちが悪い。
 ホテルに事前にチェックインして部屋で受賞スピーチの原稿を読む練習をしていても気持ち悪い。
 懇親会、せっかくのビュッフェなのにお腹いっぱい食べられない。……の割には肉を手にして笑顔のわたし写真が残っていますが。
 一日が恙無く終わり、ようやくいつもの日常が戻ってくると思いきや、その翌々日、立ち上がれないほど体調が悪くなります。名古屋であった『砂丘律』批評会に行こうと思っていたんですけど、それどころではなくなり泣く泣くキャンセル。名古屋で遊ぶ予定もキャンセル。でも次の週の土曜日は初めての麻雀やってたりしてたんですが。
 なんでだろう。なぜか妊娠はしてないだろうと思ってたんですよね。の割にはお酒を控えたりしてたので予感のようなものはあったりしたんですが。
 知るのが怖かったっていうのもちょっとあったと思います。現実から目を逸らすというか、知ってしまったらもう知る前には戻れないという恐怖のようなものが。
 いよいよ生理が来ず、これは本当にもしやと腹をくくって妊娠検査キットで調べて陽性が出たのが2月26日。してるみたい、と言いながら夫に見せて「実感わかない…」「ね…」というやりとり。
 翌日産婦人科に行ったところ、週数は9週目、すでに心拍も確認でき、エコーではなんか…豆っぽいのがある…?という感じでした。
 なんかね、結婚式も終わって落ち着いたし、いつかは欲しいなあと思ってはいたんですけど、わたしももう31歳(当時)だし、もしかしたらできにくいかもしれないという漠然とした不安があったので、判明したときは「もう!?」という感じでした。やだこの人せっかち…?みたいな。でもこの子がダッシュで来てくれたんだったら、じゃあもう腹くくって育てようじゃないの、という気持ちになりました。


【分娩予約のこと】
 しかし、ここで診察した医師から驚きの宣告が。わたしの住んでいる横浜市は産科が少ないので5週くらいで病院にかかった人で該当する予定日の予約の枠は埋まってしまい、その時点では分娩予約がもうできないとのこと。
「現時点でお手伝いできることはありません。自力でがんばってください」
 ……そりゃ産婦人科に行くのが遅くなったわたしが悪いのはわかります。でも、妊娠が正式に判明したあと20分ほどでエコー写真一枚持たされてポンと放り出されたときの心細さ、絶望的な気分は忘れられません。え、生ませる気ないの?少子化なのに?って思うほど。家からいちばん近いんですけどもうその病院には行くものかと思います。きっと悪い先生じゃないんだろうけど心証が悪すぎました。せめて、市内の産科一覧をくれるとか、ホームページで分娩予約の状況を更新しているページがあることを知らせてくれるとか、それだけでもいい、何らかのケアが欲しかった。
 道端で思わず涙ぐんで、いやいや泣いている場合じゃない、早く動かなくてはと思い直して、そのあと両親に連絡を取って父親の入院(してたんです)先で相談、いろいろあって無事に分娩予約を取ることができました。行政の、最終更新が半月ほど前の分娩予約状況を睨みながら月曜日から会社を休んで産科行脚しなきゃいけないかと思ってたので本当に安心しました。そんなに不安がらなくても予約は取れるよって言われたんですけど。行き場がないみたいでめちゃくちゃ怖かったんですってば。
 予約が取れて落ち着くかと思ったら、翌々日かな? 風邪を引いたと言っていた夫が「インフルだった」と言って検査の結果を見せてくるじゃないですか。「近寄らないで!!」と言ってすぐさま距離を取って、財布を引っ掴んで近くのカフェに出かけ、そのあいだに実家に帰ってもらいました。それまで風邪がうつらないようにと夫を寝室に寝かせて自分はリビングのソファで寝てたりしたのですが(逆じゃないのか…といまさら…)、インフルなんて余計に絶対にうつされたくなかったので……。


【つわりのこと】
 食べ物の匂いがだめになるとか、味覚が変わってそれしか食べたくなくなるとか、イメージしていたようなつわりはほとんどなかったです。初めて知ったんですが、つわりにも吐きづわりとか食べづわりとかいろいろあって、わたしは寝づわりだったようです。眠い。とにかく眠い。家族にはいつも通りじゃないかって言われましたがほんとうにすさまじく眠い。
 というわけで症状は眠いか気持ち悪いか頭が痛いかで、気持ち悪いのは中期になってなくなりましたが(頭が痛いのは気圧のせいもあったのかも)、眠気は残り、結局出産まで朦朧と眠いままでした。あっ出産後も眠いですが。というかわたしの睡眠関係のステータス、「眠い」「寝ている」しかない。
 いずれ味覚が変わってご飯が炊ける匂いが苦手になったりするのかな?と思ってたんですがほぼ変化せず。代わりに中期以降に食べ物の好みが変わり特定のものが食べたくなるようになりましたがこれは後述。
 お酒が飲めないのは当然なのでまあいいんですが、コーヒーと薬が飲めないのが本当につらかったです。喫茶店に行くのが好きなのに、どちらかといえばカフェインの少ない紅茶を選ばざるを得ないやるせなさ。コーヒーは、頭痛がひどいときには薬代わりに一日一杯は飲んでもいいことにしていましたが。


【検診のこと】
 さて、この時期は胎児が自分の身体の中で果たして生きているのかどうかがわからなくて不安でした。最初期の流産は母体の問題ではないのでどうしようもないとはいいますが。
 実際は、二週間後の検診も、その一ヶ月後の検診(この時期は不安なくらい期間があきます)も、「足がすっごい動いてる……」「身体がびよんびよん動いてる……」と唖然とするくらいめちゃめちゃ元気でした。エコーのときの体勢が体勢なので言い出せることはなかったと思うけれどできるなら動画を撮りたかったです。胎児があんなにアグレッシヴに動くとは思わなかった。全身で暴れてるのを見たときはへその緒ちぎれない?ってちょっと心配になった。
 このあたりで、授賞式後にいただいた原稿依頼の〆切が3つほど、わりと間断なく来ています。大変でした。


【通勤のこと】
 もともと身体が強くなく、無理して悪化させるよりは無理せずよく休む、をモットーにして生きているので発覚直後から有休が足りなくなってしまい、使っていなかった結婚休暇(新婚旅行用の連続休暇なんですが、夏季休暇で行ったので残っていた)にまで手を付ける事態に。年度が変わって有休が支給されたのと妊娠休暇が使えるようになったので4月以降はだいぶ楽になりました。でも本音を言うとなるべく会社には行きたくなかった、というか混雑した電車に乗りたくなかった。
 なんでかというと、これはもう、怖かったのひと言に尽きます。
 マタニティーマークをつけていてトラブルに遭った、みたいな記事も目にしていたこともあり、万が一のことを考えて後ろの人からは見えるように鞄の片側につけてそっちを背中側に回していました。
 まだ初期のころ、定時出社で行ったら激混みの電車で前に立ってた中年男性に肘打ちをされそうになったのと(でもこれはわたしがその前に意図せずして膝カックンをしてしまったのでわたしも悪い)、JRが止まってしまって振替乗車で別の私鉄を使ったときに脳貧血かなにかで立っていられなくなってしまった(周囲から見ても様子がおかしかったのか席を譲っていただきました……)のがトラウマすぎて、少なくとも自分の前にある程度スペースが確保できる電車しか乗らないというのは決心しました。
 あと電車が混んでいる時間帯の優先席にはあまり近づかないようにしました。混雑時の、我先に駆け込んでいって優先席に座る中高年男女を見たくなかった。朝も、なるべく寝てる人の前に立って、空いたら座るようにとか。
 たまに、譲ってくださる方もいて、そういうときは遠慮せずにお礼を言って座るようにしていましたが、自分の選択で通勤しているのに、譲ってもらって申し訳ないなあと思ったり……いやいや妊婦なんだからそんなこと思わなくてもいいって言ってくれる方もきっといるんでしょうが、妊娠したからってメンタリティがくるっと変わるわけじゃなし。最後までこういう思考は持て余しました。たぶん、これまでの人生で自分が「はっきりと守られるべき弱い立場」になったことがあまりなかったからではないかと思っています。
 こういうとき東海道線はグリーン車があるのでいいですね…お金で空間が買える…。
 最後はなけなしの有休をくっつけて、通勤定期が切れる8月のあたまから産休に入りました。


【保活のこと】
 暑い盛りに会社に行かなくてよくなって最&高!!と思ってたんですけど、そこに立ちはだかる「保活」の二文字。
 保活って、就活などと違って当事者が能動的に動いたからといって受かりやすくなるとかそういうことはないので、なんか違うんじゃないかな……と思うのは、わたしの住んでいる地域に認可が多いからでしょうか。認可外だと情報戦の様相を呈してくるのかもしれません。
 とりあえず翌年の4月から預けることを念頭に置いて、8月から9月にかけて近隣にある十数ヶ所の園の見学に行きました。まあ何もなかったら引きこもりになるばかりだったろうと思うので、運動がてらってことでよかったのかな。
 11月が申し込みの〆切で、10月に見学希望が多くなるとのことで、8月時点では1対1で説明を受けるなど丁寧な対応をしていただきました。都会寄りだからかもしれませんが、保育スペースの他はあまり余分なスペースがない園が多く、人数が多いと窮屈になったりするので、〆切直前は避けたほうがいいかもしれません。あ、初めて身になるっぽいことを書いた。
 しかし見学していて目の当たりにしたのが、お子さんを抱っこして参加されている方の多さ。8月時点で外出もできるくらい大きいとなると、翌年はすでに1歳児なわけで。そりゃあ1歳児枠の争奪戦になるよなあ……というのを実感、もうこれは0歳で入れるしかないな、と腹を括りました。と言いつつ実は書類を出した後も相当迷っていて、5ヶ月児を預けてわたしが働く意味とは?とかいろいろ考えたりしたんですけど。
 一応結果を言うと、認可の第3希望……だったかな?の園に入園できました。一応無認可の4月入園の枠を3万円で確保していた上で、認証の園も2月時点では保留でしたがそのあと入園可のお知らせをいただきました(辞退しました)。


【食べ物のこと】
 お菓子はポテトチップス至上主義だったのに、この時期はやたらアイスばかり食べていました。あとシュークリーム。検診や保育園見学などの外出時には必ずランチを食べることを自らに課し、しかもフルーツやクリームがたんまり載ったパンケーキを選んだり。それまで、普段はほとんど甘いものは食べませんでした。暑い盛りでもアイスはひと夏に一回食べるか食べないかというレベル。当時は食べたいから食べる、ともくもくと口に運んでいましたが、今から考えると異様です。
 通勤していたせいもあってかそれまで体重は控えめに増えていたのに最後でいきなり跳ね上がったため母子手帳にわざわざ体重注意って書かれてしまった。産道に脂肪がつくと出産時にあなたが大変ですからね!と。


【性別のこと】
 検診のたびにずっと女の子だって言われていて(訊かないと教えてもらえないので毎度訊いていた)それを信じ、思春期の女の子が書いた「親と気が合わない」みたいなネットの記事を読んで無駄にしょんぼりしたりとかしてたんですが、立派なタマが見えるよ〜これは男の子だよ〜と言われたのが産休に入った直後に夫の休みが取れて一緒に産科に行ったときでした。仰け反りました。
 絶対にどっちがいいということもなかったのですが半年くらい信じ続けたあとだったので切り替える時間が必要でした。胎児ネームは女の子の名前だったし。


【臨月のこと】
 産前って、とにかく一日中やることないから暇だと思うじゃないですか。しばらく自分の時間なんかないだろうから好きなことしようと思うじゃないですか。ところがどっこい、まったく本が開けなくなりました。正確には、紙に書かれた縦書きの文章が目で追えなくなりました。臨月は眠いよとは聞いていたけれど本が読めなくなるとは思わず、地味に衝撃でした。 液晶の横書きは追えるのにすごく不思議だった。ので、無駄に怖い話とかWikiとか読み漁ってました。
 産休に入る前の7月くらいから同人誌の原稿をやっていたので、それが済んでからでよかったなと。
 予定日間近、夫が何日か続けて不在の時期があったのでその間に何かあったら困るということで実家と自宅を行き来していました。実家の、祖父母のために取り付けた手摺などにこれでもかというくらい助けられました。特に、立つときに尋常じゃない気合が必要になる和室。
 この頃は増えた体重を支えきれず足首がミシミシと痛かったです。増加は10キロ以内には収まってたと思うんですけど。
 しかし、一向に生まれる気配がないまま、予定日の9月29日を迎えます。

(つづく)

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