2016年の記録〜出産編〜

【はじめに】
 これは自分のための覚書になります。目まぐるしい日々だったので書き留めておこうと思いました。妊娠編の続きになります。当然ですが生々しい話題なのでご注意ください。

【あらすじ】
 はじめての出産、予定日は9月29日だったのに10月になっても生まれる気配がない。

【誘発分娩へ】
 初産は遅れるって言うしね〜とか、お母さんのお腹の中が居心地良すぎて出てきたくないのよね〜とか言われながらのんびり構えてたんですが、おしるし(産徴)も二度あったのにうんともすんとも言いやしない。一日二日だったらいいんですが一週間も経つとだんだん焦りも出てきました。というか重くてもう。身体が。無理。
 だいぶ動くのもしんどかったところを歩いたり手摺をつかみながらスクワットしたりしてたんですが、まったく気配なし。
 きちんと下から出せるかどうかのチェックのために腹部のレントゲンを撮ったのはこのころです。自分の骨盤に頭蓋骨が綺麗に収まっていて、きれいな頭蓋骨だなあと感動してしみじみ眺めてしまいました。あの写真欲しかったな。
 で、あまり週数が超過してもよくないということで、仕方ないので陣痛促進剤を使用して誘発分娩をすることになりました。
 10月10日、夫とともに、月曜日だけれど祝日のためにガランとした病院に行って入院しました。入院直後になぜか胎児の心拍が1分間に180と上がってしまい、翌日からでいいはずの点滴をその日からすることに。

【出産当日】
 翌朝7時に経口補水液と携帯を入れた手提げを持って陣痛室入り、9時から投与開始。最初は呑気に仰向けで空を流れる雲を眺めたりTwitterを見てたりしてたんですが、だんだん痛みが洒落にならなくなってきて、あとろくに水分を摂っていないのにやたらトイレに行きたくなって(もともと内臓が相当圧迫されているので近いは近い)、でも点滴と心拍モニタが引っ付いているので五メートルほどのトイレへの往復も重労働、でも行かないと膀胱が死ぬ…辛い…という状態です。
 助産師さんたちの談笑する声なども聞こえてきて、わたしには一生ものの修羅場だけど彼女たちには明日も明後日も続く日常なんだなあと思ったり。
 13時過ぎから陣痛が一分間隔になりました。なったらしいです。
 後から聞いたら陣痛促進剤の効きが悪い人はまた別日となったり十時間単位の長丁場になったりするらしく、素直な身体で良かったなと思いました。
 痛い痛いと聞いていた陣痛、予想通りというか予想以上に痛すぎて、でもそれを逃がす場所はなく、仕方なく子の心拍をモニタしている機械の排紙部分(金属)に縋りついてました。痛みが引いていくたびに助かった…と思うんだけどまたすぐに痛みが来る。え?これがあと何時間も続くの?嘘でしょ?
 わたしの三時間くらい前?に分娩室に入っていった人の叫び声がなんというか、とてもエロくていらっしゃって、わたしもあんな声が出てしまうのか…とそわそわしていたら、自分のは「あ゛ーーーッ」って感じの声だったので心配無用でした。何回か名前を呼ばれていたので覚えてしまって、その後授乳室でその人の姿を見ると「あのエロい声の人だ…」と思ってしまって申し訳なかった。でもその方のおかげで叫び声あげていいんだって思ったので感謝しています。
 あ、自分の叫び声で覚えているのは「もう無理」と「もうやだ」です。偽らざる心境って感じ。
 そういえば入院セットで痛みを逃がすためのテニスボールが必要ってことで幾つか買ってきてもらったんだけど使わなかったな…あれ助産師さんが的確なポイントを押してくれたから痛みを逃せたけど、素人に「どこ?ここ?」みたいに探り探りやられてたらキレてた気もする…。

【無痛分娩について】
 実は無痛分娩にする準備は前もってしていて、でも麻酔医のいる時間、平日の9~15時というめちゃくちゃ(ホワイトに)限られた時間帯だったので「そんなうまいことその時間帯に産めるわけないし…」と最初から諦めてはいたんですが、助産師さんの「もう子宮口開いてきてるし(うろ覚え)いいんじゃない?」の一声で慌ただしく準備開始。痛みが本当に辛かったので待ちわびた。
 ここで言っておきたいんですが…(初出:Twitter)、無痛分娩にしましたって言った瞬間に「あっじゃあ痛くなかったのね」って言われることがあって!特に経産婦の方にハァン…ラクしたのね…みたいな顔されたりするんですけど!違うから!!痛いから!!陣痛が最高潮に達するまで麻酔待たされたから!!わたしだって無痛って痛くないのかな〜って思ってたけど違ったから!!無痛も!!痛い!!
 しかも麻酔打ってからすぐ分娩になっちゃったから麻酔の意味がほとんどなく痛みが和らいだのは結局ほんとに出すときだけだった! 意味なかったんじゃない?って言われて反論できなかったけど痛みが最高潮になったあの瞬間に「この痛みから解放されるならいま30万までは出す」と思ったことわたしは忘れない!!(そんなにかかりません)
 あと麻酔科医が新米の人を連れてきていてわたしの背中、背骨の際を指で押しながら「ここにこうやって刺すんだよ〜」と説明していて、なおかつちょっと失敗してやり直したせいで右脚だけ翌日まで感覚が戻らなくてトイレも介助が必要になってたの無性に腹が立ったからここに書いておく!!
 それであともうひとつ解せないのが陣痛最高潮のときに書類にサイン書かされたこと!!なんで!人生で感じる痛みのおそらくクライマックスで!こっちがまともに字が書けると思うのか!殴り書きのように書いてペンを手放したら苦笑されたとき覚えてろって思ったの鮮明に覚えてるからな!!
 次があるとしたらどうだろう…二回目は分娩時間が一回目の半分になるらしいしやらないかもしれないです。痛いのやだけど産んじゃえば終わるし…。
 まとめ:無痛じゃなくてせめて和痛って呼んでほしい。

【分娩室へ】
 内診の子宮口グリグリが痛くて死ぬほど嫌いだったんですがそれも気にならないくらいの痛さ、むしろ子宮口を刺激したほうが開きやすくなるし陣痛でもはや痛みなんてないに等しいのでどんどんやってくれって思ってたら4〜5センチからいきなり9センチに開き、ようやく分娩室へ移動に。
 と同時に夫への連絡がなされ、タイミングのよいことにちょうど病院の一階に着いたときだったそうで、夫がスタンバイしている分娩室にわたしが運ばれてくる格好になりました。麻酔が効いていて歩けないのでストレッチャーによる移動です。
 子宮口が全開になったときには麻酔が効いていてじんわりといきむタイミングがわかるくらいになってました。

【出産】
 書きながら思い出していますが、ほんと産むっていうか出すって感じでした。いろんな経験談を見たり読んだりしてたけど本当に大きな大を出す感覚と同じ…。
 しかも、いきんだら出た!んじゃなく、「切開しますね〜」って言われた直後に出てきた。頭が出たらすでに全身出てた、みたいな。形容するなら「ヌルスポンっ」という感じでした。
 すぐに泣き出す子ども、ちょっと泣いていたらしい夫、下半身の感覚が鈍っているために「え?出た?いま?」とポカンとしているわたし。一旦計測のために専用の台に置かれ、血などをざっと拭われて(このへんあとで夫が撮った写真を見たくらいでよく知らないです。「五体満足!?」って夫に確認したのは覚えてる)、胸の上に子どもを乗せてもらいました。
 その後他の計測やらのために子どもが運ばれていき、わたしは続きの処置に入ったんですが、冷静じゃなかったのが今更申し訳なくなって胎盤などを出すのに「いきみますか?」と訊いたら「いえもういいです」と言われました。なんだか恥ずかしい。
 それから、分娩終了後2時間その場にいなければならないわたしのもとに子どもが運ばれてきて、自分の母親もやってきて、ひとしきり撮影などして、それまでの時間を過ごしました。

【病室に戻る】
 前述の通り、麻酔で足が動かなかったので、車椅子で病室に戻してもらいました。帰ってきてからTwitterを見たらノーベル文学賞の話題で持ちきりでした。
 そこから、あらゆる下半身の痛みとの戦い〜後半戦〜が始まります。
 切開した傷に尿がしみるというのを見たけどそれよりむしろ怖かったのは大の方でした。なんかメリメリ裂けそうで力が入れられず。そんなことないんですけど体感がもう。恐怖を訴えてそれ専用の薬(酸化マグネシウム、お察しください)を処方してもらったほど。
 ゆっくり一人で眠れるのは今日がとりあえず最後か、と思いながら眠りに就いたんですが、痛みやら空っぽになってしまったお腹の違和感やらで何回か目が覚めました。夜中は大きな窓から月が見えて、明け方に目を開けたとき、空がきんと澄んでいて綺麗で、遠くで汽笛が鳴っていたのを覚えています。
 出産からここまで、泣く、とかはなかったなあ。ただただぼんやりとしていた。強いて言うなら、終わったな~でもこれから始まるんだな~という感じ。そんなもんです。ひたすらナマの体験だったから自分で感じる崇高さとかはなかったです。実物はそばにいないし笑。
  満月は夜を登りつつゆつくりとたつたひとりの身体に戻る
  窓いつぱいに汽笛の音は響みつつきみのゐる世界への朝焼け
 このときに作った歌です。出来はよくないですが、そのときの気分だけは出ているのではないかと。
 翌日の10時半から母子同室の説明、以降怒涛のように説明やら何やらがあって午後には面会もありあっという間に夜…という、産後一日目でした。
 この後約一週間入院し、退院するのですが、子どもに新生児黄疸の症状が出てしまい、治療のために子どもだけ退院が伸びることに。
 そして、新生児との戦い……もとい、生活が始まります。

【その後】
 10月中旬出産、12月初旬に実家から自宅に戻り、翌年4月末から仕事に復帰しました。
 一年目は保育園でもらってくる病気との戦いとは聞いていましたが、6月に夏風邪、続けて気管支炎と中耳炎、7月あたまに突発性発疹、8月に手足口病とふたたび夏風邪(RSウイルス疑い)と経てなけなしの有給休暇が虫の息です。

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