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「ゲーセン戦記」から考えるゲーセンの未来

前回のnoteで「ミカドさんにもお話をうかがってみたいな」と書いたわずか3日後に、ミカド店長さんの書かれた本が発売されたということで、さっそく買って読んでみました。

これはまさに「アーケードゲーム」の歴史、前回のnoteでは「昭和の終わりから平成にかけて流行した文化」と称したものが、令和の時代にいかにして生き残るか、というニッチ・コミュニティ運営のお話だったように思いました。とても面白かったです。

詳しい内容が知りたい方は、ぜひ本書を買って読んでみてください。このnoteでは本書を読んで私が感じたことをまとめます。

令和のゲーセン vs メーカー

ゲーセン運営に関してTwitterなどで見聞きすることは、あらかた本書の中でも触れられていました。これからのゲーセンは、メインがプライズ機、次いでファミリー向けにメダルゲームが主流になるでしょう。格ゲー、音ゲー、カードゲームなどは、筐体価格の高騰・ネットワーク課金の影響で利益が出なくて厳しい状況のようです。

ゲーセン側からしてみれば、メーカーは搾取するばかりでゲーセンへの配慮が足りない、と感じますが、メーカー側も厳しい状況に追い込まれているんだろうなぁ、と思いました。

新規事業を立ち上げようと思ったら、1000件の事業の中から3件しか成功しないくらい確率は低い、と言われています。だからベンチャー企業は雨後の筍のように現れてはつぶれて、一握りの成功をつかみ取りにいくわけです。

それは新作ゲームでも同じでしょう。いくら入念に企画して、マーケティングして作りこんだゲームだって、当たるとは限りません。リリースしたら大こけして大赤字、というのも悪気があってやっているわけではないでしょう。

それでも、メーカー側は受注生産で赤字を最小限におさえつつ、ゲーセン側はハイリスクで高価な設備投資を背負わされる、という構造はあまり健全ではないですね。このままだと新作ゲームは生まれなくなり、人気のナンバリングタイトルが延命されて徐々に先細っていくだけの業界になります。

家庭用 vs アーケード

一方の、家庭用ゲームは強いです。メーカーが直接リスクを負って消費者に販売しているので、まさにベンチャー企業と同じ構造でどんどん新しいインディーズゲームが生まれては消えていきます。この中から将来の大ヒット作が生まれるのは確率的に明らかです。

スマホゲーはさらに競争が苛烈で、アプリを検索すると聞いたこともないようなゲームは山のようにでてきます。そんなので儲かるのか疑問に思うこともありますが、実際にスマホゲーの課金売上額はとんでもないことになっているので、質より量が圧倒的に強いのだと思います。

一方、アーケードゲームのメーカーはあまり多くないように思います。ゲームのソフト部分だけでなく、ハード側も作らなければいけないので開発コストはどうしても高くなり、リスクも大きくなります。

家庭用と違ってゲーセンは人が集まる場としての価値がある、という意見も本には書かれていました。そういう意味では、ライバルとなるのはカードショップやボドゲカフェだったりするのかもしれませんね。

日本 vs 海外

海外ではアーケードゲームのゲーセンは日本以上に減ってしまったと聞いています。おそらくカジノみたいな方が、「ゲームができる」「人が集まる」「儲かる」とビジネス的に有利なんだろうと思います。日本は賭博が禁止されているせいで、カジノの代わりにゲーセンとかパチスロみたいな微妙な産業が生き残っているのかもしれません。

eスポーツみたいなのも、海外ではきちんと賞金が用意できるので、大会も大きくなりやすく、盛り上がります。家庭用ゲームで練習して大会に出場する、という流れが強ければ、ゲーセンの入る余地は少ないのでしょう。

そんな海外の人にとって、日本のゲーセンはなかなか珍しくて興味深い観光名所のようです。特にメダルゲームが人気だとか。

今のメダルゲームは相当進化していて、ゲームとしても面白いし、さらにカジノっぽく賭け要素もあるわけだから、やはり強いようですね。ただ、設置するのにはそれなりの広さや設備投資が必要で、中小ゲーセンには導入しづらいのがつらいところ。

ゲーセンの規制 vs 保護

ここまで振り返ると、ゲーセンって規制産業だったのかな、という気がしてきました。風営法のせいでゲーセンは営業時間や景品の金額などさまざまな縛りを受けて苦しんでいると思いましたが、そのおかげで海外とは違うゲーセン文化を進化させている面もあります。

規制が緩やかになると、むしろスマホゲーなどがゲーセンのお株を奪って、ゲーセンの衰退が加速する、なんて未来もあるのかもしれません。世の中何が起こるか分かりませんね。

では規制産業はどうやれば発展するかと考えると、規制を強化するということになります。より厳しく、クリーンで安心なゲーセンになって、より公共に近い、児童館みたいな方向に進む、というのも一案でしょう。規制緩和と自由競争が主流の時代なので、そんなことは起こらないと思いますが。

逆にゲーセンを、大切な日本文化として保護しよう、みたいなことをすると衰退が加速する、ということもあるかもしれません。一度餌付けされた動物は野生に戻れない、みたいな話ですね。

結局は、知恵を振り絞って競走して生き残っていくしかないんです。世の中は弱肉強食です。本書の筆者が、あらゆる新しいことを取り入れて生き残ろうと奮闘している姿は、まさに象徴的です。

都会 vs 地方

本書では、ロケーションにこだわれ、と強く訴えていました。前回のアム茶のインタビューでも、都会のように人が多いところでないとニッチ戦略も機能しない、みたいなことを言われました。確かに人口は多い方が有利な面は多いでしょう。

一方、地方でもがんばって営業している小さなゲーセンはたくさんあります。倉敷とか新潟とか七尾とか奥州とか、そんな立地でも人を集めてコミュニティを作ることは不可能ではないようです。ネットのおかげで、多少の立地のハンデは克服できる時代になった、とも言えそうですね。

どんな場所であれ、いかに魅力的なコンテンツ・場所を提供して人を集めるか、というコミュニティ運営の力が中小のゲーセンには求められているのだと思います。

大手ゲーセンであれば、設備投資して、UFOキャッチャーやメダルゲームを並べる。そうした二極化が進んでいくのかなぁ、と思いました。

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