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8月になりました。

2019年8月1日。この日、私は2つの(私にしては)大型案件の納品が完了して、無事、ご請求書を発送する運びとなりました。ぱちぱち。
1件は、1月頃から話があって、そこがとてつもなく忙しい会社で、また、クオリティの要求も高くて、春頃に凄く大変な思いをしたけれど、それ以降は小修正と返事待ちで、ようやく8月1日に完了させていただきました。ありがたや。
もう1件は、4月頃に打ち合わせに行って、そこは暇な組織だと思っていたら案外忙しい組織で、人も少なく、大変そうだった。ウェブサイトに関する要求も、ちょっと独特なところがあって、PHPで従来(その組織が)使っていたプログラムを書き直したり、まあ、色々大変でした。6月から7月にかけて、本当に毎日この案件を何かしら進めているという感じで、さらには納品の段階になってディレクトリの変更をせざるを得ない事情があって(それは最初から分かっていたことだが)、それが案外大変な修正になって、8月1日の午前3時半にようやく納品を完了した、と思ったら、昼頃、不具合の報告。慌てて修正、午後3時頃ようやく「本当の納品完了」。それから慌てて今月の生活費を引き出しに銀行(いや信用金庫ですけど)に行って、それから、今日の4時に予約していた鍼灸マッサージの「明珠堂」に行ったら「ガチガチですね」。30分思い切り腰と背中と肩を押してもらって、ああ、でも今日は1時間コースにしておいてもよかったかなぁ、とか思ったり(それくらい体がガチガチ)。
そんなこんなで、6~7月は結構きつかったです。といっても、世間一般の勤め人の方の定時勤務の方が大変なんですけどね、私、持病持ちなんで午前中ほとんど起きられないんです、あれ?でも午前3時半まで修正作業やってたって、単に勤務時間がズレてただけ?いや、でも、普段はこんなに頑張れないです。久々の大型案件だったので頑張った、というのはあります。

noteには、出来るだけ毎日、何か出していました。これが唯一の「私らしさの維持」みたいな感じだったのかもしれない。
でも、今出している写真って、2001年頃(しかも季節は冬)だったりします。この夏真っ盛りの最中に、なぜまた冬の写真を、しかも、ネイチャーフォトとかと違って東京都内なんて「夏でも冬でもあんまり変わらんやん」みたいな感じで、何が面白くてこのタイミングに?と思われるかも知れないけど、ストックしてある写真を順番に出していったら、たまたまこういうタイミングになった、というだけです。

2001年、つまり平成13年というと、まだ金が1000円台/gでした。今5300円/gとか行きますからねー(田中貴金属店店頭価格)、でもそんなもの買う余裕はなかったな。冷戦崩壊後のちょっとだけ明るい世界、でも9.11が起きてなんだか微妙……みたいな世界情勢で、日本円は1ドル120円くらい。ITバブルのちょっと後くらい、あと、住宅ローン減税が終わったあたり。「失われた20年」の最中だった訳ですが、何と言ってもまだ3.11(2011年)の前だったし、秋葉原事件とかまだなくて(2008年)、その後の相模原の大量殺人事件とか、京アニ事件とか、時代が下るにつれてなんだかおっかなくなっている感じ。中央線なんかまだ201系の天下で、今見返してみると、微妙に昭和っぽい雰囲気も残っている。そして、今とは何かが違う。そんな雰囲気が街に漂っているような気もします。
神奈川県の最低賃金が確か時給600円代でした(2019年8月2日現在983円、10月から1000円超になるとか)。私のスタジオ練習写真のモデルにたまーに出てくる(出てないかな)某さんは、武蔵小杉の小さなバーでホステスを始めて時給2500円を稼いでいた。「オヤジって、どうしてすぐ『やらせてくれ』っていうんだろうね?馬鹿じゃない?」と豪語していました。今、私がその「オヤジ」達の年代な訳で、自戒自戒。あれ?何の話だっけ?そうそう、noteの写真。2000年に91000円くらいで買った240万画素級の富士のFinePix4900Zという機種なんですが、最高感度800で、手ぶれ補正もなく、でも、銀塩写真に比べるとフィルム代かからないし軽いし、ムービーが撮れるオマケ(?)なんかもあり、電池の持ちもそれなりに良かったので、よく持ち歩いていました。
当時、銀塩ポジで不動産物件を撮影するという仕事をしていて、それがメインの収入になっていました。その撮影の時、FinePix4900Zを持ち歩いて、現場でポラ代わりに1枚とって露出を確認していました。あと、私は電車で物件間を移動していたのですが、東急の大井町線、田園都市線、目蒲線(今は目黒線と多摩川線)、東横線、池上線、と、とにかく網の目のように東急が走り回っているエリアだったのですが、駅→物件→駅、みたいに、物件を挟んで歩いてショートカット、で、途中でふとFinePix4900Zで写真を撮ったり。それが、最近までnoteに出していた、都内各地の写真です。じゃあなぜFinePix4900Zで不動産物件写真を撮らなかったのかというと、それは画角の問題。FinePix4900Zは35mm版換算で焦点距離35mmまでしかカバーしていなかった。実際、都心の住宅ってそれでは全然画面に入りきらないんです。当時、プロ機は(事実上)Nikon D1しかなく、そのD1の撮像素子もAPS-Cサイズだったため、18mmのレンズをつけても27mm相当の画角になってしまうのでダメ。都心の戸建て住宅って、道路が狭いし建物は敷地一杯に建てることが多いので、35mmフルサイズの撮像素子に18mmくらいの超広角レンズを付ないと「物件が写真に入りきらない」ということが多々あります。とはいえまだ35mmフルサイズ撮像素子なんて夢のまた夢だった頃、フィルムカメラでしか対応できなかったのです。銀塩35mmフィルムカメラF100に富士のPROVIA100Fを詰めて撮っていました。実は最初はSensia100という安いフィルムを使っていたのですが、発色が今ひとつ納得出来なくて、「ギャラの取り分が減ってもいいから、いい写真を納品したい」というプライドみたいなものが湧いてきて、それでPROVIA100Fに変えたんです。まあ高いといっても1本100円くらいの違いだったでしょうか。そうしたら納品先の不動産屋さんの「旗の台店」の店長が、実はこの方は写真に厳しい方だったそうなのですが、その店長が「このカメラマンの写真は凄くいい」と褒めてくれて、不動産屋さんの本社の人も「飯島さん、あの旗の台の店長が喜んでますよ!」と教えてくれたのがとても嬉しかった。しかし、2001年秋、転機が訪れます。いわゆる「マイホーム減税」が終了して、不動産屋さんはよりコストにシビアになります。で、写真の代わりに完成予想図のCGを流用するようになったんですね。うーん。それにはかなわん。それと、まあ色々ありまして「ひな(今の奥さん)の居る湯河原に引っ越すしかない」ということもあって、小田原の職安に通い始めたりしました。最近noteに出している写真に小田原や湯河原がやたら出てくるのはそういう事情です。

で、話は急に「今」に飛びますが、なんだかなー、参議院選挙より吉本興業の方が話題沸騰中みたいな感じで、参議院選挙も、与党も「れいわ」も実は同じような「国債バンバン刷りましょう、ばらまきましょう」みたいな話で、与党は大企業に、れいわは弱者に国費をばらまきましょう、と。で、それぞれそれなりに人気があるみたいで。おいおいあんたら結局あまり変わらんやん、みたいな話で、このあたりは将来に禍根を残さないため財務官僚の皆さんに頑張っていただきたいところですが、それはそうとして、京アニ事件はショックでした。銃規制の厳しい日本でこんな大量殺人事件が起きるとは思わなかった。それと、失った資産の計り知れない大きさ。原画とかも貴重だったと思うけれど、それ以上に「センスのある監督」や「職人級の腕前を持った方々」を失ったことは本当に悲しく、腹立たしい。でも、30年前だったら、いくら世の中(あるいは他者)に不満を持っていたとしても、ここまでやる奴はいなかったんじゃないかな?って気がするんです。何がどうなって、こうなってしまったのか。警察でも裁判所でも分からないだろうなあという気はします。多くの文化人や学者が分析を試みるかも知れない。でも、どうだろう?結局の所「究極の理由は『ない』」とかいうことになるんじゃないでしょうか?そこがまた怖い。私には、何だか世の中どんどんおっかない方に動いていくような恐ろしさが感じられます。話が拡大してしまうのであまり触れませんが、国際情勢とかもそういう感じ。昔だったら、こうはならなかったんじゃないか、みたいな話がバンバン出てきている。そう思うと、18年前に撮った写真に、奇妙に「懐かしさ」を感じたりします。

今月の予定。
某審査に写真を応募しようと思う。もうセレクションは大分済んでいて、あと少し頑張らないといけない。8月末締め切りなのでそれまでには何とか。最初は6月末の締め切りに応募しようと思っていたのですが、Web制作の方が、とてもじゃないけどそれどころじゃなくなってしまって。
実は、最初「神田珈琲園」でやろうと思っていたネタなのですが、今、神田珈琲園が耐震+改装工事中で、早くても来年の春くらいまでは工事が伸びそうだということで、神田珈琲園で写真展をやりたくても出来ない、という事情もあります。
あとは、久しぶりにCONTAX T2で写真を撮りたい。今、1本だけ富士のVenus800が手元にあるんですけど、これ、今年いっぱいで製造中止なのだそうです。スナップ写真に使いやすい感度で、色も綺麗で、好きだったのですが、「じゃあ手ぶれ補正付き感度6400くらい全然使える」OM-D E-M1を使えばいいじゃないか、という話になってしまって、実際、銀塩は現像料かかるしなあ、と。「撮りたい」が高まったときでないと撮れないのが(私のとっての)銀塩写真の弱点。デジタルだと、「くだらねー」と思いつつも「いらなきゃ消せばいいや」と思い、「撮りたい」のハードルが低くなる。結局それで意外にいいのが撮れたりするんですね。私、そもそもデジタル向きなのかもしれない。実際、CONTAX T2、一旦売却してしまった過去もあります(その後オークションで再度入手)。
既に発注済みですが、今月、飯島意匠のノベルティ用タオル100本が届く予定。これは初めてのお客さんとか、長いお取引のお客さんのところに挨拶に行くのに持って行きます。真っ黄色の、ロゴとURLと電話番号の入ったタオル。消費税が上がる前に仕込んでおこうと思いまして。
それと、これも発注済みですが、ひなが原画を描いたTシャツが50枚届く予定です。こちらも消費税が上がる前に、と。本当は40枚くらいでもよかったのですが、50枚にすると単価が下がって、じゃあ50枚、と。これ、経費になりません。個人的に差し上げたり、自分たちで着たりするのが目的なので。実際、私、自家製Tシャツを着て湯河原駅のニューデイズ(昔の「キヨスク」)や、らぁ麺屋飯田商店に納品に行っているので、ある意味「飯島意匠の制服」みたいな感じもしますが、私用で着ることの方が多いので、こういうのは経費にしない。つまらないところで架空経費計上の脱税なんてやって、もしそれがバレると、税務署に目を付けられてしまって、かえって辛いことになります。
あと、これは無理かも知れないけれど、オークションで「HOの9600、デフなし」というのが欲しいです。プラ製品でいいので、天賞堂。安く出てくれないかなあ、と。9600は大正2年に登場して、1976年の国鉄蒸気機関車廃止の日まで稼働状態にあった形式。それだけ使いやすく、信頼性も高かったのでしょう。ボイラーを大きくするために重心が高く、動輪は小さい。最高速度は65km/h。870馬力。軸重が軽い割には無理が利き、軟弱地盤の多い日本の各地のローカル線で重宝されました。貨物用の機関車なのですが、大正時代に既に10tの石炭貨車75両を牽引していたほか、室蘭本線では2000tの石炭列車を単機で牽引していたという。戦後には室蘭本線で3000tの石炭列車引き出し試験に成功したという実力もあります(速度はどのくらいまで出たのかわかりませんが)。模型で「デフなし」にこだわるのは、ボイラーがよく見えるので「重心の高さ」がより強く感じられそうだという、趣味的な好み。
noteの更新は、出来るだけ毎日続けたいと思っています。18年前の(私の)日常風景なんて、何の価値もないかもしれませんが、街中のスナップ写真などは結構人気があるようで、思いのほか多くのスキを付けていただいて、嬉しく思っております。noteといえば、フォロワーがじわじわと増えております。5月23日に、急にフォロワーが増え始めたことに気付いて「パスワードを変えてみた」https://note.mu/iijiman/n/n227cfa3b7901 という記事を書いたりしたのですが、なぜか今、1071人(2019年8月2日現在)。私のnoteって、お金が儲かる話が書いてあるわけでもなく、エロでもなく、最新IT情報とか書いている訳でもないのですが……。TwitterやInstagramだと違うのかも知れないけれど、noteでフォロワーが1000人を超えても、日常生活は特に変わらないです。それはある意味では有り難いことでもあります。noteに振り回されるようになってしまっても、どうかなあ、と思うので。

写真は「爽 巨峰」。近所のドラッグストアで、特売だと税込85円。アイスは週に2個まで、と決めているのですが、時々掟破りをしている今日この頃であります。

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