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ただいま工事中の神田珈琲園

2001年からWeb制作・Web管理でお世話になっている「神田珈琲園」。
私が神田珈琲園と関わらせていただくことになったきっかけは、2000年に神田珈琲園のギャラリーを借りて写真展(3人展)を開催したことだった。
その頃、世間はWebやネット通販というものも少しずつ浸透しはじめてきたかな、というタイミングだった。神田珈琲園の社長は「これから団塊の世代が退職して、神田に勤めていた人たちが全国に散らばってしまう、そのご縁のあるお客様達から、全国どこからでも『神田珈琲園の味』を楽しめるようにしたい」、という希望を持っていた。
だがWeb制作の出来る人というのは、当時は今ほど多くなかった。印刷関係のデザイン事務所と取引があり、メニューブックの制作やPopなどはグラフィックデザイナーに発注していたものの、その事務所は印刷専門で、Web関係者とのコネクションもなかった。かといって見知らぬWebデザイナーに声を掛けて、その人が怪しい人だったらどうしよう、という悩みがあった。(実際、その頃のWeb業界は怪しい人でいっぱいだった。今でもそうだけれど。)そこで私が「Web出来ます」と申し出たところ、では飯島さんにお願いしようということになって、2001年からネット通販と同時に神田珈琲園のWebサイトがスタートした。2019年の現在、神田珈琲園は飯島意匠の最も古いクライアントとなっている。まさに運命の出会いであった。

神田珈琲園の創業は昭和32(1957)年。自家焙煎のガス釜があって、その焙煎頻度があまりにも高いため、釜の煙突が1本ではすぐ詰まってしまうという理由で煙突が2本あった。それでも半年に一度は煙突を分解して内部を掃除しなければならなかったという。
その神田珈琲園は、今、「がらんどう」になっている。これには深いわけがあって、このお店はJR中央線の高架下にあるのだけれど、高架(と土地)の所有者であるJRが高架橋の「耐震補強工事」を行うことになったためだ。補強と言っても柱を追加するとかそういうレベルではなく、一旦内装を取り壊して、高架橋本体をコンクリートとボルトと鉄板でがっちりと補強しなければならなかった。そりゃそうだろう、高架橋の上を走るJR中央線、1両30t前後の電車10両編成が、毎日数分間隔で往来するのだから。
その工事が決まったのが数年前。今年やっと耐震補強工事が終わった。
で、これから内装工事に掛かろうというところで「東京オリンピック」。工事用の資材が入手難となって、工事が遅れに遅れてしまっている。設計の遅れもあった。内装工事はJRの耐震補強工事が終わってみないと「スペースの寸法」も分からないので、JRの耐震工事が終わるまで待たねばならなかった。もしかしたら従来より大幅に狭くなる(壁などの補強によって)可能性もあった。
神田珈琲園というと、有名な写真家がいらっしゃる。神田珈琲園をこよなく愛されていたことで有名な、須田一政氏。今年の春に78歳で世を去られてしまった。あまりにも早い旅立ちに多くの写真関係者が衝撃を受けた。
だが実は、須田氏と神田珈琲園の社長(現在2代目)とは、直接的な交流はあまりなかった。須田一政氏は神田珈琲園を会場として、写真を講評する「須田塾」を開催されていた。社長としては、多くの生徒さんを連れてお店に来てくださるお得意様だったので、お名前とお顔はご存じだった。「須田塾」が神田珈琲園で写真展を開いたことは何度もある。

改装工事前の神田珈琲園は2階がギャラリーになっていて、テーブル席はあるけれど、壁面を照らすスポットライトを装備していた(さらに以前は額を吊すハンガーレールもあった)。神田珈琲園の社長は必ずしも写真に詳しい方ではなかったし、神田珈琲園のギャラリーでは写真展以外の展示、油彩画展や切り絵展など、多彩な発表の場となっていた。
今回の耐震補強工事では、その「2階が復旧できるかどうか」が実は大問題であった。昭和32年の開業当時とは建築に関する規制が大きく変わってしまい、耐震工事によるスペースの縮小と合わせて、場合によっては「2階が復旧できない」「ギャラリーが復旧できない」という可能性も取り沙汰されていた。
その後JRの耐震工事が終わってみると、思ったよりスペースは広く、従来に比べると狭くなりそうではあるが、何とか2階を造ってギャラリーも再生できそうだ、というところまで、今、話が進んでいる。今年中には内装工事に取りかかり、来年の半ばくらいにはリニューアルオープン出来るかなあ、という見込みだそうである。

もちろん自家焙煎のガス釜は現在倉庫で保管中。これも再び設置し、焙煎に関しては「焙煎職人の後継者候補がいて、その人を育てる」とのこと。昭和32年以来守り続けてきた、ブラジルとコロンビアにキリマンジャロを加えて酸味を効かせた「神田珈琲園ブレンド」も復旧するであろうし、これからも永く引き継がれていくだろう。ネット通販は、実店舗が落ち着いてきた頃に再開したいとのことである。ちなみに神田珈琲園のキャッシュレス決済の導入は早く、2015年頃にはSuicaが使えるようになっていた。これも復活するだろう。でも、実店舗がどのような姿になるのかはまだ具体的に見えてこない。近未来の神田珈琲園。とても楽しみであるけれど、須田一政氏にご覧いただけないことは残念なことである。

以下、手元にある神田珈琲園の写真。

2019.7.17 がらんどうの神田珈琲園。

では、懐かしの「工事前の神田珈琲園」を。
2016.1.15、試運転中の中央線新型あずさ「E353系」と神田珈琲園。

2016.8.22、夕方。神田珈琲園2階から外を見る。

2015.1.16 焙煎後のハンドピック。神田珈琲園はこうして手間を掛けて一粒ずつ、割れ豆や未成熟豆などを取り除いていく。

2013.10.28、神田珈琲園2階の午後。

2018.1.31、もしかしたら創業時からあった?階段の写真。

2018.3.21 神田珈琲園2階の午後。

私が持っている中で、一番古い神田珈琲園の写真。2001年2月14日。


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