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相手の常識、自分の常識

呼び名について、おもしろいツイートを見つけた。

「〇〇神(しん)」。
こんなにお茶目さとリスペクトを両立できている呼び名を私は他に知らない。

いきなりわかりやすく呼び名を変えるのは抵抗があるけれど、これなら「さん」と言っているように見せかけて、ちょっと口をすぼめるだけでできてしまう。こんどちょっとやってみようか。

そしてこの呼び名には、
一人ひとりに自分なりの考えや信念がある
ということを認めて、その人そのものを尊重しようとする意識があると思う。

たとえ恥ずかしさが勝って「しん」と「さん」の中間の音で、どっちかって言うと「さん」よりの発言になってしまって「神(しん)」が伝わらなかったとしても。自分で相手のことを「〇〇神(しん)」と呼ぼうと思って実践した時点で、自分の心の中に相手へのリスペクトは宿っている。大成功だ。

そういえばこうした「相手は相手、自分は自分」と区別できる思考は、無駄なイラつきや衝突を回避して、互いが過ごしやすいように意見をすり合わせることに思考が向くのでとても良い。

と、このツイートで教わったんだった。

国が違う=文化が違う
をうまく言い表した呼び名で、これもとてもおもしろい。

自分が思う常識は、案外狭いのかもしれない。

自分の常識から外れたことをしている人がいたとしても、その行動の前提に必ずしも悪意があるわけではない。

よっぽど非常識で危険を感じるほどだったらすぐに距離を置いた方がいいかもしれないが、そうでなくて、これから先も関わり合っていきたいなと思える人であったら、しれっと話し合いから逃げてしまわないようにしたい。「どうせあいつに言ったってわかんない」というセリフはよく話し合いからの逃避に使われるが、言った結果本当にあいつにわかってもらえなかったとしても、それは信条が違って住む国が違ったのだ。仕方ないと割り切れる。
「相手には相手の常識」があることをわかった上で「自分の常識」を開示したい。それで互いに快適に過ごせる場にするための妥協点を探りあえたらと思う。

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