見出し画像

2021.9.13 営業部時代

またいろいろ経験したら、意見や気持ちが変わることは全然あるけど、その時点で考えてることを書いていきたいと思っている。

いつも正味でいたいのだ。

そんなわけで、ずっと昔、私が一瞬、小さなカイシャの営業部で「事務のおねいさん」をやっていた頃の話。

私は事務であり営業担当ではなかったが、社・社員・商品のイメージは守ろうと思った。それが会社に対する最低限の礼儀だろうとは思っていた。その程度の良識はあった。

営業部のある会社で勤めるのは初めてで、最初は何もかもが面白かった。世の中に商品はこう出ていくんだ、と思った。世の中は、経済はこうやって回ってるんだと、思った。

・・・・・・・。

しかし、だんだん化けの皮がはがれてきた。

社長が、あるいはその意を受けた人が、無理な達成目標(数字)を言う。「お前らやれ」「とにかくやれ」「俺の計算では達成できるはずだ」。

営業は私より若い子たちばかりだった。他の世界を知らない彼らは、言われた通り必死に頑張る。でもできない。それがなぜかも(今でも)分からない。私たちはできない理由すら分析できないほど未熟だった。

でも営業はできると信じていた。なぜなら社長が言ったからである。

でも私はずっと、課された目標自体が達成不可能かもしれないという可能性を、どうやってつぶせばいいか」に苦しんでいた。営業目標をどう立てればいいのかも分からなかった。「俺の計算」が合ってるのかも分からなかった。

そもそもこの商品にそこまでの可能性があるのか?

そもそもこの商品は世界を幸せにするのか? 

そこまで頑張って売る価値はあるのか?

ニワトリとタマゴで、とにかく盲目的に信じてやったら達成できるのかもしれない。達成できたら信じられる、そういうものかもしれない。でも私はその可能性をつぶさない限り頑張れないと思っていた。

営業は無理をした。

そして目標を達成した(後から聞いたら、本当は達成できていなかったらしいのだが、計算間違いで達成できたことになってたらしい…)。

営業はガッツポーズして喜んで、私もみんなが喜んでいたことが嬉しかった。でも「達成した」という事実自体はまったくいいことだとは思わなかった。

辛いことをさせて達成感を味わわせる、みたいなプロセスは、「洗脳」すれすれだし、何よりこの手法はドーピングだった。

営業が無理してとってくるので、その無理がどんどん先送りされる。でも永遠に先送りはできない。その前にボロが出てクライアントの満足度が下がって離れていく。

その後、いろいろあって(俺の計算は結局合わず)部署の縮小に伴って希望退職を募るみたいな話が出た時、私は「じゃ辞めてやるよ!」って啖呵を切りたかった。なぜなら社長が「人件費が一番のコスト」だと言い放ったからだ。

絶対許せなかった。私はこう思った。

経営学とかそういう学問からしたら「人件費」は経費でありコストに入れて計算すべきものなのかもしれない。私は経営学部を出ていないし経営の経験もないので分からない。でも会社の事業はだれが回しているのか。社長じゃない。現場である。それを「コスト=お荷物」だと言うなら、一人で勝手に作って勝手に売って勝手に計算していればいい。人件費=経費は認めるとしても、それをわざわざ、怠けているわけでもなく一生懸命売っている人間に対して「お前らこそがコスト」だと言うのは上に立つべき資格はない。私からしたら、こんなに営業が頑張ってるのに売れないのは商品に「欠陥」があるからである。

でも口から出た言葉は「考えさせてください」だった。

情けなかった。。。。。。。

でも怖かった。安定。正社員。毎月のお給料。それらを失うことが。

その後、私をよく知る友達から本当にそれでいいのか諭され、結局退職した。

営業は誰も私を悪く言わずに、あたたかく送り出してくれた。私は営業を裏切って(会社を信じることができなくて)去ったのに。

あんないい若者たち。真っすぐで、能力もある若者たち。

さぞやいい上司、いい環境があれば、もっともっと輝かしいキャリアが築けるのにと思った。

この経験のおかげで、私は新しい目標を得た。

それは、偽善に聞こえるかもしれないけど、多分偽善なのだけど、「若い人たちのためになることがしたい」。子どものいない私は、初めて下の世代を意識した。

・・・そんな立派なことは無理かもしれん。私には、何の知識もスキルも立派な経歴も教えられるようなことも何もないし、大事なところで日和るし、無理かもしれん。

でもせめて、「下の世代たちの礎になりたい」と思った。私の屍を越えていってくれ。

さらに、私は確信を得た。

「社長だからえらいということは一切ない」。「社長の仕事をする=社員とクライアントと世間様を喜ばせる。それができてないやつは、ただのオーナー、ただ勝手に創業したやつにすぎん」。なので社長という肩書には何も感じなくなった。というかいろんな肩書がどうでもよくなった。社長は一人では社長になれない(法律上はなれますがそういうことじゃなくて)。社員がいるから社長でいられる。

「自分が信じられないものを他人に売りたくない」

「自分が信じられない人の言うことを聞くのもなるべく止めよう」(これは茨の道なのでお勧めしない)。

私の行動はいつもめちゃくちゃで支離滅裂で無駄な回り道に見えるかもしれないけど、一歩ずつ、確信を手にしていっている。いつまで続けられるかわからないけど。

いつか諦めて私は社畜に戻るのかもしれない。うだうだ言いながら、前に考えたことなど忘れて、意地汚く生きるのかもしれない。

でも一瞬、こういうことを考えたこともあったんです。




これからも書き(描き)続けます。見守ってくださいm(__)m