私というアルミの筐体

日差しがいいので公園で作業しようと思った。
芝生に座りこみラップトップを開けてみる。だんだんと作業に集中してくる。いま公園にいるという意識が頭から消えかけたその時。指先に何か気配を感じた。キーボードの間を子アリが歩いていたのだ。
それに気づいた瞬間。違和感にわなわなとなった。

私たちは道具を使って作業をしているとき、だんだんとその道具の存在が見えなくなっていく。
モニターやキーボードの存在が消えていくというか、道具と操作が体と一体になっていく。
指先はキーボードではなく、直接文字を触れているかのように、視線はディスプレイを見ているわけではなく、画面の中の図像に注目している。しかし、子アリはそのような感覚は持ち合わせていない。ラップトップはラップトップという一つの構造として、子アリから見れば一つの地形として認識され、踏破の現場となる。
子アリを通してそのことに気づき、手元にあるそれは、ラップトップという道具とともに地形の一つなのだ。という認識の更新に戸惑い、違和感を覚えたのかもしれない。

もう一つ考えられるのは、道具と体が一体化したことによって、肉体の一部と化したラップトップに子アリが侵入してくるという感覚が起こり、それに対する拒絶反応が私の体を駆け巡ったのかもしれない。ラップトップが地形になったように、私の体も、芝生と地続きの地形となり、そこに子アリが接触する。かつてコンピューターのリレーに蛾が挟まり不具合を起こしたように、わたしもいま脅かされようとしているという恐怖がここに現れる。

子アリは、私というアルミの筐体を抜け、再び地上へ戻った。彼には私と地形の区別はわかっているのだろうか?自分ですら曖昧なその区別を。

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