工場労働者の思い出


 今夜は久しぶりに『フラッシュダンス』をDVDで観た。主演のジェニファー・ビールスが溶接工をやっている。ちょうど1983年公開で、日本にエアロビクスが上陸したころの作品だ。
 レオタードにレッグウォーマーというファッションと一緒に日本に入ってきた。

 原宿の会社に勤務していたので、スタジオNAFAでエアロビクスを見て、XAX青山というエアロビクス・ジムの一号店に入会した。もう37年も続けている。

 その後、デンツーに入り、そこを独立して万来社を作った。イタリアに買い付けに行き、貿易を始めて「イーズカイスト」という名のネットショップを開店した。当時のネットショップはアマゾン川の奥地で開店したようなもので、告知が大変だった。
 当たった商品もあったが、不良在庫を抱えて静岡の実家に避難せざるを得なくなった。国民金融公庫から借金し、母親を連帯保証人にしたので、借金から逃げられない。

 仕方なく地元のガラス工場に派遣社員として勤めた。ハローワークの案内では「ガラスビーズを作りませんか?」という手芸店のような呼び込みだった。

 実は直径2ミリから3ミリのガラス玉を作る。納品先は青森県・六ケ所村。そう、使用済み核燃料の最終処理地である。

 ガラスは1300度の溶融炉で溶かして作る。それは1300度にすると、また液体状になる。
 使用済み核燃料にガラスビーズを流し込み、1300度に熱して核燃料と合体させて、冷やすとダイアモンドと同等の強度の固形物となる。それを地中300メートルほどに鉛で囲って埋める。これが核燃料の最終処分となる。

 その原材料のガラスビーズを作る仕事であった。二人一組で溶融炉の横に立つ要員と、飛んだガラスビーズが水槽に落ちたものをすくい上げ、バレルでバリを取りその後の工程に送る役に別れる。一日ごとに役割を交代する。
 24時間3交代なので4チームいて計8名のメンバーだが、イーズカと元長距離トラックの運転手以外は全員外国人。トラック運転手も途中で辞めてしまったので、最後まで残った日本人はイーズカ一人であった。それくらいキツイ。

 1300度の溶融炉の横に立つので、耐熱グローブに耐熱エプロン、溶接工のようなマスクをしてスポット・クーラーを浴びる。この装備で30分に一度原料投入、10分に一度炉全体の角度を変えて、発射角度の調整をする。
 仕事を始める前に、ポカリスエットの粉末版を渡され、「これをちゃんと飲まないと、死にますからね」と言い渡された。

 まあ汗だくになる作業なので、食べないと簡単に痩せていく。1300度の溶融炉の前というのは、信じられない世界で、気を抜いたら、死と背中合わせだ。

 4か月で終わったから良かったが、それ以上は無理だ。45歳くらいだったので、コチラの肉体もまだ強い。本気でダイエットしたいなら、この仕事をおススメする。間違いなく痩せる。

 イーズカは昔から肉体労働を厭わない。カネになるなら何でもやる、デンツーと体質が近い。

 失敗した時はオトシマエをつけるしかない。言い訳なんぞしているヒマはない。借金返済は待ってくれない。何としてでも払う。払えない時は、こちらから押しかける。「どうしても支払い日は何日になる。どうにかならないか?」と。支払う意志があり、逃げる危険も無いので大抵は何とかなる。

 借金は「逃げたらアカン」のである。逃げると、延々と追われる羽目になる。払えない時はこちらから行って、事情を伝える。これを拒絶する奴はいない。相手も「待った」方が得なのだ。

 借金すると「逃げるバカ」が多すぎる。そんなふざけたことをやると、地の果てまで追い回されることになる。

 イーズカは借金は極力しないようにしているが、この「逃げない」極意を知ってから、信用力が増したと思う。不動産屋にも大家にも全幅の信頼を置かれている。「逃げずに、こちらから乗り込む」からである。多少は迷惑がられるが、逃げない奴は安心である。

 不動産屋に毎月出向いたときは「イーズカさん、もう電話で結構ですから、期日さえ教えてもらえば十分ですから、店頭には来ないでください」とまで言われた。
 そこの社長と地元のフィットネスクラブで一緒になり、「これからもヨロシク」と挨拶を交わした。

 ビンボー恐れるに足らず、逃げなければ良い。どんな担保より、クレジットカードより、「逃げない奴が、もっとも信用できる」のである。

 でも、さすがに今「1300度の溶融炉の前に立て」と言われたらお断りする。

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